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ブラック・フェイス問題への国内の反応から見える、無関心という本当の問題。

ダウンタウンの浜ちゃんが、黒塗り(ブラック・フェイス)でエディ・マーフィーに扮したネタ。

その是非はひとまず置いておいても、ジム・クロウ法という、1964年までアメリカに存在した、黒人をはじめとする有色人種(=非白人)の、一般公共施設の利用を禁止制限した法律の名前が、ブラックフェイス・パフォーマンスで白人が演じた架空のキャラクター、ジム・クロウから採られていることは知っておいても良いのではないでしょうか。

アメリカ社会に、特に、差別の対象となった人たちにとって(そこには、日系アメリカ人も含まれます)、ブラックフェイス・パフォーマンスは、まさに人種差別の象徴だということです。

もちろん、アメリカと日本は、その社会の在り方、歴史的な背景も異なります。ブラック・フェイスをタブーとするアメリカのルール、ポリティカル・コレクトネスを、一概に日本においても適用すべきだとは考えません。

ただ、今回のブラック・フェイスへの日本国内の反応を見ていて感じることは、そもそも日本人が考える、日本の社会についての認識に対する違和感です。

例えば、「日本にはアメリカと違い、黒人への差別は無い」。これは大きな間違いです。

戦後、駐留軍の米兵と日本人女性の間に生まれた、いわゆる「GIベビー」は2万人から3万人に登ると言われ、その容姿の違いから、様々な差別の対象となりました。特に、黒人米兵との間に生まれた子ども達が並々ならぬ苦労を強いられたことは、想像に難しくないと思います。

容姿の違いによる差別は、現在においても無くなってはいません。ミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナさんに対するバッシングは記憶に新しいのではないでしょうか。
彼女は子供時代、「色が移る」と遠足などで同級生が手をつないでくれない、日本生まれの日本育ちにも関わらず「アメリカに帰れ」と言われる等の、いじめを経験をしています。

たしかに日本の社会と、アメリカや欧米社会とを比較すれば、人種の異なる人達の割合や、差別の程度に差はあります。
だからといって、差別は無いことにして良い、少数者の存在は無視しても良いということにはなりません。

残念なことに、今回のブラック・フェイスのネタを擁護する意見の多くは、日本社会の中に存在する人種差別を顧みる事なく、むしろ、顧みることを「煩わしい」、もしくは「ノリが悪い」という風に、意図的に避けているように思われます。

確かに、そこには、積極的な人種差別の意図は無いのかもしれません。あるのは、差別に対する積極的な無関心です。

浜ちゃんの黒塗りが、果たして人種差別を助長するものなのか、つまりは、視聴者に人種差別的な価値観を植え付けるのかという点においては、様々な意見、捉え方があることと思います。

しかし少なくとも、こうした人種というナイーブなテーマに触れるコンテンツが、制作者・視聴者の、双方の無関心・無遠慮によって成立しているのであれば、今後、日本のコンテンツの質は、下がることはあっても、上がることはないでしょう。

#コンテンツ会議 #ダウンタウン #お笑い #エッセイ #ブラックフェイス  

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