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そのことには触れない

触れないで、とその人は言う。そのことには決して触れないで。
わたしは開きかけた口を閉じ、舌の先まで出かかった言葉を飲み込む。

触れられることなく、静謐を乱されなかった痛みが、こうして彼女の中に留まる。光の届かない、生あたたかな臓器と臓器の隙間に息を潜めて。

そうして、凝る沈黙に身動ぎを奪われたまま、わたしは触れられなかったものの姿を考える。
それは、砂糖菓子のようにもろく、爪で弾けばたちどころに崩れてしまうものなのだろうか。あるいは、触れれば疼く傷のような、青みを帯びた昏い湿地帯なのだろうか。それとも、息を吹き掛けられるだけで金切り声を上げ、取り囲む人々を駆逐するような深い傷口なのだろうか。

想いをめぐらすわたしの目を逃れて、彼女の視線は降下する。そしてそのまま真っ赤なペティキュアを塗った足の親指を刺し貫く—自らで自らを穿つように。

今となっては、そのすべては想像だ。そうであったかもしれない、という仮定にすがる想像。せめてそうであればよかったのに、という後悔が孕む想像。

記憶の中の彼女は、永遠に引かない腫物をつねに内側に隠している。どんなに補強しても運ぶことの困難な壊れ物にも似ていた、と思う。
そして、想像上の彼女とは異なり、実際の彼女は「触れないで」を口にすることはなかった。「触れないで」を口にされなかったわたしは、ただ彼女の傍にいて、訝ることも、質すことも、責めることもしなかった。

アルバイト先のカフェに、16歳の彼女はやって来た。
真っ赤な唇に、ラウンド型の赤いサングラスをかけて。黒いタンクトップに、過激に穴のあいたベルボトムのジーンズを履いて。
そして、好奇の目を全身で絡めとりながら、窓に面したいちばん奥のテーブルまで進むと、濡れ葉色のソファー席めがけて重たいバッグを放り投げるように、ドサッと自分自身を放り込んだ。

オーナーの自宅の井戸から汲み上げた湧き水を沸かし、丁寧に淹れる珈琲が自慢のその店で、次の日も、その翌日も、彼女はブラッド・オレンジジュースを注文した。
滴るような血の色のジュースを、赤いサングラスをつけたままで、前方を見据えながら傲然とストローで吸い上げるさまは、差し詰めアマゾンの懐に潜む、鮮やかな色をした未確認の昆虫のようだった。
ジュースを飲み干すと、元気がなくなる。顔を窓に向け、街行く人を熱心に見ているようなその目は、赤いサングラスの奥で澱み、焦点を欠いているようにも見えた。

彼女が現れて5日目、わたしは声をかけられる。あなたと友だちになりたいんだけど、どう?

その人は、単身アメリカに住む日本人で、夏季休暇で帰国中だった。わたしは彼女より5つ年が上で、都内の大学に通う身だった。
仮に彼女をAとしよう — Aの実家と私の自宅が近いことがわかると、Aは毎日店にやってきて、私のバイトが終わるのを待つようになった。
一緒に電車に乗って、夜道を漫ろ歩く。帰るのはいつも私の家で、夕食は食べたり食べなかったりした。感情の起伏が激しいというより、今日と明日の服装が違うように、笑い転げながら喋り続ける日もあれば、海底に眠る魚のようにしんと鎮まる日もある。そして、送るよ、という申し出にはまるで耳を貸さず、22時を過ぎると、おもむろに口紅を引きなおし、外していたサングラスをかけて、〈ただ眠るだけ〉の彼女の家に向かって歩きだす。

赤いサングラスは、ジョン・レノンを模していること、自分の容姿と性格が大嫌いなこと、画家になりたいこと、6歳でアメリカにわたり、ニューハンプシャーに住んでいること。そうしたことをAはためらうことなく話した。しかし、どうして自分が嫌いなのか、どのような絵を描くのか、なぜ独りでアメリカに住んでいるのかについては、一切語ることはなかった。友だちの話が出た憶えはない。両親がどんな人たちなのかも。
なぜ、人間関係を構築する際に必要な基本情報といった類いのものを、わたしはAに訊かなかったのだろう?疑問に思い、差し向けようとする問いは、訊いてはならない、という勘のようなものに毎回打ち砕かれた。Aもわかっていたのかもしれない。わたしがそうしたことを訊かずにいられる、今どき稀有な人間だということを。

わたしのアルバイト先男の子が好きになり、彼の家に入り浸りはじめたかと思うと、アメリカに戻るまで残すところ半月というときに、突如マンションを借りて独り暮らしを始める。彼との話はあれこれしても、実家と距離をおく理由はとうとう明かされなかった。そして、ある日電話がかかってくる。
 — ハロー、Nちゃん?Aだけど。いまアメリカ。

Aは頻繁に電話をかけてきた。
先週から彼と暮らしてるの。美術の学校に進んだよ。結婚したんだ。離婚しちゃった。バンドマンと住んでる。ニューヨークで働きだした。そう、最近引っ越した。
どきどき日本に帰ってきた。
ハーイ、いま近くにいるんだけど。あしたの夜会える?職場に遊びに行っていい?いつイギリスから帰国するのよ?娘ちゃん可愛いだろうな、ちらっと見てみたい。

約束は、直前で反故にするためにあった。突然は、彼女にすれば至極当然だった。告白は、彼女が書いた脚本のセリフだった。相談は、いつも途中で砂塵と化して消えた。

そして、Aは頻繁にわたしの人生から消えた。突然音信を絶ち、居場所も告げない。そしてそれは毎回、わたしをして彼女の生存確認作業に駆り立てるほど、長く続いた。

初めてAの母親から連絡がきたのは、出会って20年目の夏、半年ほど連絡がとれなくなっていた花火大会の夜のことだった。
Aが退院して、わたしに会いたがっているという。
— 入院、していたのですか?
― ええ、何度目になるかしらね。恥を忍んで言いますと、アルコール中毒で。
問わずして彼女は滔々とAの半生を語り始める。

高台の我が家の窓に、煌めくナイアガラの滝が映る。美しくも壮絶に、砕け散る世界。

忍んでいるはずの恥はおろか、言葉に迷う気配すら見せないのは、おそらく何度も同じことを繰り返し説明してきたからだろう — 知り合いに、友だちに、学校関係者に、伊師や看護師に、通りがかりの人に、救急隊員に、そして次から次へと変わる恋人たちに。彼女が6歳から10歳まで受けてきたことを。その後の家庭の崩壊と、家族の解散を。

20年間、Aが封印し、わたしが触れずにいたことが、肉親の素手で勝手に掘り出され、許可なく白日の下に並べられていく。あの子もたいへんだったのですが家族もつらかったのです、と言って幕を引こうとする母の言葉を遮るようにしてわたしは尋ねる。
— すみません、それでAさんはいまどこにいるのですか?

癒すことはできたとしとも、治せないそれを、目で見ることはできても、抱えられるわけのないそれを、委ねてほしい、分けてくれたらいいのに、とささやく他人の微笑みと偽りの言葉の前で、想像の中のあなたはいつも戸惑っている。一歩足を踏み出しながら、両手で耳を塞ぐ。大きくかぶりを振りつつ、そっと後退りをする。

彼女がわたしに決して言わなかったことは、触れられることに耐えられないことだったのだ、と今ならわかる。サングラスで目を隠し、メークで素顔を封じ、饒舌で真実を覆い、爆笑で号泣を誤魔化し、追跡から全力で逃れるために、積極的に連絡をとる。独りでいれば安全なのに、独りでいられるほど健やかではない。そうやって彼女の触れられてはならない人生を、掌にある小さカプセルのなかに隠す。いざとなれば5本の指で、瞬時に握り潰す覚悟で。

隠したことに気づかないで欲しい、と願う彼女にとって、わたしは適切に鈍感だったのだろう。たはだ、もしかして、とわたしは考えながら、可能性という名のビー玉をひと粒、頭の隅で転がす。彼女は途中で気づいたのかもしれない。わたしにも彼女に伝えていない闇があることを。

(わたしも内側に腫れ物をもつ、土台の朽ちた廃屋のようなひと、その部分を他者から指摘されることのないよう最大限の注意を払いながら、ジョーカーを手の内に隠すポーカーフェイスでものごとを語りつづけてきたのだ、閉じられたカーテンの細い隙間から中を覗かれないようにカーテンをすべて開け放し、形の良い家具や重々しい絵画を形よく並べ立てて、いみじくもイーユン・リーが言っていたように、饒舌は沈黙のための最大の手段になるのだから。)

こういう人なの、と彼女に伝えれば良かったのだろうか。だからあなたのやり方を、わたしは充分理解できる、と。
あなたの埋めた穴の上を、素知らぬふりをして通るのではなく、知っていると認めた上で、耳を傾けるべきではなかったかと。

たぶんこの世には、一点の染みのない布も、一欠片の雲もない空も、一切の嘘のない人もいないのだろう。
わたしの親しい人たちが、わたしの知らない秘密を持っていると想うとき、わたしの心は安らぐ。何もかも知っている、という幻想はこの世の恐怖であり、ほとんどなにも知らない、という現実がわたしを裏口から解放する。
そのことをあなたに言えばよかった。嘘の多い人生でごめん、とあなたが過去形で書く前に。

彼女と連絡が取れなくなっていたころ、わたしは『腹部』という短い文章を書いた。
ときどき、なぜこんなことを?とあとで訝しく思うことを、ほとんど衝動的にわたしは書く。しかしそれは、引っ掻いたら流出した何か、欠けた部分を埋めるためのセメント、ぼんやりしたイメージをはっきり描くために必要不可欠な作業なのだ。

あのとき、わたしは彼女の非開示に気づきながら、自分の非提示にこそ辟易していたのかもしれない。

「腹部」

腹を割って話すことはまずない。そこはたぶん、胸のあたりに渦巻く思いが時間をかけながらゆっくりと沈殿した暗い沼のようなところだろう。意を決して切開したら、タール状の重くどろりとした黒い不穏が静かに流れ出すに違いない。

そうして私は思いの上澄みだけを掬い上げ、更に濾過して不純物を除いた明度が高く耳障りのよい言葉ばかりを舌先に乗せて話しているのだろう。罪のない穏やかな目をして。

アイルランドの巨匠、ウイリアム・トレヴァーの小説を折に触れ読む。彼の作品は小さな出来事についてのささやかな話ばかりで、登場する人々は、彼らの内に秘める思いの一部分しか語らない。そして彼らは、私たちの多くがそうであるようにさほど大きな不満を持たないもののさして幸福でもなく、靄のように曖昧な、しかし拭っても拭いきれない不安を恒常的に抱えている。

作家は、登場人物によって語られなかった言葉について語り、交わされなかった感情の触感や、示されなかった思いの在り処を暗に仄めかす。とてもリアルだと思う。人は自分自身について、思っていることの殆どを語りえないのではないだろうか。

このようなことを思うのは、拙い文をいくら書いても描いても掻いても私自身が抱え込む重い思いが一向に顕れてこないからだ。腹部は恐ろしく硬い。鋼のように頑丈で貝のように強情で、その内部の流失を死ぬまで拒み続けるのだろう。

夢でなら、あなたともう一度話せるだろうか。
腹を割り、タール状の重くドロリとした不穏をすべて掻き出して、漂泊するあなたの影に向かい、そっとささやくシーンを想像する。

でも、もしあなたが触れないで、と言うのなら、再びその目で容赦なくあなたの足指を刺し貫くのなら、わたしは、あなたが触れられたくないそのことについて、決して触れはしない。

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