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ちいさいシマリス

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昭和の子供はこんなんでした。
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2021年1月の記事一覧

人喰い犬の屋敷

かっちゃんとコーちゃんとサムー、3人の男の子が我が家の駐車場に自転車をキュッと止め、大きな声で叫ぶ。 シーーマーーちゃーーーーーん! 私は半ズボンを履いて帽子のあごひもを留め、水筒を斜めにかけて勢いよく飛び出す。 3人の顔を交互に見ると彼らが “俺の後ろに乗れよ”と自転車の荷台をポンポンしてくれる。今日はかっちゃんの後ろにする、かっちゃんは体も大きいしビュンビュン漕げるし、コーナーをぎゅーっと曲がるのもうまいから。 小学校3年生にはちょっと大きすぎる自転車に二人乗りで

遠慮する子どもの行く末

わたしは小さい頃から人の顔色を伺い、周りにとって一番望ましいと思われる行動や発言を取る人間だった。誰かの様子を見て覚えたのか、そう躾けられたのか、それともそれが美徳とされる小さな文化圏に生きて来たからなのかはわからない。 ただなんとなくそうしてきた。 何かが得意だとか、上手にできるとか、秀でているとかを大きく言わない方が良い。 時には自分以外の誰かを花形にしてあげるために、努力して来たこと、能力があることを隠してもよい。 そんな風に生きて来た。 ピンクレディーの振り付け

幽霊裁判:敗訴2例

小学校高学年のころ住んでいた家は大きな病院のすぐ目の前だった。 夕方薄暗くなってからは、その病院の入院棟の前の小さな道はちょっと怖いくらい静かで、まだ早い時間、6時とか7時とかでも、しんと静まり返った古いコンクリートの大きな建物を通り過ぎる時は自然と早足になった。 ある夕方私はその道を歩いて家に帰る途中に、建物の外に立ち、窓枠に手をかけて中を見ている白っぽい人間を見た。一瞬よりももっと長く見たが、ちょっと怖くなって確かめることもなく走って逃げた。 確かめる、とはそれが生身の

鬼とじいちゃんと節分

じいちゃんは、お酒を飲んで気に入らないことがあれば、窓からコップやら小皿やらをパーっと投げ捨てる。そうなるとテレビを見ている私といとこのゆりちゃんは二人で奥の部屋に引っ込まないといけない。子供を怒鳴るわけでもないし、手をあげるわけでもないが、 “もう、こんげなん料理は食わん!” と大きく自己主張する老人は見ているだけで怖い。 ばあちゃんはその日のうちに壊れたコップやら皿を取りにはいかず、次の朝までそのままにしておく。じいちゃんが朝起きて、昨夜と同じ場所に座ってお茶を飲む時に