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ゾンビな私が自由を得たご飯:うどんのチカラ

私は落ち込んだ時や沈みがちの時、そして病気の時にも食欲が落ちることがほとんどない。病気の時は”食べられない”という気持ちにはならず、”今日は気分がよくないから何を食べようか”と思う。

以前書いたように私は何か衝撃的なことが人生で起こった時には3日だけ自分に暴れまくる期間をあげ、ネガティブな自分はきっちり3日後に自らの手で死刑にすることにしているが、その死刑を待つ3日間も好きなものを好きなだけ好きな時に好きなように食べるようにしている。ダイエットとか健康とか腹八分とか消化とか全く気にしない。

食べることが好きなのでいつもぽちゃぽちゃしているが(笑)、美味しいものを食べると幸せなので食事制限をすることはほぼない。

そんな私が珍しくしばらくご飯を食べることが出来ず痩せてしまったことがあった。
某東南アジアの国でのことだ。

あっちこっちをうろうろしながら英語教師をしていた私は30代が半分過ぎた頃にひょんなことからとある南国で語学学校のオペレーションマネージャーの職を得た。(*現在はアメリカの私立校で教師をしています)
ここでは私は生徒を教えることはなく、現地人教師の管理・指導・育成、学校のPR、カスタマーサービス、などなど雑多な業務をこなす係だった。

業務を開始して2週間くらいで、ここの経営は腐っているな、というのが理解出来、これは根本からの改革が必要だと確信したのだが、オーナー夫婦はとにかく金を稼ぐのに一生懸命でソフト面もハード面も大きな改善をしたがらなかった。
経費がかかるからだと思う。
部屋のアップデート(色を塗ったりベッドシーツを新調したりなど)や教師向けの講座やテスト(点数や授業の内容で給料が上がる)など何を提案しても渋い顔で受け入れない。

今のまんま、教師もスタッフも低賃金でやる気なし、生徒たちの部屋は薄暗く安全性が甘く(盗難がしょっちゅう起こっている)、売りに出来るのは”パラダイスのようなビーチ”だがそこに行くには車が必要なのにHPにはすぐ裏手にあるような文章があり、日本・韓国・中国からの英語学習者をターゲットに広告を出しているのに、HPの”授業風景”は白人も現地人も写っているまま、”人気短期留学”の場になれる訳がない。

割と全てが正しくない、が正しくないことは生徒たちには言えないので私はいいところを大きく取り上げ、BBQやビーチの清掃、バードウォッチング、スノーケルで見れる魚の種類の見分け方、オリジナルデザートを作ろう、など安価で楽しいアクティビティを企画し、色んな不満はあるかもしれないが楽しい思い出を持って2週間や3ヶ月の短い留学を終え帰国してもらおうと頑張った。

しかし毎日のように悪いことは起きる。
教師は時間通りに授業に来ず(兼業しているため)、生徒は自室においていた時計が盗まれる。オーナーは口コミサイトの悪いコメントを削除せよと無理難題を言い、近所のおっさんはお尻丸出しで勝手に敷地内のプールで泳ぐ。
外では太陽さんさんで緑いっぱいのリゾートにふさわしい大きな笑顔を振りまいていたが、自分の部屋ではだんだん腐ってきているゾンビのような自分がいた。

ここに住み込みで働いている間、私はご飯が食べられなかった。

食事はビュッフェスタイルで、決められた時間に生徒や教師と一緒に食べるのだが、私はその場にいたくなかった。

後ろめたいような申し訳ないような悪いことをしているような、そんな嫌な気持ちを常に抱えており、時計が紛失したり、財布からお金が抜かれていたり、前借りが出来なかったり、返金を求めても無視されたり、子供が病気でも授業に来いと言われたり、そんな生徒や教師たちと並んで座ってご飯を食べようと思う気持ちになれなかった。

最初の頃は敷地外にあるレストランや屋台に食べに行っていたが、それも億劫になり、最後の2ヶ月は自室でスナック菓子を食べていた。

部屋の中で現地のスーパーで買ったわけがわからんお菓子を食べながら、毎日考えていた。
どうにかして現状を改善したい
どうにかしてここを出たい
どうにかしてオーナーをギャフンと言わせたい笑

結局私はそこを出た。たった4ヶ月の勤務だった。

耐えられないのでもうやめます、とオーナーに告げると、彼は ”次の就職先へのレファランスにまともなことを書いて欲しかったら、ここでのゴタゴタをネットに投稿したり部外者に情報を漏らしたりするな、という誓約書にサインしろ” と迫った。

”レファランスはいらん”

そうシラっと返事をすると、彼は大層驚いた顔をして ”すぐに出ていけ” と大きな声で叫んだ。(*欧米では前職からのレファランスがないと就職にかなり不利になります)

生徒たちには急に消えることを詫び、何かあったらメールするようにメールアドレスを教えた。彼らも短期留学を終えたら日本へ帰るだろうが、その後連絡をくれた人はいない。

教師たちは私がやめることをあまり驚いていなかった。
”前にもアメリカやカナダから来たマネージャーがすぐ辞めていった”
”シマリスはこの土地の人間とやり方にはあってないと思う”
”出ていくという選択肢があって羨ましい”
心苦しいような腹立たしいような悲しいような、後で反芻すると感情を掻き回されるやり取りだったが、ゾンビだった私の心にはあまり響かなかった。

その翌日の夜中に部屋を出て、朝早い関西空港行きの飛行機に乗った。

機内食が出たと思うが覚えていない。多分熟睡していたと思う。

関空に着いてからゴロゴロとスーツケースを引っ張り、まず向かったのはうどん屋だった。
まだ午前中でランチには早く、客はまばらだったが、一番奥の隅にある小さなテーブルに着き、シンプルなうどんとおにぎりかお稲荷さんかのセットを頼んだ。
清潔なテーブルに、優しい笑顔のおばさんが持ってきてくれた熱いお茶を飲むと、やっと自由になった、もう誰かと誰かの板挟みで、良心と義務の間で苦しくなることはないのだ、と安堵の気持ちが湧きちょっと涙が出た。

すぐに出てきたうどんからのぼる湯気と懐かしい出汁の香りに、私の食欲が2ヶ月ぶりに戻ってきた。
このうどんを5杯食べたい!そう思っていたのに涙で咽せるのか、熱さで咽せるのか、”食べたい” という欲求が秒ごとに大きくなるにもかかわらず、私はちびちびとしかうどんを食べられなかった。

シンプルなうどんのチカラは大きかった。
私のお腹も気持ちも頭もほかほかにし、やっと自分らしさが戻ってきた感覚がしたのを覚えている。
日本はいいなぁ〜、というよりは、あのゾンビ(私)が住んでいた部屋の外は素晴らしい世界だぁ〜という自由な気持ちが溢れてきて幸せになった。

その後日本での生活もいろんなハプニングが起こったが、それはまたいつかここで。

シマフィー


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