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慎重な私が後先も決まっていない状態で会社をやめた話

私は27歳の時に転職しました。

正確にいうと,26歳の時に後先が決まっていない状態で退職し,約1年後に転職。

自慢じゃありませんが,私は積極的にリスクを取るタイプの人間ではありません。

石橋を上下左右から念入りに観察し,おそるおそる手でさわり,ためしに足で踏みしめる。ハンマーでコンコン叩き,ヒビが入ってないか確認し,通行人にあれこれ評判を聞いてからようやく渡る,とても慎重な性格です。

そんな私が,仕事に大きな不満はなく,人間関係も良好で,心身の不調に陥ったわけでもないのに、後先も決まっていない状態で,3年あまり勤めた会社をなぜポンとやめたのか?

退職や転職のタイミングに悩んでいる方の参考になれば幸いです。

社会人デビュー

社会人1年目を振り返ると,昼夜逆転のぐうたら学生生活を送っていたため,毎朝ちゃんと起きて会社へ行っている自分に「オレ,エラい!」と満足していました。

とてもレベルが低いですが,本当の話です(笑)

「石の上にも3年」という言葉が漠然と頭にあり,「どれだけつらくても,3年は辞めずに働こう。1年くらいで辞めたのでは,転職しても使いものにならないだろう」と考えていました。

今,振り返れば,それは半分正しく,半分誤りだったと思います。

好きとマネジメント能力

就職先は,新聞社の文化事業部。

企画から実行まで個人の裁量が広く,イチから作り上げる仕事はやりがいがありました。

信頼する上司が語っていた言葉は,「文化事業を実施するには2つの適性がある。1つはイベント好き。もう1つはマネジメント能力」。

おそらく,この言葉は多くの仕事に共通します。

そもそも好きじゃないと,情熱を持ったクオリティの高い仕事はできないし,たとえ好きでも仕事のマネジメントができないと,成功はおぼつきません。

周りの先輩や同僚を見ると,「イベントは好きだけど,マネジメントが下手」とか「マネジメントは上手だけど,イベントが嫌い」とか,両方を持つ人は意外と少ないようでした。

当時の私は,自分の適性を意識したことはなかったのですが,あるとき上司に「きみは両方の素質がある。もっと磨こう!」とおだてられ,「そうだったのか!」と気づかせてもらいました。

たしかに,イベント当日はアドレナリンが出て楽しく,一方でシミュレーションしてコツコツ地道に準備を重ねる仕事にもやりがいを覚えていました。

突然訪れた転機

イベントは,土日開催が基本。

充実した日々を送りつつも,平日は土日の準備を行うので休みが思うように取れず,給料も安かったので,「ずっとこのままでいいのかな?」と漠然と転職を考えるようになっていました。

それでも,いきなり無職・無給になることはおそろしく、次が決まらない状態で会社を辞めようとは夢にも思いませんでした。

退職するのは,次が決まってから。

なぜなら,実家を遠く離れた一人暮らしで,貯金もほぼほぼなく,不安定なアルバイト生活をするつもりもなかったので,無職になることは飢えることを意味したからです。

しかも,仕事そのものに大きな不満はなく(残業は多かったもののやりがいはあった),人間関係もまず良好で(苦手な人もいたが信頼できる上司や同僚の方が多かった),心身の状態も健康そのもので問題ない(若くて体力があった)。

慎重な性格の私が,「はい,辞めます」と決断する理由,大義が見当たりませんでした。


転機が訪れたのは,4年目に突入した春のこと。

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