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【エッセイ】ドラゴンタトゥーの女たち

 人生の中で、死ぬまで覚えているだろうなって日が、誰でもいくつかあると思う。

 私は、初めて恋人ができた日と、初めて大失恋した日と、あとは、子どもを産んだ日。
 最初のふたつは、初めてのことだから、とってもよく覚えてる(失恋の方は、正直、忘れてしまいたい)。
 その記憶というのは、日付や季節、投げられた言葉やあらゆるきっかけや原因よりも、自分の心の動きが世界がひっくり返るほど大きくて、その震えが魂に刻まれている感じだ。
 初めてって、特別なんだなーと思う。特に、おセンチな気持ちがたっぷりと含まれている場合には。

 だけど、子どもを産んだ日のことは、初めてじゃなくても、魂に刻まれる。安産でも難産でも関係ない。そりゃあ、すごい出来事だからね。 
 そして、色恋と異なるのは、自分の心の動きはけっこう置いてけぼりということだ。

 もちろん、驚きや恐怖はあったし、産まれたときの感動はとてもとても大きい。実際、涙も溢れた。言葉にならない感情で。
 だけど、記憶を辿ったときに、それよりも鮮やかなのは、騒動の中、どこか冷静な目で捉えた深夜タクシーの料金だったり、産院の裏口の静けさだったり、最後に見たテレビ番組での芸人のいまいちな食レポだとか、産まれた日の朝の光のまっすぐさや、イタイイタイと叫びながら延々と廊下を歩く妊婦さんの姿だったりする。

 それで、
 出産の思い出は? 
 と聞かれたときに、私が真っ先に思い浮かべるのは、助産師さんのことだ。

 この件について、どこかの場で発表したいなあとずーっと思っていたので、今回エッセイという形で残せて嬉しい。

 助産師さんは、神様である。その理由は長くなるので省くけれど、きっと、出産経験のある人はみな頷くだろう。
 正直、産まれる直前にしか顔を出さない主治医より、何時間も(ひとによっては何十時間も)付き添ってくれる助産師さんに出産費用をお支払いしたかった。少しでも多く振り分けられるといいけれど…。
 ただ、ここで書きたいのは、そういう体制への批判とか職業への称賛ではなく、私に付き添ってくれた助産師さんに、眉毛がなかったということだ。

 深夜2時に産院のインターフォンを押した私。

 迎えてくれた助産師さんは、眉毛がなかった。

 お名前を仮にJさんとする。
 Jさんとは、定期検診のときにお会いしたことがなかったので、普段から眉毛がないのか、夜中だから眉毛がないのかは不明だった。私は痛みで朦朧とする頭で、「あれ、眉毛がない」とだけ認識した。
 しかも全剃りだ。
 人間って、眉毛の形が表情を決めるところがあるが、眉毛がないというのは、それはそれで、迫力だ。特にJさんは、目がクリクリとした美人だった。美人度が増してる気さえした。北欧のパンク歌手みたい。あ、北欧で思い出したけど、ドラゴンタトゥーの女に似ていたな。

 Jさんに子宮口のチェックをされ、今日は産まれないかな〜、と言われた。それでも深夜に帰宅させるわけにはいかないから、開院時刻の午前9時まではベッドに休んで様子を見ましょうということになった。

 えー。夜中にタクシー呼んで、上の子供の世話やらで身内にも連絡しまくって、ちょっとした騒動にしちゃったよ、恥ずかし。まあでも、お産あるあるだよね…と暗ーい部屋でひとり、ポツンと横になっていた。
 しかし、腹は痛いぞ。前駆陣痛(本当の陣痛の予行練習みたいなやつ)であっても陣痛というのは波がある。前駆であれば、それがどんどん遠のくはずなのに、遠のくどころか、どんどんビッグウェーブになっている気がする。
 30分おきくらいに、ドラゴンタトゥーの女ことJさんが様子を見に来てくれる。その度に「あ、眉毛がない」と改めてハッとしたけれど、そこにかける余裕もないし、慣れとはすごいもので、やりとりを繰り返すうちに、もはやハッともしない、馴染んだ風景となりつつあった。

 何度目かのチェックのとき、「あ、産まれるね」とJさんが言った。
 私は、「おお、やったあ(この痛みがムダにならなくて)」と思いながら、あとは産道が開くのをひたすら待つ、地味で壮絶な痛みとの戦いが始まった。
 Jさんは分娩の準備をしているのか、バタバタしている様子が隣室から伝わってきた。個人病院だし、深夜だから人手がないのだ。だけど、自分の呼吸しか聞こえないような夜の真ん中で、たったひとりで痛みと戦っていると、お産への恐怖に耐えられそうにない瞬間が何度も襲ってきて、私はとうとうナースコールをぎゅっと押した。
 Jさんはすぐに来てくれて、私は泣きそうな気持ちで、手を握ってください、と頼んだ。
 Jさんは、大丈夫よ、と手をしっかりと握って、しばらくそばにいてくれた。相変わらず眉毛はなかった。だけどその凄みが、何より、心強かった。

 それから、あれよあれよとお産は進み、私は二人目の子どもを産み出した。
 朝の7時だった。窓の外は、夜中の戦いが夢の出来事だったのかと思わせるような、清々しい夏の光に満ちていた。
 おぎゃあと声を聞くところまで付き添ってくれたJさんは、赤ちゃんを看護師へ引き渡すと、「おめでとうございます」と言って、退勤時間だったのだろう、そのまま帰ってしまったようだった。
 帰り道は化粧するのかな、なんてぼんやり考えた。

 経産婦だったので、入院は4日間だった。
 その間、授乳やら抱っこやらで忙しかったし、Jさんの存在はすっかり忘れていた。もしかしたら入院中もサポートを受けたかもしれないが、その時はきっと眉毛があっただろうから、Jさんに気づかなかったかもしれない。

 そして入院中に判明したことだが、Jさんだけでは、なかったのだ。

 夜中にナースステーションへ行くと、そこにいた助産師さん全員が眉毛がなかった。どうやら「夜勤は化粧を落とすべし」という方針の病院であるらしかった。
 20代のフレッシュな助産師も、定年間近のベテラン助産師も、みな揃ってドラゴンタトゥーの女だった。

 あれから7年。
 お産の記憶というと、赤ちゃんとの感動の出会いではなく、深夜に暗い部屋で、ドラゴンタトゥーの女に手を握ってもらったときの光景を思い出す。
 Jさん、もう小学生になりましたよ。
 その節はありがとうございました。


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