見出し画像

「わたしの食歴」〜ありあまる、おいしい生活〜

私が生まれた時、両親はまだハタチそこそこだった。
社会人になりたての時期に子どもができて、しかも地元を離れなくてはならないなんて、今想像すればどれだけ大変だったかよく分かる。

それでも私は一切、大変な思いをした記憶はない。
むしろ楽しくて幸せな記憶ばかりだ。

あの頃何を食べただろうか…
一つ一つ、思い出してみよう。

■愛のおやつ

幼稚園の頃は帰ってくると手作りのお菓子が待っていた。なかでもパンの耳で作ったラスクは、1番のお気に入りだった。母にこの話をすると少し恥ずかしそうにするけれど、私は幼稚園でもらえるどんなお菓子よりも、これが大好きだった。

実は当時、なんとかやりくりしながらの生活だったことを大きくなってから知った。それでも私が喜びそうなものをいつも用意して待っていてくれたのは、母が祖母から受けた愛を私にもあげたいと思ってくれたから。
世代を超えた、愛のおやつだ。

■家族キッチン

休みの日には、家族でパンやピザを作ったこともある。
だんだん家の中に充満するあのふくよかな匂いは、今でも思わずにやけてしまうほど、よく覚えている。その他にも、餃子やコロッケなど家族みんなで何かをつくる休日が度々あって、私はその時間が大好きだった。

夏休みの宿題で「家庭の日」というテーマの課題がでて、私は作文を書いた。そこにこの話を書いたら、なんと町内のかわら版的なものに載ってしまった。「こんな風に書かれると恥ずかしい」と母はまた恥ずかしがった。でも事実だから仕方ない。だってそれが我が家らしさだと感じていたから。

■ご自宅キャンプ

小学校に上がる少し前、我が家はアパートから一軒家に引っ越した。庭を広めにとった一軒家は、「つくること」が大好きな両親達の手によって、あれよあれよという間にDIYハウスに仕上がった。

白い柵、レンガを敷き詰めた駐車場。南向きの窓にはおしゃれなデッキ。田舎の新興住宅地にそんな家なんて一軒もなかったから、わんちゃんを散歩する近所の人にジロジロ見られるのが、私は少し恥ずかしくて嫌だった。

「みんなと同じ=いいこと」
当時目立たないことを目標に生きていた私にとって、両親のやることは色々外れていた。それなのに、そんな我が家の生活をどこか嫌いになれなかったのは、完全にご自宅キャンプのせいだ。

夏の夜風に当たりながら、デッキで食べるトルティーヤ。トマトの酸味とアボカドのとろみにやみつきになると、「あぁ、しあわせだ」と微笑まずにはいられない。酸味の夜はぜいたくな大人味だった。

■たべるお庭

我が家にはおいしい庭もあった。
ピーマン、ミニトマト、枝豆、唐辛子、バジル、タイム、ローズマリーなど…
夕ご飯をつくりながら、母に「バジル摘んできて」と頼まれるのも日常茶飯事。庭仕事をする母の横で、唐辛子を触った手で目を擦った時は、はちみつを大量に塗られたのをよく覚えている。このあと我が家の庭から唐辛子がなくなったのはいうまでもない。これはちょっと辛い思い出。

■イカした小学生

そんな生活をしながらも、私はなぜかイカの塩辛にハマった。海なし県なのに。
お酒好きの両親の影響もあって、日頃から酒の肴になるものをいっしょにつまんでいたけれど、塩辛は衝撃的な美味しさだった。あまりの消費の速さに、「作った方が早い」と母は私にイカの捌き方から教えてくれた。皮を剥き、肝をとかして、しっかり日本酒をきかせた塩辛。私の酒好きは早くもここから始まった。

■春の親子パスタ

ある年の春休みは母の仕事が忙しくて、私が昼ごはんを作っていた。といっても、作れるのはトマトソースのパスタのみ。家で仕事をしていた母は、それでも「誰かが作ってくれたご飯というだけで嬉しい」と言って食べてくれた。結婚した今なら、その意味がよくわかる。はじめて誰かのためにつくるご飯は美味しいと知った、そんな春。

■温もりのトマトスープ

高校生になると、私の生活は勉強と習い事のバレエでギチギチになった。ハイペースの授業に必死で喰らいつくため、予習と課題の量は膨大だった。それでも勉強時間がないことを理由にレッスンを休みたくない。
高校からスタジオまで行く車の中で食べられるよう、母はいつも軽食を用意して迎えに来てくれた。高校2年生の春には、最後の舞台を控えていて、体を絞らなくてはならない。
母はそんな娘のため、カロリーオフメニューを考え、少しでも満足できるようにと工夫してくれた。あの時食べたトマトスープはプレッシャーを少し溶かしてくれた。

■やさしさの鶏団子

大学に入って地元を離れてからは…
ずいぶんと適当な生活をしてたのでとばす。笑
社会人になって、母もこちらに出てきてからは、夜仕事が遅い日、ご飯をあっためて待っててくれていた。私が帰る頃には朝早い父はもう寝ていたから、起こさないようにそっと鶏団子を口に運んだ。あまりの忙しさとストレスでキリキリした胃に、やわらかい食材たちが染み込んだ。涙腺のゆるむ心のふるさと。

■彼好みのジンジャーポークソテー

親元を離れてもうすぐ2年。
同棲したての頃は、作れるメニューが少なくて四苦八苦だった。
昨年から旦那に進化した彼は、今も食べた時の反応が正直なのは変わらない。口には出さないけれど、微妙な時はすぐわかる。そんな彼がバクバク食べてくれた生姜焼きは、我が家自慢の定番メニューだ。
この前ちょっとおしゃれなカフェに入ったら、ランチメニューに「ジンジャーポークソテー」とあった。どうみたって生姜焼きじゃないかと密かに反発して、その時はメンチカツを食べた。でもきっと彼だったら、新メニューだと思うだろう。そんな正直旦那とつくるおいしい生活は、まだまだ始まったばかり。

改めて振り返ると、今の私が「おいしい」を感じられるのは、美味しいものを食べたり作ったり、そして楽しむのが大好きな両親のおかげだと実感する。

そして今、私のパートナーとなった旦那もおいしいを一緒に楽しんでくれる人。これからは2人でまた新しいおいしい生活をつくってゆきたい。

以上、志麻の食歴でした。
皆さんの「食歴」はなんですか?
もしあったらぜひ教えてくださいね。


★Special thanks
今回ももちゃんの記事をきっかけに、私もごはんの話を書きたくなって書かせてもらいました。とっても素敵な記事です☺️



最後まで見てくださってありがとうございます。いただいたサポートはまた誰かの応援のために、使わせていただきます。