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「左利きは天才」にずっとモヤモヤしていた

「左利きなの?すごーい!」

左利きとして生きてきて、幾度となくかけられた言葉。
「すごいって、なんだろう?」とずっと疑問だった。

世の中は右利き用のもので溢れているし、誰かがやって見せてくれる手本は、全て反対だ。それらを自分がやりやすいように工夫してきたことに対する賞賛であれば、「すごい」は嬉しい。

でも、なんの根拠もなく「左利きって天才なんでしょ?」と言われると、「いやいや、そんなことないよ」とつい苦笑いしてしまう。

特に私の場合、字を書くのは右なので、社会生活の中ではなかなか左利きと気づかれにくい。ご飯を食べようかとなった時、初めて「おや?」という顔をされ、「あ、またあのセリフが出てくるな」とつい意識してしまう。

そんなふうに思いながらも、やっぱり「みんなとは違うことができる」という点では、なんだかちょっと得意げな気持ちもあって、私は自分が左利きであるということを気に入っている。


そうやって30年生きてきて、今回初めて左利きについて書かれた本を読んだ。

ご自身も左利きであり、かつ脳科学・医学を専門とする加藤俊徳先生の著作。その名も『すごい左利き』!

そもそも右利きと左利きでは、脳内で日頃から活発に動いている箇所が異なるため、脳科学的に見て、得意分野が違うんだよということが述べられている。

例えば、左脳ではたくさんの情報を、引き出しに整理するように保管する。一方右脳では、集めた情報の保管場所や優先順位は決まっておらず、同じ空間にさまざまな情報がぷかぷか浮いているような状態なのだという。右利きは左脳をよく使うので、情報が整理され、必要な情報をすぐに取り出すのが得意。かたや左利きは右脳をよく使うので、情報の蓄積はあるが整理されていない。なので必要な情報を咄嗟に見つけることが難しい。

別の側面で見ると、右脳に蓄積された情報は整理されていない分、何かアイディアを出す際に、意外なもの同士がつながって、独創的なアイディアが生まれやすい。そのためアーティスト向きともいわれる。

右手を使えば左脳、左手を使えば右脳が刺激されるということは、文系の私でもなんとなく知っているけれど、加藤先生が噛み砕いて説明してくれた「脳の使い方の違いから生まれる差」は、私がなんとなく「生きづらさ・やりづらさ」を感じてきたことそのものであって、「あぁ、だからうまくいかなかったんだ」「これは得意だったんだ」と改めて知ることができた。
(一概に左利きが理由とは言い切れないこともあるだろうけれど…)

思えば、私は昔から左脳的な「論理的な思考」が苦手だった。今でこそ社会で困らない程度にはなったけど、得意ではない。一方で絵を描いたり、何か独自の遊びを考えたりするのは昔から大好きだった。意図せず妄想があちこちに飛んでいくことも多くて、それがどこか人とずれているなと感じるようになってから、自分の中のよくないものという感覚がずっとどこかにあった。

だからかもしれない。
独自性を発揮していい場所というのは、私にとってすごく居心地がいい。
それでもまだセーブをかけてしまう癖は残っているけれど。



普段ならこうした系統の本は読まないけれど、この本はなぜか強く惹かれた。どこか直感的に自分のルーツに関わることを感じていたのかもしれない。

この本が教えてくれた。脳みそのどこをよく使っているかで、私たちの得意不得意が分かれているということは、「決して自分が劣っているわけではないんだ」ということを。

「すごい左利き」というタイトルで、一見左利きを持ち上げているように見えるけれど、本当のところは左利きがぼんやり感じていた「生きづらさ・やりづらさ」は、あくまで右利きの世界からみていたからそう見えるんだよと。

私は左利きの感覚しかわからないけれど、きっと世の中で教わってきたことは「右利き的なこと」がほとんどなんだと思う。ただそれはもう私の中では全く区別がつかない。それぐらいに私にとって右利き・左利きであることは、何にも特別ではない。だから、やっぱり左利きだからと言って天才だとは言い切れない。

でも左利きであることが私の思考に影響を及ぼしているのだとしたら、今の私は自分の思考回路を気に入っている。まとまりがないし、あっちこっちいくけれど、突然とんでもなく面白いことも起こる。

論理的思考に比べて落ち着きがないし、子どもっぽいからずっと抑えてきた。でもそれは自分の可能性を潰してきたようにも思う。

もうちょっと今年は、自分の思考と遊んでみたい。
加藤先生、自信を持たせてくれてありがとう。



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