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誕生日だったよ。

“僕が何とか自分の生活を維持していること。でも何処にも行けないこと。何処にも行けないままに年をとりつつあること。
                                                                           村上春樹『ダンスダンスダンス』”

先日、四十歳になった。先に四十になったお姉様方が

「三十五から五年の体感速度がヤバかった。歳は後ろから追いかけてくるものだと思ってたら、あいつ(四十)はにやけヅラで併走してくるから。めっちゃ俊足だから。注意しな」

とアドバイスしてくれていたのに、心の何処かで

「年齢なんてただの背番号☆」

と余裕こいていた私。そしたら来た。マジで来た。夜中に忍び込んで来た。
来たっていうか、居た。

夜中に突然息苦しくなり目を覚ますと、掛け布団の胸のあたりに石地蔵に擬態した四十が座っていた。驚きのあまり身じろぎすら出来ない私に構わず四十が語りかけてくる。

「三十から今日までの十年間、お前、何してた?」

私は何も答えられない。それなりに家庭を育んできた。朝晩炊事をし、掃除洗濯をし、花に水をやり家に飾り、町内会の会合に参加し、公園の草むしりや清掃、地域の登校児童の為に交通整備し、たまに小遣い稼ぎにアルバイトもした。しかしそのどれを取って私の十年間を代表すればいいのか。私がやったのは十年の空き箱にただ日常という緩衝材を詰め込んだだけではなかったか。
何も言い返せない私を見下ろして、四十が鼻で嗤う。

「勿体ねぇことしたな。言っとくけどここからの十年はさらに早いぞ。金が欲しくても、気軽に雇ってくれる店が減る。何にもないお前なんかに誰が何を期待すると思う?」

寝起きのぼんやりした頭に、てっぺんから冷や水を差された気分だ。日々をやりこなすので精一杯で、なるべく見ないようにしていた現実をこいつはわざわざ私の鼻先へ突きつけてくる。

「うるさいなぁ」

ようやく声が出た。

「そんな事言われなくても分かってるよ」

胸の上にどっしりと座り込んでいる四十に言い返したつもりだったのに、気付けば四十はそこになく、私の声は家族が寝静まる深夜の闇に溶けていく。

…という。地蔵の行方すら誰も気に留めない、残念なショートショートの導入部をしたためたくなる程この度の大台乗りが不安だった私だ。

歳を取るのが怖いと、この歳になるまで感じた事がなかった。自己肯定感は高くないけど、誰かと自分を比べて切なくなる時代はとうに過ぎてしまったし、好きなものや大切にしたいものは相変わらず沢山ある。そういうもので両手を一杯にして、零さないように生きていけるだけ自分は幸せなんだと思っていた。ただ、人生八十年といわれる今、自分が折り返しのポールを曲がってしまったのだなと思った瞬間、どうだろう。いつか足がもつれてしまうのではないかと急に不安になったのだ。もし転んでしまったら両手が塞がってるから受け身が取れない。抱えているものを、落とした衝撃で壊してしまうかも。手から離れた瞬間に無くしてしまったら?
失いたくない不安で、心がぱんぱんに膨らんで夜中に突然目が覚めるという事態が誕生日の数ヶ月前から始まった。そして悔やむのだ。大切なものを愛でるばかりで、守る訓練をしてこなかった自分を。鍛錬しなかった自分を。

noteを始めたきっかけも、自分が考えている事を編集してみたいからだった。自分は何が好きで、何を大切にしているか。どの方角を眺めている時が一番心地が良いか。どこへ歩んでいけばいいのか。それは転じて、自分の不安を見つめ直す事と同義になる。

私は本が好きで、漫画が好きで、読むのも書くのも描くのも好きで、落語が好きだから三味線を弾き、料理は作るのも食べるのも好き。新しい自転車が欲しくて、その自転車で何キロも先まで出掛けて、そこで見つけた面白いものや美しいものの話を好きな人たちに伝えたい。好きなものがずっと自分の中で輝いていてほしいから、それらを守れる自分になりたい。できれば自分の得意な方法で。

私の誕生日を知っているかのようにリリースされた岡崎体育の曲が泣ける。

私が下手な小説書くまでもなかった。言いたい事が全部ここに入ってる。すごいな体育は。

私は堪え性がない女なので、自分が感じたことは割とあっさり他人に打ち明けてしまうが、この度四十になるにあたっての不安を吐露してみたら、誰もが大変優しくしてくれた。いつもの与太話だと聞き流してくれても良かったのに、具体案をもって背中を押してくれた友人も沢山いた。三十からのこの十年は、親元を離れて自力で人間関係を築いた十年とも言える。優しい人達に囲まれた十年目で良かった。

"だからこそ更新 更新 素敵に歳を取りたい
おっさん おっさん 
数年後はもっとおっさん 
僕をあなたを学べる人になりたい
岡崎体育 『おっさん』"

これからの四十年はこれに尽きる。
「いずれ灼かれるときまで」、「更新 更新」。私、四十歳になりました。

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