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”しまさん”を採点する”僕”の話【しまさんの「読むRadio」】

こんにちは、年末年始は考え事せず手をなるべく動かすことにしたしまさんです。

突然ですが、あなたはこんな経験ありませんか?

何かをするときに、セオリーを学んだがゆえに、セオリー通りできているか後から採点していること。
または
セオリーにのっとって動いているのに、全然うまくいかないこと。

僕はこの経験がめちゃくちゃ多いです。特に「新しく挑戦すること」

"学べば勝てるさ"の幻想

以前、僕が書いたことがある記事で、「自分が「しまさん」にならざるを得なくなった理由」を書いてました。

書いた当初、めっちゃ反響があって驚いた。特にFacebookアップした時の反響がすごかったですw

僕がこの記事を書いてから挑戦したことは、そのまま下記の3つでした。


「友達として、悩みを打ち明けていくこと」
「知見を持っている先輩に素直に相談していくこと」
「好きになってほしいから好意を伝えていくこと」


それぞれ、大げさな言い方でなく、ものすごいチャレンジでした。

上二つはほぼ完ぺきにできました。とはいえ、セオリーも何も言いたいことを言った、言う相手をしっかり探しただけですが。


じゃあ何かをするときに、セオリーを学んだがゆえに、セオリー通りできているか後から採点していること、セオリーにのっとって動いているのに、全然うまくいかないことってこの中でどれか。3番目である。


「好きになってほしいから好意を伝えていくこと」


まあつまり恋愛である。


伝えることはできたけど、あとがつながらない。信頼するのが怖い。言うことがプラスになるとは限らない(相手の感情次第だから)。


だから、もし伝えた相手がいて、そこから関係がスタートしたとしても、継続してお付き合いするには「セオリーがある」といわれています(というのさえ勝手な解釈かもしれませんが)。いままで一度も成功していない事でした。だから、「セオリー」を学び倒しました。

たとえば、先輩に勧められた本を読むとか↓

たとえば、Twitterで話題の本でご飯のお作法について学ぶとか↓

たとえば、恋愛コラムを読むとか。

たとえば、男女は平等だよね、というライフスタイルにすりよってみたりとか?(ボクは男性っぽさが少ないといわれることが多いので)↓


とまあ、いろんな学びをしてみました。

最後のやつに至っては、学びというよりは「女性がありえない」とこれからの感覚としてあるものを先取りしに行っている感じでしたが。

そして、男性として「そうそう、ボクもそれはありえないと思う」と宣言することがブランディングにつながると思ってやってました。


ただ、こういうのって、セオリーにのっとって動いているのに、全然うまくいかないことなんかザラなんですよね。相手の気持ち次第だし。

でも、セオリー学ぶと、なんかうまくいく気がするんですよね。だって、今までは学びが足りなかったから、うまくいかなかったんだもの。


でも、最近気が付いたんです。セオリーを学んだがゆえに、セオリー通りできているか後から採点していること、に。


僕が採点する"しまさん"

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具体例を挙げるとわかりやすいんじゃないかなと思いまして。


『LOVE理論』に登場する「うわっつらKINDNESS理論」の中で、「優しい人」は「内面・性格」じゃなくて「表面上の行動」で判断されるんやで、という記載があり、その「表面上の行動」をできているかどうかすごくチェックしている自分がいます。マジで。


ほかにも、「(圧倒的に恋愛経験が少ない)自分が心地よく話せている、心地よく過ごせているときは、相手が心地よくできるよう気を遣っているだけだから、気が合うという誤解に気を付けろ」といわれていたので、話す内容、話すタイミング、話し方は厳重チェックしています。これもマジで。


ここまでは恋愛ワンテーマで話しましたが、新しい事業(ブログ、イベント開催など)を進めるときも、「あ、これがない」「あ、これ読みにくい」と後から(場合によってはイベント中に)採点している僕がいます。


このことに気がついたのは、友だちの一言でした。



採点している「僕」のせいで「しまさん」は考えすぎたみたいです。
一緒に1日遊んでくれた中で、帰りがけに言われた一言でした。


一緒にいるときもリラックスできない。

楽しいけど、楽しめてない。

いろんなことができているけど、減点がたくさんある。


これらのことに気づかされたし、しまさんを採点している「僕」がいることにも気が付きました。


だからどう、という訳でもないんですけど、セオリーが豊富なもので、初めてチャレンジすることがあったら、セオリーを学び倒して、その基準で〇×つけているところがあったことを発見できました。


そういえば、Mr.childrenの曲「ランニングハイ」にこんなフレーズがあったのを思い出しました。

甲「理論武装で攻め勝ったと思うな バカタレ」
乙「分かってる 仕方ないだろ 他に打つ手立てなくて」
甲「威勢がいい割にちっとも 前に進めてないぜ」
乙「黙ってろ!この荷物の重さ知らないくせして」


甲と乙の2人の会話で始まるこの曲に、「!」とさせられました。当時18歳。
当時からかなりのガリ勉で、体育会系にいても「お前は勉強の方が強いから、ベンチでも気にしない」と同級生から言われてたくらいです笑


口だけはホントに強かったので、この曲聴いてから「あ、行動も伴わないとな」と思うようになりました。

だから、理論武装した上で行動するようになったんですけど、それは「理論に採点された最上の自分を作る」ということと同じになってしまったわけです。


それと、多分採点するようになったのはこんな言葉たちだったのじゃないかなと思います。


「そんなこともできないのか」
「そんなの常識」
「それはありえないわ~」


こういう言葉を言われると、もちろん「いい学び(失敗から学ぶ)」ではありますが、同時に「減点基準」が増えることにもなるわけです。

使う相手を本当に選ぶべき言葉かもしれません。ボクも言っていないか再チェックしたいと思います。


改めて、何かをするときに、セオリーを学んだがゆえに、セオリー通りできているか後から採点していること、している僕に気が付いたので、全く採点抜きで僕を受け入れてくれる人、それを探す旅に出ようと思います。それが2020年になるんじゃないかな、と。

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