共感覚について

私は昔から『漢字』に「色」がついている

そのことに不便もなければ便利なこともなく人に話をするほどのことでも無かったので特に疑問にも思わなかった

かといって他人が皆数字や言葉に色がついてるとも思っていなかった

もう少し大きくなってから共感覚という言葉を知り私の文字に色がついているのはそれなのだと認識した

共感覚の持ち主でも各々が持ってるものは違うらしく「音」「匂い」「形」「味」などを感じる人もいれば『声』『数字』『平仮名』『カタカナ』『漢字』それが何に付随するかもそれぞれ違うらしい

更に言うならば、私のように『漢字』に「色」がつく人がいたとしても同じ色がつくことはなくそれは人によって様々な色に塗られているらしい

だから共感覚というものを知ってからも誰かとその話をすることはなかった


私は漫画や本を大量に読むし日本語検定や秘書検定の勉強を楽しみながらしてしまう程度には日本語が大好きで日本語の美しさに魅せられている

先日、日本語の美しさについて想いの丈を語る機会があったのでその時に初めて他人に共感覚の話をした

この文章はまずこのフレーズがとても美しいし私にはこの漢字に鮮やかな色がついていてとても美しく感じているというような話をした

その人は共感覚というものを知識としては知っていたが自身には経験のないものだったので少し興味深かったらしい

いろいろな質問が飛んできて最後に「日常生活に何の支障もないなら、情報としては人より多く紐付けがされていて記憶が引き出しやすくなるからいいね」と言葉をこぼした

私にはこの感覚に得も損もないし話す相手を間違えれば馬鹿にされてしまうような代物だとしか認識していなかったのでサラッと褒められて驚いた

そしてその言葉が意識的にポジティブに考えたものでもなく褒めようとして出た言葉でもなくただ事実を述べたストレートなものだったことが何より嬉しかった


全く同じものに対しても物事の捉え方にはいろんな角度があり、性格や重視しているものによって視点は変わる

私と相手は簡単に言えば文系と理系、感覚派と理論派

なにかについて話し合いをすれば和解をできることはほとんどない

けれど自分では価値が生み出せないものに他人が価値を与えてくれることもあれば相手が気づいてないものに価値を見つけ出すことがあるかもしれない

だから人と人との意見交換は胸が高鳴り交わり会話をし心を話すことをやめられないのだ

共感覚ではない方数名にこの漢字にパッと色をつけてみてと言ったらみんなそれぞれ違う色をつけていて意識的につけてるので理由がある人もいてそれはそれでとてもおもしろかった

大人になるまで話したことのなかった共感覚だが私はこの感覚とはそれなりに上手く楽しみながら付き合って生きている




ちなみに共感覚について聞かれた質問の一部はこんな感じだった

Qいつからついてるの?

A.漢字を認識した幼少期からついてたからたぶん生まれつき

Q他の数字やカタカナに色はついてないの?

Aついてないよ

Q違う色同士の漢字が並んだときどうなるの?

A.ひとつひとつの漢字に色がついてるから並んでも変わらない

Q文字を書き出したり文章を読んでる時、色は混ざらないの?

A.私の場合頭の中でだけ着色されてるので書き出したりパソコンの文字をみても視覚的に色がつくことはないから色が混ざることもない

Qこの漢字は何色って聞いて1ヶ月後に聞いても同じ色を答えるの?

A.色が変わることはないから同じ色を答えるよでもこの漢字が何色かって考え始めると色がわからなくなっていくから感覚と雰囲気で捉えてるところが強い

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