20230215 デイズ、読(モノたち、世)
https://note.com/shima_nami/n/nf91b96d1747b
毎日日記生活2日目
0214夜、theAtticのあと、帰りながら富士川1-1を聞きました。
岡崎にくらべてぱきぱき企画をやって回してく、良いなあ。
声の隙というか間合いがかなり深夜ラジオだなあと感じた初聞きのときを思い出した。たしかアプリで、バイトに向かう郊外道を歩きながら、聞いたんじゃなかったかな。結果富士川が一番肌にあったんだ。
朝。
ちょうどテレワークにしていたのでのっそり起きる。洗濯を回す。寒いけど乾いた風が吹きまくってるから乾くでしょう。
テレワーク回線が細すぎて仕事もまともにできない、ぐったりやる。
昼休憩。回線があまりにひどいので午後出勤しようかと思ったけどやめた。
コーヒーをいれがてら、このまえの三条市で買ったお土産類の記念の写真を撮っていた。
三条についてはあらためて旅行記に成します。
ご飯にしながら双葉1-1
あ〜彩美さんがガルラジのコツを完全に掴んでいるのがすごすぎる。3人でホームの内輪の空気をやってるけど、リスナーはそう疎外感は感じない。個性をながめているだけで楽しい、どう展開するか楽しみです。
(この機会に、まったくシリーズを知らない、初聞きの耳のテイで聞き直そうと思っています)
午後の仕事もおんなじ感じ。何も無い。
読
https://twitter.com/Shimahaa/status/1624679413874065411?t=xi9XOmKXgwBA-f1Pjd6KPA&s=19
これのものづくり・技術関連の章を読み終えました。簡潔なんだけど、前後の章と端正に理屈が組んであるから、迷うことがない。
我々は手作業の道具を介して世につながる、という言い回しがあり、うまいなと思いました。区切られ量化された「世界」ではなく、もっと主観的でやわらかく時間と空間方向に不明瞭に広がった「世」につなげてくれるのが、道具であり、道具を通したDIY(∈生活)の営みだ。
仕事のことを考えた。
仕事場は、その名の通り、「世」ではなくまた世界でもなく、もっと客観的で力学的な「場」でしかないようです。いまやわたしは任意の同僚を信頼していないし、かつ、任意の同僚はわたしや他の同僚を信頼していないと信じているし、かつ、職場は任意の同僚が信頼しあうことを求めていないと知っている。わたしと同僚とは、力学にしたがってシンプルに運動しているのであって、あくまでもその衝突や転がりの法則の理解だけが重要である、と、まあようやく整理がつきつつある。
しかし。このたぐいの整理を得たところで、わたしにとって(わたしや周りのひとびとがよりよく生きることにとって)、一体なんになるだろうというのはある。
こういう気持ちが続いた今年であったなあ。
そのまましょうもない退職エントリとか仕事論noteとかを読みあさって、どんどん気分が落ちてしまった。
自分の昔のnote を読み返しました。
手前味噌なんだけど、当時の自分の気づきの記録には、いま労働でとかされた脳では、もうぜんぜん得られそうにないつよさがあって、なんか天を仰いでしまった。粗粗に書きなぐってひどいものですが、しかし少なくともわたしには、かれの言わんとする事がまあよく読み取れる。
てか交差点はやっぱりこすりがちですね。
これは本当に、そうでした。
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