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1章|ひとびとが考え工夫してつくった大きな道具|【1】加古里子を手がかりに

絵本作家・加古里子の『あなたのいえ わたしのいえ』は、1969年に月刊「かがくのとも」第3号として出版された絵本です[図1]。なぜ屋根や壁、床やドアが必要なのか。住宅の機能・目的をわかりやすく説く科学絵本の傑作です。

ところで、加古がこの絵本を描こうとした動機には、いまだ浴室やトイレのない寄宿舎などに住む人が大勢いた住宅事情が背景にありました。そこには戦争の傷跡がありました。加古はこう書いています。

家の造りを屋根、壁、出入口、床、窓の順に述べたこの本をみて、専門の建築家はきっと笑われるでしょう。しかし、まだ戦災の名残が残っていた当時、浴室、台所、トイレのない寄宿舎などに住む人が大勢いたのです。そうした所の子に「自分が住んでいる所も立派な家だ」と思ってもらえるように描いたのが、上に述べた5つの要素となりました。

加古里子『あなたのいえ わたしのいえ』1969年

この絵本が発行された1969年の日本は、いまだ戦争の傷跡が残りつつも[注1]、その一方で住宅ブーム真っ盛りの時代にあたります。絵本を通して語られる加古の「いえ」観はこうです。家とは人が考え工夫してつくった暮らしの道具であり、暮らすのに便利な道具の集まりであること。そして、これからも工夫を重ねてもっと便利にしていくものであること。道具としての住まい。

同じく加古里子による絵本『どうぐ』(かがくのとも、20号、1970年)[図2]を読むと加古の「道具」観がよくわかります。

道具を考え工夫してつくり、その道具でもって豊かな楽しい暮らしをつくるのが「私たち人間」だといいます。「私たち人間」に期待した「豊かな楽しい暮らし」の実現。その集大成である「人が考え工夫して作った大きな暮らしの道具」が「家」だということ。

建築家にハウスメーカー、工務店、大工さん、そして住み手であるたくさんのひとびと、それぞれが「考え工夫して作った」歴史があります。昔から今に残る古民家は、近代化で社会や生活が激変する以前の長い長い時間を経て積み重ねられた「工夫」が込められています。そんなさまざまな「工夫」の歩みを知ることが「もっと工夫してもっともっと便利になる」ための学習の手掛かりになるはずです。

一方で『あなたのいえ わたしのいえ』は冒頭「いろんないえがありますね」と語りはじめ、多様な住まいがバラエティ豊かに描かれています。戦争という悲惨な体験を経た加古にとって、ひとそれぞれに自分らしく住まい、そして生きることを謳歌したのでした。わたしたちが生きる消費社会は、ややもすれば批判の対象となりますが、多様性や自由をもたらしたこともまた事実です[注2]。

古い住まいであれば価値があるのではなく、古いものを引き継ぐ価値や利点が実感されたからこそ、今に残っている。そして新しいものも、いずれは引き継がれる価値を持つものもある。そこに込められたいろいろな「工夫」を学習することが、よりより社会へ向けた第一歩です。古民家に込められた「工夫」の数々は、もういまでは再現することが難しいものがたくさんあります。多様性と自由を保つために、まずは失われつつある、古い価値あるものに意識を向けることが大切です。


1 敗戦後にあらわれた転用住宅(バスや汽車などを住宅に転用したもの)は、1970年代半ばま  で残っていたといわれます。
2 貞包英之は「消費社会がその根本において実現している多様性や自由をあくまで大切なものと考える。金を持つかぎりにおいて、私たちはこの社会において自分が望むものを何であれ、隙に買うことが認められている」と指摘する。古民家に住まうことの自由も同様(貞包英之『消費社会を問い直す』、筑摩書房、2023年)

図版出典
1 加古里子『あなたのいえ わたしのいえ』かがくのとも、3号、福音館書店、1969年
2 加古里子『どうぐ』かがくのとも、20号、福音館書店、1970年

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