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2024年初乗りで初詣&初撮り

前回の今更大晦日の話に続いて、今回も今更のお話(笑)
翌日の元旦に初乗り🚲&初詣⛩をしてまいりました。
こちらの写真もDiana Babyで撮ったものを載せていきます。
勿論、今年の初撮り📷です。


2024年初乗りはピーカン、元旦の天気はこうでなくちゃ。
永代橋で佃島の高層マンション群をバックに初撮り。


水路の上で。
うっすらとスカイツリーが見えますね。


深川東京モダン館をバックに。
昭和7年[1932年]に東京市営の食堂として建てられたおかれていた時代があったそうですが、その背景で一般に開放しています。
まあ、元旦は生憎空いてなかったんですけどね。

ところで、「東京市営の食堂」、今ではまず存在しないですね。
公営食堂というものが各地で置かれていた時代があったそうですが、その背景について、公式サイトでこう説明されています。

このような公営食堂の建設は、大正時代に諸物価が高騰したことで人々の暮らしが苦しくなったことで計画されました。具体的には、大正7年(1918)に起きた米騒動をきっかけとして、2年後の大正9年に神楽坂と上野に市営食堂が開業します。深川区には、関東大震災後の大正13年に黒江町49・50番地に仮設の深川公衆食堂が設置されます。この食堂は、大正15年に廃止となりますが、昭和3年(1928)に常設の食堂建設が計画され、昭和7年4月、東京市深川食堂として営業を開始します。

「深川東京モダン館」公式サイトより

云わば、市が貧困層救済のための食堂を設けたわけで、昭和12年に市営食堂が廃止された後も「深川栄養食配給所」と名を変えてそのまま戦後まで続いたそうです。


チャリを近くの駐輪場に置いて、富岡八幡宮へ。
毎年チャリでここにお参りというのが自分の恒例ですが、コロナ禍明けもあってひっきりなしの行列。
てか、みんな考えること一緒なんですねぇ、元旦にお参りというの。

見た目は新しめの神社ですが、この富岡八幡宮の創建は江戸時代初期と300年以上の歴史があるのです。
徳川幕府のご加護を受けていた、つまり幕府が”幕(バック)アップ”してたと言うことで、境内もかなり広い。


参拝路の両側には出店が並ぶ光景。
子供が射的屋さんに興じてる風景。
これってなかなか当たらないんですよね❓


境内にはなんと伊能忠敬の像。
実は江戸を出てからはこの近くに住み着き、日本各地に測量へ出る前には欠かさずこの富岡八幡宮におまいりしていたそうで、いわばゆかりの人物なんですね。
勿論、旅の無事を祈願していたんでしょう。
旅の前に伊能さんの像にお祈りするのも悪くなさそうです。


さて、お参りを済ませた後はチャリで足を伸ばして、初日の出ならぬ”初日の入り”を拝みに。


東京ゲートウェイ。
橋桁の下には富士山のシルエットがうっすら。
いまにも太陽が地平線の下に沈もうとする瞬間を撮ってみました。


別に持ってた”鯖缶カメラ”でも撮ってみました。
そのあとでデジカメでも撮ってみましたが、デジカメで撮った写真はこちら。


日が沈んたあとで”鯖缶カメラ”で撮ったゲートウェイ。
鮮やかにライトアップされ、富士山のシルエットもくっきり。
飛行機が飛んでいるせいか、光線が空に映ってますね。

好天だっただけあって、富士山を拝むことができ、元旦から幸先いいスタート、そんな気がしました。


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