第六章 恩返しはどこへ行く?_006
06.やれることを受け入れる
後に、自宅兼診療所からオフィスを移転しました。
これと同時に、
神戸市や兵庫県の約30施設のすべてを一つずつ訪問し、
子どもの受け入れを表明して回りました。
兵庫県の西のはずれからオフィスまでの距離を同心円
(半径100キロ)で囲んでみると、
近畿圏(日本の第二の経済圏)のほとんどのエリアが
カバーされることに気づきました。
このことをきっかけとして、
近畿エリアの約100施設の子どもたちの全部を
対象とすることに決めました。
(この時、施設収容の全員が来たらオフィスはパンクするのではないか?と、小心が動いたことを一生忘れることができません)
そのような中、施設を退所し就職をした人
(前例の学生の就職祝いの会に参加した人)が、
突然オフィスを訪ねてきました。
「先生、仕事がつまらない。仕事を辞めてきた。
大学入学のための方法を、僕にも教えてほしい」と
吐露してきたのです。
この子は積極性のある学生で、
予備校やPCでのオンディマンドによる自学学習によって、
翌年大学入りを果たしました。
ちなみにこの子は工業高校卒でした。
(ご存知かもしれませんが)一般的な普通校での教科を履修しておらず、
改めて一般大学受験のための教科を、ゼロから学び直したのです。
翌年は、年子の弟が浪人覚悟で早めに退所をして来ました。
こちらはどちらかと言うと、教えないとできない学生でした。
しかし言われたことは、
しっかりと実行のできる能力を持っていました。
オフィスを訪れる患者から有志を募り、
個別指導と自学学習、そして通信教育によって、
翌年大学入りを果たしました。
『今や学習指導したこの三人とも4年制大学を卒業して、
社会人として活躍をしています!』
この結果を通して、
貧困と教育問題は決して解決のできない
困難な問題ではないことを、私の中で手にしたのです。
今から振り返ると、この数年間は不思議な期間でした。
一見すると裕福な家庭に育ちながら、
成長発育時に複雑なプロセスをたどった患者(社会人)が、
フラッと入ってきました。
「大学受験の仕方を教えてほしい」と述べたのです。
(ここは大学進学塾ではありません)
この子は2浪の後、
在阪トップクラスの大学に進学し、
のちに薬剤師国家試験と同時並行して、
弁理士の国家資格も取りたいと希望を語ったのです。
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