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五十肩きっかけに「50代の肉体」について考える。

「それ」は、前触れなくやってきた。

ある朝、着替えている最中に「ズキーン」と、左の肩に痛みが走った。
この痛みには覚えがある。大昔、レベル35のときに起こったものと同じだ。当時は「四十肩」という有難くもない病名をいただいたが、レベル53となった今は「五十肩」(※)にバージョンアップだ。

※実は四十肩も五十肩も同じ病気である。単にその人の年齢で言い方を変えているに過ぎない(整形外科ドクター談)。

肩が痛むといっても、普通に生活している分にはなんともない。腕を回してもバンザイしても平気だ。ただ特定の高さでひじから先を下に曲げる(要は肩をひねる)ときだけ、激痛が走る。

現在私はフルタイムで通勤の仕事をしている。だから通院は土日に限られる。「そのうち診てもらおう」と思いつつ、痛む角度を避けて生活をしていた。

肩の痛みをかばう動作により、じわじわと負担を与え続けてきた結果、「それ」は唐突に現れた。

(……なんか、背中のあたりがおかしいぞ)

電車で座っているだけなのに、背中の左あたりに鈍痛が走った。そこから2駅の間に痛みは急激に育ち、電車を降りる頃には、背中を抑えなければ歩けないほどになっていた。通勤途中だったが、すでにオフィスの最寄り駅まで着いていたため、戻るより出社するほうが早いと判断した。

結局、出社しても使い物にならないほど背中が痛むため、すぐさま近所の整骨院に駆け込んだ。

ぎっくり背中ですね」
「……え?」
「『ぎっくり腰』の類似形です」
「……」

どうやら「ぎっくり」するのは腰だけじゃないらしい。
私の場合、左肩をかばっていたのが主な原因とのこと。緊張状態が続いた背中が限界を迎え、ついに痛みとなって私にSOSを発したのだ。

無茶が利かなくなるお年頃

この肉体がまだレベル30くらいなら、どれほど肩をかばおうと、背中がぎっくりすることはなかったかもしれない。
「そもそも30代なら五十肩にはならないだろ」
そんな幻聴が聞こえてきたが、レベル35で四十肩を経験した私としては、全面的に否定する。

原因と結果の法則でいえば、一度でも経験した病は、体質または生活習慣を根本から改善しない限り「一生かからない」タイプの人よりも再発のリスクは高い。
いずれ五十肩もやってくるであろうと覚悟していた私は「ついに来たか」と冷静に受け止めた。ただ前回と違い「ぎっくり背中」というおまけがついてきたのは、レベル53ならではの想定外な災いだった。

幸い、駆け込んだ整体院で「鍼から患部に直接電流(低周波)を流す」という強力な施術をしてもらったおかげで、背中の痛みはすぐに半減した。なんとか仕事もできるくらい回復したため、事なきを得た。
(完全に痛みが取れるまでは数日を要した)

一説によると、人間の肉体は(理論上では)120年くらいまで生きることが可能だという。だがほとんどの人は生きるために肉体を酷使したり、自ら寿命を縮めるような行為(身体に悪いものを食べる、紫外線を浴びまくる、酒を飲みすぎるなど)をしたり、健康面に悪影響なほどストレスを溜めてしまうため、減点法で早めの「期限」を迎えることになる。

私自身は五体満足で産まれたものの、喘息やら胃弱やらで体質は虚弱気味だった。スタミナがないくせに、持て余すエネルギーをショートスリーパーで消費し、若い時分は頻繁にダウンしていた。

そんな肉体も長い間つき合えば、なんとなく制御ができるようになる。
過労で倒れた30代半ばからは、少しずつ「無茶をしない」安全運転を心がけ、外(運動やストレス解消)と内(栄養バランス)から健康意識を高めていった。

体力の低下は年々感じつつも、知識と努力で肉体をケアし続ければ、体感的には「自分史上、今が一番健康!」な日々を送ることができる。年を重ねるごとに無茶と手抜きのバランスもマスターし、肉体をうまく操れるようになる。

「このまま緩やかに衰える肉体と折り合いをつけていけるだろう」
40代の私は、衰え始めた活動エネルギーとコントロールがたやすくなった肉体とのバランスが合致し、これまでの人生で一番元気に過ごせていた。

だがレベル50前後から、人生の経験値ではフォローしきれない不定愁訴にいくつも襲われた。
(これが更年期というものか)
新たな魔物の到来に、私は立ち向かわなければならなくなった。

島田佳奈的「更年期」の乗り越え方

思春期の頃は、急激な成長と外見の「女」化に戸惑った。月経のたびに猛烈な貧血で倒れまくり、成長痛で眠れなくなったり、偏食すぎて栄養失調に陥ったり、貧乳に悩み牛乳を飲みすぎてお腹を壊したりしていた。

身体が大変だったはずなのに、記憶しているのは恋愛を謳歌していた思い出ばかりだ。若さと多感さは、どんな辛い記憶も楽しさで上書きしてくれる。

対して更年期は、「女」がコンパクトに折り畳まれる変化を受け入れる10年間だ。頭ではわかっていても、肉体の衰えや不定愁訴と折り合いをつけるのは簡単ではない。ある時期は関節痛に悩まされたり、それが終わるとホットフラッシュに焦り、気がつけば月経が止まっている。

例外なく私も、更年期を実感するタイミングに到達した。あと3か月月経が来なければ、めでたく「閉経」となる。

「閉経の前後10年」が更年期の定義とすれば、単純計算「閉経時」がピークといえるだろう。前の5年は「今が更年期なら楽でよかった!」と思っていたが、本格的な変化はむしろ後の5年かもしれない。

実際、今年に入って自律神経が狂い始めた(これも更年期の症状のひとつ)せいか、ワンツーで眠れたこの私が入眠まで10分以上(※)を要するようになった。ホットフラッシュも頻繁に起こり、オフィスで私ひとりが暑いだの寒いだの騒がしく、同室の若い女子たちは苦笑いしている。

※病院で睡眠薬を処方する目安は「横になっても30分以上寝つけない」レベル。まだ薬に頼れない私は、ヤクルト1000の流通再開が待ち望まれる。

予測のつかない体調の変化にイライラしてもしょうがないので、私は周囲に日々の体調を晒しまくり、堂々とフォローを求めてやり過ごしている。おかげでストレスを溜めるどころか感謝することが増え、メンタル的にはとても満たされている(フォローさせられる周囲はいい迷惑かもしれないが)。

「下り坂の肉体を愛してくれる」男は、更年期以降の未来をバラ色にしてくれる存在である。

同時期に襲われるため勘違いしやすいが、五十肩は更年期の症状ではない
五十肩は、単純に「半世紀くらい酷使してきたんだから、肩関節に不具合起こることもあるよねー」的なニュアンスだ。対して更年期の諸症状は、すべてホルモンバランスの乱れが原因である。

ただでさえ更年期起因の不調に襲われているというのに、五十肩やらぎっくり背中までトッピングされたら、たまったもんじゃない。
更年期の緩和に毎朝やっていたラジオ体操も、五十肩ではままならない。そうやって人生を折り返した世代は、負のスパイラルに陥ってしまう。

私としては、ピンピンコロリな最期を迎えられるのであれば、長寿にはさほどこだわらない。もちろんやり残すことなく大往生できるのが理想ではあるが、一方で「もっと生きていて欲しかった」と思われるうちに旅立つのも悪くない、と勝手な美学を思い描く自分もいる。

50代になって以来、ほんの10年前には想像もしなかった「新たな思想」が私の中に芽生え始めた。

愛する人と共に、ゆるゆると老いてゆく未来。
「共白髪」的概念。互いに看取ることを約束する幸福。

以前の私は、成長することしか考えず、伸びしろしか求めてこなかった。
向上心がなくなったわけではないけれど、肉体が下り坂を歩き始めたことに気づいた瞬間から「理想の旅立ち」を意識しはじめた。

私の理想はもちろん、愛する家族に見送られながら「あー楽しかった」と笑顔で旅立つ最期だ。熟女になってから再婚したのも「孤独死だけは絶対に避けたい」という、ワガママな望みがあるからだ(もちろん理由はそれだけではないが)。

更年期に起こりがちな症状のひとつに、メンタルの低下がある。衰えゆく肉体に折り合いがつけられずストレスとなってしまったり、肉体の不調に引きずられて未来に希望を描けなくなってしまう裏には、やはりホルモンバランスの変化や自律神経の乱れがある。いわゆる「ミッドライフクライシス」状態だ。

私は運よく、その時期に今の夫と出会い再婚へと進んだため、落ち込むどころか明るい未来を描くことができた。それは夫自身も同様だ。

人生に辛い時期は何度もやってくる。だが支えてくれる存在がいれば、独りで立ち向かうよりもずっと楽に乗り越えられる。

肉体は魂の容器だ。別の言い方をすれば「内面の一番外側」でもある。
心を置いてけぼりにして、肉体だけをベストな状態にするのは難しい。むしろメンタルさえ健やかでいられれば、肉体が多少ポンコツでも充実した人生を送れる。

生き物である限り、老化は絶対に避けられない。
肉体にばかり振り回されるよりも、メンタルが満たされる方法を模索するほうが、この先の人生にとっては有益だ。

ポンコツな肉体を愛そう。
そんな肉体を愛してくれる存在を、大切にしよう。

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