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そろそろ、スイングしてみてもいいと思うんだ。【しまさんの読むRadio】

8月25日。


それは、僕の誕生日


毎年、年を重ねるたびに(といっても誕生日よりも新年の方が切り替えていることが多いけど)、こんな年になればいいなあ、というぼんやりとしたテーマを立てている。それも、「この年にこういうことが予定しているから」という起こることの根拠をある程度持ったことに対してのテーマである。

2021年は、こんなことを。

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こちらの目標、仕事上もプライベート上も「転換」があったので、それを楽しく健康に、と思って書いたものでした。


こんな感じで、年ごとにテーマ決めていたのですが、さらにその上位概念として、座右の銘がありました。


「人生送りバント」。


そんな座右の銘の話を。

統一テーマ「人生送りバント」

そもそも、この座右の銘を据えたのは、おそらく高校2年ころからだと思う。「思う」なのは、いつ頃だったかよく覚えてないだけだ。

僕は、中学から大学まで、約9年間野球部にいました。軟式→硬式→準硬式という経歴で。そんな中、いちばん得意だったのが、「送りバント」だった。

それは、ランナーを確実に進め、得点を取りやすくするために自分はアウト(つまり死ぬ)になる戦術だ。

誰かのチャンスメイクをする」こと、また自分が1つ頭抜きん出てできることとして、誇っていたことだった。それが生き甲斐(もはや死に甲斐?)だった。

noteでも書いていた。

「ユーティリティプレイヤー」「2番打者」。これが僕の目指す人生だ、と改めて気付かされた。
座右の銘「人生送りバント」は、ひとつ、決意なんだよね。
誰かの人生を救う、癒す、光らせる。
そのために、何にでもなる。
もちろん、ユーティリティは何かひとつ秀でたものがあってこそだが、もはや「何でも屋のプロ」という選択肢もありだなと考えてる。

このnoteの締めくくりには

だから、今を、楽しく、一所懸命に、(たまに休みながら)生きていく。人を輝かせる、そのために自分も渋く光る「0」番になる。しばらくはそんな人生を歩くことにしたい。

こんなことを書いていた。


でも最近思ったことがある。

そろそろスイングしてみてもいいんじゃない?


最近思うことは、「そろそろ自分の人生、自己犠牲で他人のチャンス作るんじゃなくて自らのバットで、確実にヒット打つ、ぎりぎり追い込まれても、力負けしても、粘りに粘って、流し打ちで打返す」ことが必要だと。

これまでは、チャンスメイキングしたら誰かが返していたから、自分は淡々と初球を送りバント(つまり死ぬ)していた。具体的にいえば、他の人が伸びることを身を粉にしてでもしてあげることだろうか。勉強教えることも含まれるかな。


それでよかった。


だってボクが生きることで、人生を送ることで、得をする、嬉しい思いをする人がいなかったから、だからボクは、いなくても良かった。チャンスで打てた人だけが勝者なのだから。僕に「勝ち」はいらない、とさえ思っていた。自分が関わったことで、あとから成功した、なんとかなった、そういう声が聞ければ良いと。


でも、最近は違うことを思うようになった。


それは、たぶん、自分のことを受け止めてくれる人がいたこと、「あんたがいないと俺ら攻めれんからさ」といわれたこと、そして、こうやってただただ書いているだけの作業を評価してくれる人がいること。


初めて、いや初めてじゃないはずなんだけど、意識するようになったことは、

「チャンスメイクに対して見返りなんていらない」
なんて自分に対しての大嘘をついてたんだなと、気がついた。

受け止める人がいる、感謝する人がいる、評価してくれる人がいる。

これまで、チャンスメイクとしての送りバントだと思い込んでいたことは、チャンスメイクではなく、言い換えればバントではなく、ヒッティングだったのかもしれない。

自分が評価されることが欲しかったから、人のチャンスメイクをして、できれば結果でた上でその先もお付き合いさせて欲しかったから、送りバントではなくもはやヒットを狙いたい、と思うようになった。

そう思うと、意外とスイングしてきているのかもしれない。ファウルも凡打もたくさんあるけど。いや、凡打でさえも一つの結果だ。


結果的に死んでるかもしれないけど、「生きる」ことも、もっと言えば「自らの生を輝かす」こともできる、そういう道として「スイングすること」が必要だと感じられるようになったのかもしれない。

バントでチャンスメイクして「死ぬこと」から、とりあえずスイングして「生きようとすること」、そしてヒットで打率を上げること。「失敗をしないこと」に甘えすぎないこと。なんならバントも失敗はあるがゆえに。


いいじゃない。人生は人の物じゃないんだから。

自分の欲ぐらい出せよ。自分も生きてご覧よ。


「すべては心の決めたままに」を今度こそ。

「普通の人生」というものがおそらくある(僕はないと思ってますが社会的な認知として)かと思います。
でもそれを選ぶのも選ばないのも、またどんな道を歩こうとも、信じた道ならば、「心の決めたままに」

だから、そろそろスイングしてみてもいいと思うんだ。なんならフルスイングで外野フライになってもいい。

そう思うようになった。


自己犠牲で死ぬ」のをやめて、
生きる」ことにしよう。


Happy Birthday, Dear 生きることを選んだボク。


次は、渋く「流し打ち」でも極めよう。
「人生流し打ち」で、巧みに生きていきたいと思います。

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