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野球場で蛙が干からびてる


 一枚の布が世界だとして、大きく浮かび上がる無数の顔が見たい。展開図だとかナスカの地上絵みたいな俯瞰して組み立てたときにやっと捉えることができる点を線にする瞬間に立ち会いたい。
 彼らの大半はこの世に沈殿したままだ。だが、恥じる必要は無い。その静寂こそが無音の空気を揺らして響いている。無音空間に行くと常に聞こえるあの地虫の如き共鳴の正体は一枚布の影に隠れた死者たちのものなのである。
 そんな講義を夢で受けた。ありそうな話だ。ありふれたくだらない口ぶりだった。Nightmareとして魘されるほどの感慨や感動ならばいつでも大歓迎だというのに。
 ありふれた事象で更に上書きしてみよう。例えば、二日酔いと睡眠不足は殆ど同じ効果がある。ショートホープを三本チェーンスモーキングしたときと絶食二日目の朝の視界は似ている。今朝路地裏で凍死してた自分の幻影と野球場で干からびていた蛙は同じ色だった。iPhoneはいつまでたっても私の顔を認識できないままで、マイナンバーカードは利用停止されたまま再発行できずにいる。明日の朝はまたおきれないだろうし、一番覚醒しているのは夜八時から朝六時までと相場が決まっている。現在はそこそこ楽しくやれているというのに、それすら手応えも自信も生み出さず、不安と同時に抑えがたい興奮による衝動で様々なものを投げつけた挙げ句、賃貸の砂壁はぼろぼろになった。
 だけど、体内の物質の状況の変化なんて外からはよく見えないし、くだらないことだ。第一、生きていることと死んでいることに物理的な違いはないのだ。HOPE、NOPEで韻を踏めると思いつつ空箱を天井に投げつけ全然知らない人たちに脈絡のないメッセージを送る。
「暇なんだね、かわいそうに、忙しければそんな事考えずに済むのにね」
 ほっといてくれや。お前は一生心を失ったままその安易で楽な幸福の光に満たされて総て知ったような顔で朽ち果ててゆけばいい。主よ汝に祝福を与えたまへ、君に幸あれ、病めるときも貧しきときもなく、永久の愛を誓い果たせばいいじゃないか。
 昨日、トカゲが自殺未遂をした。もう4回目だ。
 マンションの6階から飛び降りて足の骨を折った。一回目はピレチアの過剰服用だった。彼女は恐らく神様に愛されている。一ミリも神なんて信じていない唯物論者の私がそういいたくなるくらいだから相当なものだ。トカゲは鳶職を3週間でやめた。一日目でもうすでに辞める心づもりをしていたようだ。首吊りと比較してどうなんだろう。飛び降りるときは死体清掃員が楽なようにビニール袋にくるまってね、だとか、首吊りのときはちゃんとオムツでも履いとけよなんて冗談を飛ばせそうもない。
 歯茎が痛い。精神的な負荷でそうなる。目はドライアイで痒い。コンタクトレンズはつけるときよりも外すときのほうが面倒だ。マスカラもアイライナーもアイシャドウもそうだ。ピアッサーよりはニードルのほうがきれいにホールができる。よく切れるナイフのほうが傷の治りは早い。残高がない方が散財しやすいし痩せたいときほど高カロリーの菓子パンを食べ吐きしたくなる。悲しい出来事はさらに痛いことで上書きするしかないから、子供の頃にした心臓の手術の記憶だとか、気管支炎をこじらせた日を思い返しながらフローリングを根性焼きする。
 非常に断片的な時間が体に蓄積している。記憶というものはもっと粘着性の高い糸を引くような物質だと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。地層というには正しく重力に従うようにはできていないし、勝手に変容したり美化したり都合の良いように解釈されて爪の垢まで染めゆくようだ。
 今、一番痛むのが薄い紙切れで偶然切れてしまった人差し指の腹だとしよう。同時に地球上では銃弾が飛び交って悲鳴が上がって、誰かが死んで生まれて、泣いて、笑って、怒って、諦めて、いるのだ。誰かが泳いでいるときに、誰かが溺れていて、誰かが帰る時に誰かが家を失う。だが、知ったこっちゃない。私が今一番痛いのは人差し指の腹であり、それだけが唯一の幸福のように思えるのだから。
 この街は酷く乱雑で、物語るような整頓された声などは一つもない。凍えそうな寒さの中皹の痛みに耐えながら警備員が片側交互通行をしている間に、猫が轢かれた。猫の眼球が飛び出したのを小さな子供がまじまじと眺めた。烏が近くの電線から近寄って肉片を漁る。
 隣に歩いていた母親が子供の腕を少し強めに引っ張って足早に立ち去った。私はそれを何度目かの思い出、誰かの言葉を借りればデジャヴだと思いながら、右目の網膜に焼き付けて、左目を擦った。
 白い建物が多い。地面には廃液が血液や汗のように分泌されていて、臭い。空は露光量が下手に調整されたように粗い青で吐き気がする。
「晴れている日こそ全存在を憎めそうな気がする。」
 トカゲはよくそんな言葉を煙と一緒に吐く。彼女は多分、誰にも聞き取ることができない爆音で叫んでいる。こういう時、私はトカゲのその爆音に心を打たれたとか、共感したとか、同感したとか、共鳴したとか、そういうタイプの感情を経て好きになったんだ、と語ることができたなら楽だと思う。
 しかし、決してそうではないのだ。加えて、彼女の顔も、声も、スタイルも、性格も全く好みではない。好きじゃない。憎たらしい。殴りたい。いや、殴りたくもない。興味もない。全く関係ない。でも、愛している、という確信だけがある。しかし、伝える気もサラサラない。伝えて、両思いになって、で、愛を語り合って、ちょっとずつ疎ましくなって、性交渉などを見よう見まねでして、で、何らかの関係性が壊れていって、やはり出会わなければこんな感情を持たずに済んだのに、みたいな感傷に浸って。
 全く、面白くない。そんな予想。わたしはトカゲという人間ではなくその時間経過の終点を見定めたいだけだ。だから、語り尽くされた出会いも別れも皆無な儘、その一部始終を勝手に解釈して見届けたい。
 私は、トカゲとは完全に別の人格と体積を持った一人で、立派に野垂れ死にしたい。たとえば、さっきの猫みたいに。
 トカゲは一匹の犬を飼っていて、その犬もえらく不恰好で洒落臭い。私は犬も子供も男も女も年取ってるのも若いのも死んでるのも生きてるのも大嫌いだ。反吐が出る。あと、マッチングアプリで知り合った縁みたいなのも嫌いだ。元彼が浮気をしだした原因だから。そもそも私は恋愛なんていうのは人間同士がやるものではないと思う。出会いそのものはそこらじゅうにいっぱい落ちている。愛し合い方さえ心得ることができたら、道端に落ちているシケモクや潰れたハイボールの缶にも愛情を注げるのだ。一方的である方が、より純度が高くていい。全然期待していない方が少しでも意思疎通できそうな兆しが見えたときの喜びが増幅される。
 ところで、只今、素面である。うるさい、喧しい。耳に入ってくる音が全て気に障る。苦しい。何もしてない。「普段何をしていますか」という質問が何よりも答えにくい。普段、そりゃ寝て起きて、殺して、食って、排泄して、それ以上の経済活動も社会貢献もしてねえよ。そもそも、社会とはなんぞ。小学生の時やたら地域社会について叩き込まれたがほとんどが限界集落に陥っている現在、私にはさっぱりわかんないね。
 本当に私はトカゲ以外に興味を持つことができない。自分にもあまり興味がない。明日、悶えて焼け死のうが、ミミズと一緒に埋められようがどうとでもなればいいと思う。しかし、今、この爆音が鳴っているのが許せない。
 いつもトカゲが聞いているという曲をサブスクで聞いてみた。良さが全くわからなかった。高熱でうなされているときに禿山の一夜を歪ませて聞いたらこんな気分になるんじゃないか、という聞いているのが非常に苦痛なパンクロックだった。タイトルはKILLFISHだったと思う。メダカの学校なら、サボっても怒られないんじゃないかな。
 トカゲはよく学校を休んだ。いつも鬱々としていて、ここではないどこかを見ていて、私はそんな眼差しに気がつく度、苛々した。私のほうがその感情をうまくこなしていけるはずであった。彼女の頭に鳴り響いている轟音を理解できる人間は誰一人いないと思う。これはとても残念なことだ。でも、それは海猫が何を言っているか人間に理解できないのと一緒だ。それにトカゲにも私の言葉は届かない。言葉が描く放物線はいつも、半分も飛ばないうちに墜落するから。
 私はトカゲに会うたびに、死なないでね、っていう。死んでもいいけど、ともいう。優しさがわからない。今すぐ首を絞めてあげる優しさも存在すると本気で思っている。他の方法もたくさんあるけれど。全部が嫌だ。どうなればいい、とかは一ミリも存在しない。私はトカゲになりたくて、自分のままがよくて、単独が嫌で、完全に孤独になりたい。誰のためにもならない叫びをひたすら純粋に紡ぎたい。
 トカゲと意思疎通できたな、と思えたことは一回もない。足元に石ころが散らばっていたから、蹴った。知らない人の足に当たった。どうでもいいけどいい音じゃなかった。
「失礼。」
「ああ、」
 それだけで済んだ。
 今の人の被っていた帽子、ちょっとよかった。何の変哲もないパーカーのフードなのだけれど正面からみた首のラインが美しく見えた。
 例えば私は今スキップがしたくて、舞台に飛び出したくて、大気圏までジャンプしてみたい。同時には叶わない。着実に間に合わない。そういうことだ。
 頭の中の何%かを自動的に共有できそうな人間がトカゲではなさそうだということをもう3年も前から薄々気がついているというのに、私は「愛している」という言葉でコーティングしたまだ解きたくない甘い魔法から目覚めたくないのだろう。
 コインランドリーで腕時計をとかしたことがある。その出来事は、まだ出会っていないTとは共有できそうだと夢想する。でも、いくら思い描いても、その笑い顔は鉛筆を削っているときに反対側から出てくる木くずみたいに脳裏をチラつくだけだ。
 「どこにも行き場がない。」
トカゲがよく言う言葉だ。でも、私の方がその本当の意味を理解していると思う。細々とした出来事や何が始まって何が終わったと言うような安易な視点には飽きた。だから、私はもっと美しい混沌とした関係性をTに希求したい。
 始まって、終わりがある。それが嫌だ。序破急も秩序もどうでもいいから私はぽっかり浮かんでいたい。
 電車に乗るたびに自分に広がっている空洞が揺さぶられて何かに捕まりたい衝動にかられた。どうにでもなれ。犯罪や自殺や、薬物や、酒や、人間や、性愛や何かに寄り掛かろうが何も得るところがないことはこれまでの歴史が証明してきただろう。私はおそらく、餓鬼なのだ。何を手にしようとも飢えて止まない、全ては手中で燃え尽きる、醜悪な餓鬼だ。歩き続ける。君、と呼べる誰かもいないのに、君、を探す歌などを口遊みながら。破廉恥だ。業火に焼かれて消えてしまえ、お前など。
 一つ言えるのは、全く生活が苦しくないと言うことだ。衣食住はあるのである。レベルアップを望まなければ全てがうまくいっているのだ。目的もなく。目標もなく。服は古着。食はさておき、住居は狭いが雨風を凌げる。何が駄目だ?
 孤独。
 皆が直面する孤独。人に会ったからと言って埋められるわけでもない。虚無感ばかりが募る。
 トカゲもそうだ。彼女が消費するスピードは何か病的な不健康さを想像するほど激しい。教養があればそれを凌ぐことができるのか?誰かのために生きれば自分自身は救われるとでも言うのか?
 ほとんど身寄りのない人間のアカウントがあるとする。その持ち主が死んだらそのアカウントは浮遊霊みたいにネットの海で永遠に航海し続ける。座礁する確率の方が高いだろうが。
 私は餓鬼という鍵垢を持っていて、バッドに入った時に言葉を書いたりする。読み返してみると個人的すぎて、陰鬱で自分でも引くくらいだ。
 書いて、読み返したいやつだけスクショしてあとは全部消す。消すために書く言葉の方が多い。そもそも、本気で脳天から吹き飛ばしたいというような衝動を抑えるために書き始めたのに、収める理由さえエゴだと思ってしまう。
 本当も嘘も現実も夢も希望もない。誰だってそうじゃないだろうか。リアルだ、ネットだと誰もが線を引きたがるけれど、どちらでも同じことだ。全部同じだ。
 
『家庭も恋愛も友情も望まない人生。それこそがトレンドの生き方と言い張る自分の大した特長にも市場価値にもならないネガティブの才能を誰か買ってください。』

『やっぱりゲームは困難な方がクリアした時楽しいからかな。でも、死ぬやん。』

『近縁に産んでもらったことだけ感謝しろ、と言われ続けてそれに近いフレーズに対する反抗心が爆上がりしてるけど真理。生きるのは面倒臭いけど、悪いことばかりじゃない。でも、なんでこんなに私の周囲には薄幸が多い?勝手に幸せになって生きて、普通に死にたいだけだよね、みんな。』

『生きてるだけで価値があるとかじゃなくて、面倒なの。もう、大体わかったから、痛みまで経験して寿命待ってるだけなのはコスパ悪いよ。若者特有のコスパ、タイパ至上主義ですが、資本主義のせいです。他人のせいにしたがる餓鬼です。』

『産んでくれてありがとう、は親が言ってほしい言葉なだけだよ。間違えただけで言葉を期待するなよ、でも恨み出したらキリがないから潜在意識で子どもが選んだんだとか言い出すんだよ。誰のための命だ。生き甲斐も腐り果ててる。でもまだ死ねない。のは、怖いから』

『結局暇潰しを上達させるほかない。わかってる。生きたくても生きられない人。五体満足の自分の傲慢さ。でも、急に頭がおかしくなりそうになる。誰にも否定できない自分だけの事実。』

『誕生日に父の口から浮気してたことを明かされました。母の顔を見たことがありません。会えそうな機会は母が醜くなっていたという理由で父により阻止されました。母は産みたくなかったそうです。誰が得したんだよ。知り合いはそれを経て今があるというけれど。痛みの現在が。』

『いい大人が砂遊びしてたら、声をかけられました。岬はどこ?と。車に乗りなよ、って。自殺名所に連れて行くなよ。あんないい天気の日に知らない人と心中するほど愚かじゃないよ。』

『過去の作品、作者が亡くなったものしか愛せません。作者の人間的な側面が苦しいので。ラスコーの洞窟に動物を描いた人類とは友達になれそうな気がします。それにさえ裏切られます。』

『命の電話相談は出てもらえません。』

『カウンセリング行ってカウンセラーの悩み相談聞いたことがあります。』

『悲しみというナルシズムに溺れるな。くだらねえ。』

『天気の良い日に大切な人??には逝ってほしい。夜だったよ、野良猫の話だ。』

『不幸を数えても何にもならない。知ってるよ。でもどうしようもなくトラウマとすら呼べない感情や記憶に全てを盗まれてゆく瞬間があるわけだ。言葉がいらないのに、苦しいほど言葉が奪ってゆく思考回路。悔しいね。青いね。嘲り方も常套句じみて恥ずかしいね。』

『でもこんなに愚痴っても家も食べ物も服もあるんです。だめだ。何が、馬鹿馬鹿しい。この空虚な厭世。せめぎあいがうざったい。頭がだるい。誰も聞かなくていい。誰にでも聞いてほしい。餓鬼。歌にしろよ。絵に描けよ。言ってる間にさ。餓鬼。もっと墜ちてからいえ。』

 つまり、一度もあったことのないTに対する愛情を必死に自己投影することで繕おうとしているのだ。それはまるでコットンにおいた豆苗の種が脆い繊維を水にのばすような、インターネットの網の目をほどいて糸にするようなことだろう。
  ライターよりはマッチのほうが良く火の形が分かる。それは空気の流れを具象化する為の道具であるためだ。HangerとHungerが似た意味であるのはなぜだろう。空腹時に吊り上げられた断頭台が思い出されるようだ。
 ベッドと本棚があれば、この散らかり放題な部屋も少しはマシになるだろうか。床にモノを置かなければ足の踏み場は生まれるはずなので。
 だから?
 だから、なんだっていうんだ?
 だからこそ、じゃなくて。無価値であることを切実にその皮膚に刻み込めよ。総て刻一刻一刻と迫りくるその無意味や一枚布の上に只ひたすら書きつけた落書きこそが自分の時間であると断言されても泣かないでいられるくらい、透徹した冷淡さを持ったまま生きてゆけよ。
 それで、何だ?それが現実だとでも?自分が書いているものがフィクションであるのにも関わらず何か誰かを啓蒙するでも啓発するでもない文字列をどう読めというのだ。
 あの日、野球場で蛙が干からびているのを目撃した。埋めようと思って手が土で汚れるのが面倒くさくて埋めずに放置した、それだけが確実だろう。

2024/05/08

一年前ほどに書いていたらしいフォルダより発掘

 

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