未成年の鬱

これは個人的な回復方法だったので、それぞれにあった形がありますし、症状も違うのでひとつの事例として参考程度にお考えください


私は学生を卒業して間もなく鬱になりました

それは学生時代の消化できずにいた苦しい記憶、同級生の煌びやかな大学生活への嫉妬、自分の体質、職場環境、いろいろな要素が重なり合っていました

私が就職した先は大手のエリート会社で圧倒されるほどの優秀者ばかりでした

たまたま私の体質と相性が悪かっただけで、本来であればもっと長く働きたかったほど、素敵な会社でした

けれども私はある日プツンと糸が切れたように、会社に行けなくなりました


涙が止まらず、身支度することもできず、外にも出られませんでした

私が鬱になったときの症状としては、食欲がない、ずっと涙が出る、呼吸が整わない、ぼうっとして何も考えられない、外に出られない、体がだるくて動かない、などでした

泣き続ける私を見かねて、母が心療内科に連れて行ってくれました

診察の先生は人見知りで目が合わず他人を少し鼻で笑う人でした

勉強ができても、知識が豊富でも、相手の気持ちに寄り添うことのできない心療内科もあるのだと、学びました


ここで私は精神疾患の病名を与えられました

それは私が生きてきた上での生き辛さであって、初めてそれが病気なのだと知りました

その弊害的な理由で私は鬱となったのです

最初の1週間は薬を飲むとただひたすらに眠く、1日中寝ている生活になりました

何も考えられない、考えたくない、体がだるい、眠い

寝て起きて食事をしてまた寝て…

1週間私は食事とお風呂以外の時間ずっと寝てる生活になりました


次の週、薬を変えてもらい、眠ってる時間は多いものの、少し起きてられるようになりました

私は洗濯物を干すことから始めました

その次に、食器も洗うようにもなりました

その次に、掃除もできるようになりました

私は家事からゆっくりできることを初め、室内での生活がまともにできるようになりました

そこからしばらくピアノを弾いたり、漫画を読んだり自分の好きなことを自由にするようになりました

母がスーパーに買い物に行くから一緒においでと言うと外にも出られるようになりました

自発的に外出する気力は湧きませんでしたが、誰かに誘われて、一緒に、だったら外出することができました



通院を続けて2ヶ月ほど経つと私は病院の治療費が底をつきはじめました

心療内科はとても高いです

初診費用約1万円、その後は1週間ごとに診察代と薬代がかかり約5千円です

4回の通院で1ヶ月に2万円以上はかかります

初診以外の診察はなんの話も聞いてくれず、毎回5分もかかることなく終了しました

「薬が合うかわからないから1週間分しか出せない」とのことで診察代はどんどんかさみました

私は完治しないまま治療費を稼ぐためだけに仕事を探し始めました

1度失敗している中で仕事を再開することは、心底怖かったです

それでも治療費がなければ病院に行けない…

何かできることを探しました

診察代のために仕事を探してることを知った母は「あげるわよ」といいましたが鬱の状態の自分はまともに働くこともできず、家族に迷惑をかけているだけのお荷物だと自己嫌悪しています

家族に迷惑をかけてるのに、その上治療費をもらうことなどできませんでした

私は時間が短めな仕事を選び、リハビリとして始めました

仕事はまともにするものの、家に帰って泣いた日もたくさんあります


しばらく薬を飲み続けてましたが、頭がぼうっとすることはあれど、効果は実感できませんでした

それでも飲み続けていたのは安心感のためです

今朝ちゃんと薬を飲んだから、今日も1日大丈夫とロッカールームで自分に言い聞かせていました 


働き始めて数ヶ月後、私は自分の貯めたお金で大好きなバンドのライブに行きました

1人で東京に行き、初めてのスタンディングライブです

大好きなバンドの姿を生で見たのは初めてです

眩しいほどの照明、耳が壊れそうなほどのサウンド、私をこれほどまでに高揚させたものは今までありませんでした

東京の知らない街を歩いて、知らない人と話をして、ライブに行って、たくさん笑って、景色がキラキラと光る帰路を1人歩く中、自分が少しだけ元気になったことに気づきました

世の中にはこんなに楽しいことが山ほど転がっていて、私はもう大人で、自由で、どこへだっていける

苦手な先生のところに通院して、あんなに高い治療費を払うより、自分の好きなこと、楽しいことにお金をかけた方が絶対に良くなると思い、私は通院することをやめました


それでもしばらく飲まずに残っていた薬をそっと鞄に忍ばせ持ち歩くことは続けました

「薬を持っている、いつでも飲める」という安心感は自分にとって必要だったからです

よほど調子が悪い時にだけ気休め程度に薬を頼りましたが、もう自分には必要ないと感じた時に薬は全て処分しました



私はその後ライブにたくさん遠征するようになり、趣味に没頭し、自由を謳歌し、徐々に回復して行きました

回復の兆しはライブや自由に遊びまわれる楽しさでしたが、最後の決め手は『開き直り』でした

無敵の呪文は「なんとかなる」です

実際問題、全ての事柄がなんとかなって今の私があります

どれだけ失敗したって、間違ったって、学ぶことをやめなければ「なんとかなる」です



完治した私は鬱以前の自分よりポジティブに、明るくなり、人生は豊かになりました

鬱になってよかったとは言えませんが、人生においてこれもひとつの大きな学びだったと思います

自分が想像してた以上に鬱になる人は多く、私の周りにもたくさんいました

私がたまたま誰よりもはやくその時期が来ただけでした

そして友達が苦しんでる時に、

たくさん頑張ってきたんだね

何もできないよね

いいんだよ

眠りたいだけ眠ればいいんだよ

その次に洗濯物干すとこから初めてみたらどうかな?

できない日はなにもしなくていいんだよ

と伝えるようにしてます

「なぜ言ったことができないの、なんで治すためにやらないの、仕事はどうするの」周りに責め立てられることがたくさんあるそうです

私に相談をしてきた子たちもそうでした


鬱になる人はまじめで、頑張り屋さんが多いそうです

だからもし自分の周りの人が鬱を相談をしてきたらその人の話を聞いてあげてください

頑張ってきたんだねと認めてあげてください

何もできない事実を許してあげてください

そして何も言わないであげてください

それはきっと疲れ果てた心の癒しになります

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