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僕はボク、のペースで。

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立ち止まって。いろいろ考えて。 それでも、それが僕のペースだから。
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#補償なき自粛要請

「眠庵」柳澤 宙さん、5月16日の答。

―淡々と営業― 2004年、神田の古民家で開店し、2020年で16年。「眠庵(ねむりあん)」の柳澤 宙(やなぎさわ ひろし)さんの前職は化粧品会社の研究員、その前は大学で応用微生物学を専攻。世界を微生物の目から見る蕎麦職人は、人類未曾有の危機にどう対峙したのだろう? 世界が変わったのは、3回目 世界が変わったな、と感じました。 この感覚は、2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)、2011年の3・11(東日本大震災)と同じで、今回のコロナ禍が3回目です。 19年前の

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「ジョンティ」富田裕之さん、4月22日の答。

―お弁当の「じょん亭」と、持ち帰りの「ジョンティ」― 東京で10年。2020年5月で11周年になる、アルザス料理店「ジョンティ」。オーナーの富田裕之さんは、誰よりも早く危機に備え感染予防に力を注いでいた。「お店は開けるが、無理して来てほしくない」という正直な心の答は、お弁当の店「じょん亭」。ナイスなネーミングでみんなをくすっとさせながら、アラフィフのチームが難局をサバイブする。 レストランは危険な場所にもなり得るコロナ以前の1月、お客さんのインフルエンザをスタッフ5人中4

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「オステリア・ナカムラ」中村直行さん、4月20日の答。

―完全休業― イタリアのトラットリアのように、シンプルな伝統料理を丁寧に、ずっと作り続けてきた「オステリア・ナカムラ」。2003年に開店して、六本木で17年。中村直行シェフとマダムの幸子さん夫婦も、顧客たちもともに歳月を重ねてきた店は、約1カ月の完全休業を決めた。テイクアウトも一切なし。スタッフの体制、自分たちの体力、お店の体力を考え合わせ、「再開のために力を蓄える」という決断。 これはもう、お店を開けるわけにはいかない4月1日時点では、国や都から外出自粛の要請などはあっ

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「すし 㐂邑」木村康司さん、5月15日の答。

―クローズ― 今やミシュラン二つ星の「すし 㐂邑(きむら)」には、店主の木村康司さん曰く「どん底」の8年間がある。だから彼が「生きていればなんとでもなる」と言うのなら、それは綺麗ごとでなく、経験を伴う本心だ。何度でもゼロから始められるという自信を持って命を守る、クローズという答。 平等に、来週の分だけ、早いもの勝ち 僕、もうすぐ50歳になるんですよ。長年かけて自分が蓄えてきた知識や技術を、そろそろみんなに分けていく歳じゃないかな、という思いで、数年前から海外でお鮨を握る機

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「オード」生井祐介さん、5月9日の答。

―架空の3店舗― 「Ode(オード)」が『アジアのベストレストラン50(Asia's 50 Best Restaurants)』35位を獲得したのは、東京オリンピック延期が決まった3月24日だった。本来なら予約が殺到するタイミングでの自粛、休業。しかしみんなの心配をよそに、生井祐介シェフは3つのレーベルでテイクアウトを始めた。架空の店舗とその物語、音楽までキメる、その世界観はじつに痛快。 結果を出した、というほうが大事そう、それみんな言ってくれるんですよ。せっかくの『アジ

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「七草」前沢リカさん、5月7日の答。

―気配のお持ち帰り― 季節の野菜と、豆や干瓢、高野豆腐といった乾物が主役の和食「七草」。この店を営んで17年。2度の閉店危機を泣きながら乗り越えてきた店主、前沢リカさんは強くなった。「振り返ったとき、何のせいにもしたくない」から、どんな選択でも自分の意志。そういう覚悟で歩いていく。 お客さんの気持ちを想像してうちでキャンセルが出始めたのは、小池さんの会見(3月25日、週末や夜間の外出自粛要請)から。それ以前はむしろ週末がすごく忙しくて、世のなかは景気がいいの?と思ったくら

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「クインディ」塩原弘太さん、5月5日の答。

―複数のチャンネルを持つ― オーナーソムリエの塩原弘太さんを中心に、シェフの安藤曜磁さん、ソムリエの今田秀樹さんら3トップの、チーム「クインディ」。イタリアンレストランだが食材やワインも売っている。イタリアと日本、クラフトなプロダクト。さまざまなチャンネルをもつ店は、難局に強かった。 レストランがワインの小売もするということ なぜか2月から、ショップのワインが妙に売れていたんです。 今思えばその頃から外食控えが始まっていて、家飲み需要が高まっていたのですね。3月半ばを過

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「Ryukyu Chinese Dining TAMA」玉代勢文廣さん、5月5日の答。

―クラウドファンディング― 沖縄料理と中国料理とナチュラルワイン。深夜3時まで笑い声の絶えない「琉球チャイニーズ TAMA(タマ)」。ソーシャル・ディスタンスの時世になって、玉代勢文廣(たまよせ ふみひろ)シェフは「人との距離が近い」この店の存在意義を見失ってしまった。しかし、救ってくれたのはやはり「人」。常連客たちが立ち上げたクラウドファンデングだ。 映像を倍速で逆再生するみたいに「TAMA」っていう店は、奥のテーブルやカウンターでは仲間同士ワイワイやってて、入口の立ち

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「La Maison du 一升vin」岩倉久恵さん、4月28日の答。

―1軒で3軒ハシゴ構想― 数々の名酒場、レストランを手がけてきた女将にして、日本の食材や日本ワインの女将でもある、岩倉久恵さん。「Buchi(ブチ)」から16年。どんな逆境も乗り越えてきた彼女が、人生で初めて「休業」を選択、そして再開。みんなの女将は、常に誰かを、何かを「助けたい」と思っている人だった。 なんだろうこれ、なんだろう?浅草ってね、都内でもとりわけ、コロナの影響がすっごく早かったんですよ。(1月に中国・武漢での新型肺炎が話題になり)中国人観光客が多いイメージも

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「高太郎」林 高太郎さん、4月28日の答。

―昼吞み、夕吞み― 渋谷といっても、住宅街の桜ヶ丘。静かな路地にありながら、夜遅くまで人の絶えない居酒屋「高太郎」。店主の林 高太郎さんは2週間の休業を経て、4月23日に再開。夜の居酒屋から一転して、14時開店の2部制へ。都の要請による営業時間の制約から、昼吞み/夕吞みの新しい形が生まれた。 予約帳の名前を一つずつ消していく 「高太郎」は2011年3月29日に開店して、2020年で9周年を迎えました。27日までコロナの影響はほぼなくて、むしろお祝い週間で2回転目もずっと忙

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「何が正解なのかわからない」

自粛は要請するけど補償はしない2020年4月8日。緊急事態宣言が発令された、まさに1日目です。 私は普段、飲食に関わる人々――料理人やソムリエ、造り手など――について雑誌や本などに書く仕事をしていますが、この1カ月あまりは取材の先々でこんな言葉をよく聞きました。 「何が正解なのかわからない」 それは絞り出されるような、とてつもない苦悶の言葉です。 なぜ苦悶するのか。 国も都も「不要不急の外出」を控えてほしいといいます。密閉・密集・密接の「3つの密」を避けよともいいます。

「鳥福」村山 茂さん、4月14日の答。

―潔く休む― 3年前に上梓した『昭和の店に惹かれる理由』(ミシマ社)。第5章にご登場いただいた焼鳥「鳥福」は昭和7年、屋台から創業し、今年で88年を迎える。戦後の昭和25年からは渋谷・のんべい横丁に店を構えた、横丁の最古参だ。2代目の茂さんから、現在は次男の直人さん、三男の潤さんの代ヘ。若い二人を支えるのは、長年兄の片腕となってきた、茂さんの妹・美知子さん。 家族で営む横丁の老舗は、要請をどう捉え、何を決めたのだろう?2代目店主の茂さんに伺った。 家業の一番いいところうち

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「イタリア料理 樋渡」原 耕平さん、4月15日の答。

―休業のち、再開― 創業88年の老舗の次は、オープンしてたった半年の新店「イタリア料理 樋渡(ひわたし)」。やっと軌道に乗ってきた矢先のできごとに、オーナーシェフの原 耕平さんはいったん、店を閉じた。しかし約2週間の休業ののち、4月16日より短縮、ワンオペによる営業を再開。彼はなぜ、このタイミングで店を開けたのか? お客さんに相談したら休業は4月1日から15日まで2週間ほど。16日から再開です。休業の前と後とでは、一皮むけたと言いますか、僕は大きく変わったと思います。

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「マンナ」原 優子さん、4月15日の答。

―昨日も今日も普通です― 2001年、鎌倉市由比ヶ浜に小さなイタリア料理店「ナディア」を開店。一駅隣りの長谷を経て、2009年に一軒家を構えて「マンナ」と改め、鎌倉で計19年。原優子さんの料理は、背中をバン!と叩いてくれるような生気に満ちている。だから今回も、バン!とされたくて原さんに電話をかけた。前につんのめりそうなほどの勢いをもらいながら、地元の人の、この店への揺るぎない信頼を分けてもらった気がした。 今まで働き過ぎてたんだわ、私!お店は今日15日も、ランチとディナー

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