見出し画像

いまはちょっと楽しむとき【しまさんの読むRadio】

いま、ファイナンシャルプランナーさんに、人生においてお金どのくらいいるのか、どんな将来にしたいか、そしてどんなリスクに対してどんな備えがいるのか、という話を、生きてる中で初めて真剣にしている。

備えの話なので、「今後の人生を楽しむためにはどのくらいお金がいるか」「万が一病気になったら」「万が一働けなくなったら」という話をしているのだが、その中でなかなか面白い気付きをそのプランナーさんからもらった。

その人も、僕と同じく(?)、THE BLUE HEARTSやTHE HIGH-LOWSが好きな人で、僕のnoteの隠れファンなのですが、話している中でのこんな気づきが。

「失敗したら 最悪死ぬだけだから」

話している中で、人生において「結婚したいのか」「家とか車とかはほしいのか」というのを聞かれるなかで、「でも結婚した相手に先立たれたら寂しくてしんどくない?」とか「ライスワークできなくなったらしんどくない?」とか、自分で思ったことを話している中ででてきたこの一言。


「失敗したら、最悪死ぬ"だけ"だから」


まあ、本来、プランナーの人がこんなこと言ってはいけない気もする(なにせ、人生を豊かにするための、備えをしようって話をしてるんだから)けど、すごく腹落ちした。

この世の中において、「死んでいい」シチュエーションはないけど、「最悪死ぬだけだから(チャレンジでもしたいことでも何でもしろよ)」というマインドは1つ大切に感じた。


この言葉、見出しにも書いた、フレーズが登場する曲が、THE HIGH-LOWSの「21世紀音頭」である。

従前から、THE BLUE HEARTSの甲本ヒロト氏の考え方が大好きだ、って話はしているので、しつこいかもしれないが、ここまで「悟ってる」人はなかなか見当たらないので何度でもネタにしてしまう。笑

僕自身、まだ未練が沢山ある、言い換えたら「煩悩まみれ」と言っても差し支えない。

・今の会社やめたら、どうしよう
・今実家から勘当されたら、どうしよう
・今住んでる家から、出てくれと言われたらどうしよう
・今いるコミュニティで出てくれと言われたらどうしよう
・今仲良くしている人と一切連絡が取れなくなったらどうしよう

簡単に言えば「不安症」なのである。多くは杞憂に終わることもあるけど、そうでないこともあるし、逆に「まったく不安に感じてなかったことが突然ドンとくる」ということもある。その「ドン」に対する不安さえもある。

※実は、自身とある傾向によるものでもあるので、それについてはどこかでまとめようと思う。


ただ、上記の不安は「なくなることは一切ない」ので、じゃあどうしようか?となったときに使えそうな(少なくとも薬のひとつにはなるであろう)考え方が

「失敗したら、最悪でも死ぬ"だけ"だから」

ということなのかもしれない。言葉の威力というのはすごいもので、「だけ」という言葉で「なんだ、そんなもんか」と思えてしまうということだ笑

自分が死んだとしても、世の中はうごいていく(諸行無常)。

今通勤に使っている電車は廃業にならない限り動くだろうし、実家のお寺にはお参りに来る方がいらっしゃるだろうし、今いる家も誰かが住むだろう。

この世の中、「自己責任」が強いのは間違いない(よろしくはない)が、失敗したら、「最悪死ぬ"だけ"だから」、と思うと、「じゃあ明日〇〇さんと会おう」「ひとまずLINEしてみよう」という気持ちになる気がする(腰が重すぎる)。

だから、とりあえずやってみよう、というマインドが生まれているのかもしれない(一方で多動すぎてキャパ不足になっていることもあるが)。


ちなみに、その話が出たのは、「パートナーと過ごせるようになりたいか?」という問いに対して、「結婚はしたいけど、その最愛のパートナーが早くに亡くなってしまったら、生きる気なくなる気がするんですよね」と答えたとき、それに対しての回答だった。(居なくなったら、生きる気無くすくらいのパートナーという点ではすごいのかもしれないが)

今はちょっと楽しむとき ちょっと笑うとき

画像1

ここまでを読む限りだと、「死」を完全肯定しているみたいに聞こえるけど、そうではなくて、「生」の間に、死ぬほど不安は出てくるのだから、「最悪〇〇」というマインドは大事なんだろうな、ということである。

「21世紀音頭」の「最悪でも死ぬだけだから」の後には、こう続く。

今はちょっと楽しむとき
ちょっと笑うとき

要するに、「だからいまは楽しく生きようぜ」ということである。


今の会社やめるとき、地元を出るときはいつか来るかもしれないけど、「いまはちょっと楽しんでこうぜ」

今いるコミュニティや仲良くしている人とはいつか別れを告げるとき(告げないといけないとき)が来るかもしれないけど、「今はちょっと楽しむとき、ちょっと笑うとき」なんだよって。


そう考えると、いま楽しめることを探そう、っていう気になる。


さらに歌詞の中で繰り返される

だって楽しいから だって楽しいから
だって楽しいから だって楽しいから

FUN FUN FUN TIME
FUN FUN FUN TIME

この歌詞に、もし補足するならば

だって楽しいから生きているんでしょ?21世紀まで生きてみちゃったんでしょ?FUN TIME!(生きている今を楽しもうぜ)

というところだろうか。

当初聴いているときにはあんまり感じなかったけど、「諸行無常」を歌っている曲だとは思わなくて、すごい気付かされた。

気が付いたら、21世紀も1/4を迎えようとしているのだけれども、いつになっても「諸行無常」は変わらないし、たぶん「それぞれの思うように生きなさい」という不思議な圧力(そしてそれは自己責任の押し付けでもある)がさらに強くなっていくだろう、たぶん。

だから、「失敗したら最悪死ぬだけだから、今はちょっと楽しもう」と、そんな言葉が、薬になりえるのかもしれない。


だからこの言葉をかけ続けようかな。

FUN TIME!(いまを楽しめ!)

THE HIGH-LOWSの「21世紀音頭」全歌詞はこちら▽

バックナンバーで、「今を楽しもう」的な話を書いているnoteはこちら▽

「新しい日々は探さずとも、”今ここに”」

「永遠なんていらないよ 僕が欲しいのは今」

「探し物が あるのではなく 出会うものすべてを 待っていた」


しまさんが気分で書いています。「感動した!」「今後も楽しませてください!」と思ったらちょっとサポートいただけると日々の筆がさらに進んで面白い記事を書きたくなります!