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065.映画とその周辺/「クライマーズ・ハイ」と記憶を呼び覚ます事件

無職になったので、水曜日のサービスデイに映画に行くのを習慣にしようか、と考えていたのだけど、見たい映画がなかなかなくて行けていない。レンタル店も無くなったし、サブスクみたいなのに入ってないと映画も気軽に見ることもできなくなったみたい。

それで「梅安」に続いて、TV視聴。NHK BSでやっている、(この私にでさえ)とても古かったり、微妙な古さだったりの名作映画枠。昨日は「クライマーズ・ハイ」をやっていたので、ヒマだったので見た。

2008年の映画で、1985年の日航機墜落事故を地方新聞社を舞台に描いている。

1985年当時、私は高校生で近所の塾で小学生相手に先生のアルバイトをしており、そのバイト日にニュースを聞いたのをよく覚えている。父の友人で、家に何度も遊びに来ていたオジサンもこの事故で亡くなって、我が家でも衝撃の出来事であった。
同じ年の冬、予備校仲間との飲み会で帰省していた東京の大学生の先輩たちが「キングコング」の替え歌で「日航ジャンボが落ちてくる〜」と歌っていたのも印象に残った。事故の死傷者が関西の人が多く、東京では人ごとであったので、このような替え歌が流行ったのではなかろうか、という説明をする人がいたが、人ごとながら強い衝撃と生き死に対する感慨が大きかった出来事だったために、不謹慎かもしれないが、歌わずにおれなかったのではないかな、とも考える。

ともあれ、これが私の、個人的な記憶と結びついた最初の大きな事件だったように思う。今でも日航機事故と聞くと、小五の子どもたちを教えていた夏の、暮れた空を思い出す。

その後で言えば、1995年の阪神淡路大震災では、揺れで家族みな起きてTVをつけ驚愕し、午後から御堂筋線の線路脇を歩いて会社まで行ったとか、2001年の同時多発テロのニュースは薄暗い部屋でアイロンをかけながら見たとかの記憶。2011年の東日本大震災の時は、会社で船酔いしそうな揺れを感じるも、高倍率のファンミーティング参加資格を得た友人の壮行会という飲み会を開いて楽しい夜を過ごした。お開きになってケータイを見ると、東京に住む姉を心配した親から何度も着信が来ていて(姉はその後無事と判明)、家に帰ってTVを見ると恐ろしい映像が繰り返し流れていた。

これらは大きな出来事であったので、誰しもが同様の記憶の結びつきがあり、たまに「あの時自分は何をしていたか」というような話題になる。

1995年の地下鉄サリン事件については私にはこのような記憶はなく、仕事が忙しくてTVやニュースをあまり見ていなかったのもあるし、日航機とは逆に東京在住の方と温度差みたいなものがあるかもしれない。

よく父は「三島由紀夫が自衛隊で割腹自殺」のニュースを聞いた時の驚きと、その時何をしていたかの思い出を語る。車の運転中にカーラジオのニュースで知ったそうで、聞かされる私には「車の運転中」も「カーラジオで」も何のニュース的価値もないのだが、本人にはその時の記憶がまざまざと蘇る大事なディテールなのだ。「クライマーズ・ハイ」にも出てきた、浅間山荘の立てこもり事件も同様の事件ではないかと思う。
同じ時代を生きた人たちの「あの時自分は何をしていたか」という括りでのつながり、共通の記憶・思い出だ。

映画は、全権デスクを任された悠木役の堤真一さんを主人公に、脇に出ている方々も今も活躍されている役者さんばかり。民放で放映されたタイミングでも見ているが、今見ると、堺雅人さんや田口トモロヲさんの若い姿が新鮮だ。神経質そうな記者役の滝藤賢一さんをこの映画で初めて見た気がする。そして山崎努さんやでんでんさんは全然変わってない!

この映画には新聞社の裏側的なことを知る面白さもあった。記事のデッドラインの決め方、足の引っ張り合いや営業、広告、編集の力関係などなど。前の会社で広告も担当していたので、たまに新聞社さんの広告営業の方が来社されたが、一度、前年まで社会部記者だったという方が営業に見えられて、「きっと特オチか何か大チョンボしたんやで」と噂したが翌年、無事に社会部に戻られていた。
デスクでタバコを吸っているとか、女性社員が極端に少ないとか、時代的なものも面白かった。私も前の前の会社では激怒してよくゴミ箱を蹴っていたので(わざと音のよく鳴る金属のを選んでいた)、悠木がゴミ箱を蹴っている姿が懐かしく、また、私も丸くなったと感慨深かった。

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