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20210320-0323 帰ってる

帰りました。

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朝食

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おいしいね。

そのまま荷物を担いで東京駅、とにかく確実に座りたかったのでこだま号に乗る。昼飯はこれ

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引っ越し関連のもろもろで名古屋を歩き回る。

もともと土地勘の全くないところで、歴史的背景知識も持っていないから、こういう白紙の状態で徘徊するとなんでも新鮮に驚ける!こちらでは人定情報というか、街歩きのおすすめスポットをどんどんツイートしちゃう癖は治していきたいんだけど、たぶんすぐに名古屋徘徊なんでもツイートアカウントになっちゃうんだろうな…。

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だらだらしてはおれず、また新幹線に乗り込み、福岡に急行する。ほぼ満席の自由席にびびる。

広島で乗り継ぎ山陽線を走る。三原あたりから雨雲に突っ込む。2020年の間、あれだけ帰りたい帰りたい言っていた九州が近づくけども、不思議と落ち着いている。

関門海峡を抜けて博多。舞鶴よかとさんのファン会合に急行。おたくさんたちと会う。もう本当によいな…。

これは本当に旨い店。

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南進する。筑後地域を徘徊する。久留米の美術館に寄る

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高島野十郎について。中学生か高校生の頃に生誕百何十周年で特集があった記憶がある。濃い色を使って緻密に描く画風が印象に残っていた。ごつごつした手触りを誇張してでも伝えようとしたんだなというのが感じられる。月夜の中の闇のなかに沈んだ事物の、しかしそれでもごく薄い濃淡で判別がつく感じとかうまいなあ。たしかに闇の中ではこういう風にモノを判別するからな。

(ここに眠り展について話したnoteを貼るつもりだったんだけど、わたし日記書いて無かったな…。書きます。フリフラ額縁と絡めて書いてるつもりになっていた)

作家が働かせた想像力とか作家の視線とかを作品鑑賞を通してトレースする作業がすきですね。

それからこのまま柳川方面に向かって、服の採寸などをしてもらった。門外漢だったんだけど手とり足取り服の知識を教わりながらカスタム選んでいって、自分のこだわりポイントをしっかり語れる布が出来上がる。ガの布やフルグラTシャツを手に入れた時の嬉しさを思い出した。袖や裾に1cm単位でこだわっていくとその布について何を聞かれてもオタク語り出来るようになりますね。そういう愛着まみれの品が出来上がるのがうれしい。

それから西鉄に乗って帰宅。

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彼岸の墓参りをやって、市役所の手続きをこなして、おわり。

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墓を磨くのが結構好きです。ごしごしやって水を掛けて、ハイ終わり、とぽんと肩を叩きそうになる。石だから肩はないんだが

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役所では屋外まで待機列があるくらいの大混雑だったけど、脳内でサーバント×サービスOP「めいあいへるぷゆー?」をヘビロテしてにこにこしてました。イラついてる市民も大慌ての職員も全員萌キャラにみえてきますね

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門司に行きました。

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まあ書いちゃうんですがこれ関連です。

このときは記憶総量説みたいな雑な論を書いてるんですが、仏壇の前でいろいろ話してると、記憶の量ってそう簡単に減りはしないなという感想をもつ。いや減ってはいるはずなんだけど、生者の会話の中でぽんぽんエピソードが飛び出す、思い出されるスピードに圧倒されて、これだけこの会話の中で死者に対する印象が再生するなら、案外安心できるなというか。尻切れの感想の書き散らしで恥ずかしい。

記憶自体そもそも過去の出来事の保存コピーではなくて、生きてても常にうしなうし、人との会話やひとりでの思い出しのたびにしばしば捏造するようなやりかたでその都度生成しているものなので、こうやって生きてる連中が嘘みたいな本当みたいなエピソードを(本人が死んでるのをいことに)喋りちらしてる間は、まあ記憶相当のなにかしらの量が発生しているのかも、下手したら本人が記憶を語ることと違いはないのかもしれない。とか思う。書き散らし。

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小倉駅前アーケードの煙い純喫茶に寄ったり

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城をみたりして終わり。

夕暮れの特急、鹿児島本線、昔住んでいた町を高速で通過する。あの店やあの浜辺やあのともだちが思い出される。もはや嘘か本当かわからんノスタルジーに浸るけど、こうやってぶわぶわととめどなく思い出せている間はあの町を故郷と呼んでおけるんだろうなとは思う。

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