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050.日本語の誤用について思うこと

今朝(2024年4月24日)に朝ドラを見た続きに「あさイチ」をかけながら掃除や洗濯をしていると、番組の後半で中継が始まり、四国中央市のトクラさんが出てきて、ポチ袋を受け取りながら「大吉さん!いつも『こころばかりのもの』ありがとうございます」とのたまった。「こころばかりのもの」とは、贈る相手に対して謙譲の気持ちを表す言葉なのに、何を言っとるんじゃこのアホウは?と思い、私の聞き違いかもしれないと思い直してNHKプラスで確認したら、やはりそう言っていた。四国のNHKアナウンサーなのか、それとも地方のタレントさんなのか。

尊敬語・謙譲語の誤用で時々耳にするのが、食べ物を勧める時に「いただいてください」だ。同席している子どもや目下のものに「いただきなさい」や「いただきましょう」と言うならわかるが、お客さんには普通、「お召し上がりください」だ。

学生の時によく呉智英(くれ ともふさ)さんの本を読んでいた。呉智英さんは「『すべからく』と言う言葉は『〜すべし』とセットで使われるもので、『必ず〜しなければならない=必須』という意味である。『すべからく』を『全て』の意味で誤用しているのは、ただのアホではなく、阿呆なのに賢く見せようとして間違った言葉を使う二重のアホなのだ」と言うようなことを繰り返し書いておられて、私も「すべからく」って「全て」の意味だと思っていたので、気を付けねば!と思ったのだった。そして、なぜ間違って覚えていたかというと、そのような誤用した文章を繰り返し目にしていたからだと思う。呉智英さんが指摘していたが、世に文章を発表するような方々が結構誤用していて、校閲にも引っかからずに掲載されていたのだ。
なので、「心ばかりのものをありがとう!」とか「さあ、どうぞいただいてください」などとTVで流されると、そのような用例が正しいと思う人が増えて、間違いが広まってしまうのではないかと思う。

それで言うと、昔読んだ阿川佐和子さんのエッセイに、厳しくて有名なお父上の阿川弘之氏は「とんでもございません」と言うと烈火の如くお怒りになったと書かれていた。「とんでもない」の丁寧語は「とんでもないことでございます」であり、「とんでもない」で一語であるのに、「ない」の部分を切り離して、そこだけ丁寧に言いかえるのはトンデモナイことなのだそうだ。ナルホドな〜と思って、「とんでもございません」は使わないようにしていたけど、何年か前にお上の見解として、どちらでもOKとNHKニュースでやっていた。使う人が増えると、OKになるようなので、「すべからく」も「全て」の意味で、「心ばかりの」も「心を込めた」と言うような意味で使われる未来が来るかもしれない。

私が子どもの頃は「全然」と言う副詞は、「全然可愛くない」「全然ダメ」のように否定型でのみ使われる言葉であり、「全然カワイイ!」「全然大丈夫!」「全然OK!」と言うのは間違いであり、若者言葉であった。間違っているからこそ文意が強調されることもあり、多用され、今ではすっかり定着して、わざわざ指摘する人もいなくなった。

一時期、好きなアーティストが出るイベントが多く行われるので、よく「さいたまスーパーアリーナ」に行っていた。EMI ROCKSとかスカルシットとか(懐かしい。そしてどちらもなくなった)。我々は「たまアリ」と呼んで親しんでいたが、最近「若い人は『さいスー』と呼ぶらしいで」と聞いて、なんと小憎らしいのかと思った。「たまアリ」でええやん。こうして言葉(もヒトも)は古くなっていくのだ。

とか言いながら、新しい言葉の面白さもある。根強く生き残るものもあれば、その一瞬もてはやされたかと思うと、すぐに誰も使わなくなる言葉もあったりする。言葉は流れる川の水の如く、同じようでいていつの間にか移り変わっていくのである。
三省堂さんの「今年の新語」は毎年面白く見ている。

なるべく正しい言葉使いが伝わりながら、元気のある面白い新語が出てくればいいなと思う。

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