20歳で‘’不妊‘’の2文字に呪われて。 29歳で顕微授精にて大切な大切な息子を授かるまでの 長い道のりと、治療の詳しいキロク
▽こちらの記事は連載しているものです 前回の記事はこちらから↓ 不妊治療の第一歩として ・卵巣ホルモンの検査 ・甲状腺検査 ・採血 (これらは期間が決まっていて 生理の3日目から5日目にやらなければ いけないとのことでした) を行い、順調に治療は進んでいきます (検査結果は前回の記事をご覧ください) そして次に行った検査で ようやく私の不妊の原因が明らかになりました 不妊症一般検査【子宮卵管通気検査】不妊治療ってそもそも みなさんどんなイメージをお持ちでしょうか 私の場合
▽こちらの記事は連載しているものです 前回の記事はこちらから↓ ブライダルチェックで ウレアプラズマ・マイコプラズマに感染しているとわかってから 根治のため、抗生物質を飲んでは検査をするという工程を 何回か繰り返しました。 しかし何度やってもなかなか消えてくれず ほぼほぼ作業的に繰り返していたところ 次のステップを考え始めました。 より詳しい検査へ このままでは延々とウレア・マイコを治すために 薬を飲むだけで時間は過ぎていくし 果たして根治したからといって本当に妊娠でき
妊活を続けてはいても 原因の違いのせいで足踏みを続けて6年。 ここで私は当時の夫と離婚しました まだ心のどこかで 『私のせいじゃない』と思っていた。 やっぱり私が原因だと確信した日 現在の夫とは、前の夫と離婚してまもなく出会い いわゆるスピード交際、スピード結婚だった 交際してすぐからお互い結婚の意思があったので 当時お互い26歳で、いつでも子供を。 という考えだったので早くも妊活を開始していた だがやはり妊娠せず。 前の夫のように歳が離れているということもなく 同
❏初めて不妊を意識して婦人科へいったとき。 検査と結果、そして現在から見たこの時の見解を キロクします✍️ 初めて病院へ行った日 『やっぱりできないなぁ・・・』 と思ってから一年が過ぎていた 根っからの心配性である私は 婦人科に相談してみようと決断していた 21歳のころだった。 当時私が訪れたのは 婦人科で、妊娠したいので一通りの 検査をして欲しいと伝えた とっても優しいおばあちゃん先生で 「大丈夫、大丈夫、若いから」 と一点張りであったが 『妊娠してないんだから若
2023年12月産まれの男の子‘’ちろ君‘’の大切な毎日の記憶のキロク。
5/14 5ヶ月2日 今日初めてちろ君に対してイライラして少し態度に出してしまった。 ちろ君を産んでから5ヶ月。 少しイライラしたこともあったけれど 不妊治療を経てちろ君を授かれたことの奇跡を とにかく胸に刻んで大切にしようと徹底してきたので すぐにイライラを上回る愛しさでかき消せていた 今日はなんだか私のメンタルが崩れていたのかもしれない なかなか寝ないちろ君を 顔面蹴られながら寝かしつけても すぐに寝返りを打っては泣いて。 『なんで泣くの?なんで寝返るの?なんで寝な
5/12 5ヶ月0日 今日でちろくんも5ヶ月になりました 本当に早い🫣 もう離乳食を考える月齢になってしまいました まだまだ先だと思っていたのに いざ離乳食を目の前にすると 不思議な感覚です 必死で飲ませていた新生児期が懐かしい。 今は頑張らなくてもたくさん飲んで ぷっくぷっくしてるから心配しないでと 当時の私に伝えたい 私は頭が硬い。 多分結構硬い。 そして完璧主義で神経質 きっちりしないと気が済まないタイプで しかも形からしっかり入る。 ということで 私はまず離乳
5/5 4ヶ月23日 今日はこどもの日、ちろくん初節句です 生まれる月によっては一歳近くなって初節句の子も いるんだもんね。なんか不思議 ちろくんはもうそろそろ5ヶ月です 早いなぁ。 新生児を過ぎるまでとっても長かった気がする そこからあっという間だったかも というか私が今思うと産後 かなり神経質になっていて 心配性にも拍車がかかっていたし 1日1日がすごく長く感じていたかも 1ヶ月検診とか乳児検診ぐらいしか外に出なくて 毎日1日中家にいたから 鬱っぽかったかも🥲
4/25 4ヶ月13日 今日は引っ越してから正式に町の住民になって初めての 『集団検診』でした🙌🏻 同じ月齢の子も来るんだよなぁ… なんならこの田舎町に同じ月齢の赤ちゃんが 複数いるのか…? と疑問を持ちながらいざちろ君を連れて シュナ君と会場である子育て支援センターへ。 センターには何度か行ったことがあったし 新生児訪問で来てくれた保健師さんも 常駐しているから安心😌 田舎で子供の数がめちゃ少ないから 保健師さんたちみんなが 私たちを把握してくれているようで いつも