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嶌田井ジャーナル序文

ある時、息が詰まりそうになりました。
その場所は、わたしが心地よいとは思えない場所でした。
心地よかったこともあったのですが。

どこか遠くへ行ってみたいと思いました。
そこへ行きさえすれば、息ができると思ったのです。
でも今までいた場所から離れたら、わたしの居場所は
もうなくなってしまうかもしれないとも思いました。

離れようと一歩足を踏み出しました。
会社も辞めたし、飛行機にも乗りました。
「なにか」から自由になるためです。
そして「どこか」へ行き着きました。
他の「なにか」が見えてきました。
境界線のようなものです。

その境界線の周りには、異文化が混じり合う、「わくわく」「どきどき」もしくは、「もやもや」「がっかり」する世界がありました。
そこでは自分にとって「当たり前」なものはなく、物事は極めて「曖昧」でした。
「曖昧なことが当たり前」でした。
「境界線」は、越えられるものもありましたが、越えられないものもありました。
大抵の場合、わたしはその境界線あたりで行ったり来たりしていました。

これはわたし個人のお話です。でも、これはわたしだけが感じていることなのでしょうか? 
例えば家を出る、会社を辞める、住み慣れたコミュニティを離れる……
境界線を感じたことのある人はいないのでしょうか?

嶌田井書店のメンバーにも訊いてみました。
ツイッター上ではアンケートも取ってみました。
似たような体験をした人もそうでない人もいました。
わたしが感じてきたものとは違う境界線に直面してきた人もいました。

わたしは、この境界線というものについて複眼的に考え、検証したいと思いました。
皆さんとそして嶌田井書店と共に。
「境界線とその周辺」を探り、それをテーマに作品を募れたら。
そしてその作品の数々に触れ、その感想や論評を共有する、そんな世界が作れたら。
自分を包む世界をもう少しだけ広く感じられるかもしれない。
そう思ったのです。

「境界線とその周辺」。
嶌田井ジャーナルのテーマです。

河嶌レイ @ray_kwsm
シンガポール在住の根無し草。文芸サークル「嶌田井書店」店主。ことばと写真を通して自分が見たり感じていることを再解釈・表現することがライフワーク。カフェラテと文房具が好き。
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嶌田井ジャーナル0号(2018年11月発行)より

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