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あの時、なにが欲しかったんだろう?
たまには自分のことを話してみたいと思います☺️
上手くかける自信もなかったし、あまり暗い話したくないという理由から、これまで過去のことについて話すのは、ちょっと避けてきました。
でも、どこかで書いてみたい気持ちはありまして。
自分がどう気持ちが変化して、どう「生きる」ことに関する考え方が変わってきたのか記録しておくことも、これからの自分にとって大事だなと、思うようになったんです。
ここから数年前にタイムスリップします✈️
拙い文章ですが、もしよろしければお付き合いください。
***
私が今の仕事についたのは、数年前。
その前は全く違う仕事をしていた。
前職は接客業。
それも上級の接客が求められる華やかな職場。
毎日目が回るような忙しさだった。
辛いことも沢山あって、あげたらキリがない。
それでも研修や、先輩たちから教わったことは鮮明に覚えていて、今の仕事に少なからず活かされている。
本当に右も左も分からない、脳内お花畑だった私にとって、日々学ぶことの多い刺激的な日々だった。
結局そこから抜け出してしまったけれど。
***
学生の頃の本当の夢は、学芸員だった。
でも、その就職率を聞いて唖然とした。
とても簡単になれるものではない。
狭き門なんて言葉じゃ足りないくらい狭き門だった。
大学3年の冬、お金が稼ぎたかった私はその夢に人生を賭けるよりも、一般企業への就職を選んだ。
お祈りメールどころか連絡さえも帰ってこない。
面接でも手応えがない。
どんな仕事をしたいか、将来どうなりたいか。
全然わからなかった。
自分を見失いながらも、なんとか御縁のある会社に出会い、私は翌年からの収入源・居場所が確保されたことに心底ホッとした。
博物館実習があったのは、内定をもらった少し後。
あまりにも楽しくて、ちょっぴり後悔もした。
でも現場の学芸員さんに言われたことは、今でもよく思い出す。
「本当にお金にならないよ。この仕事は。」
そうなのか。それでもやっぱりいいなぁ。
そう簡単に思ってしまうくらいに、やっぱり私の頭はお花畑だった。
今ならその言葉の意味が少しわかる。
***
当時私がお金を稼ぎたかった理由は2つ。
1つ目は、奨学金返済のため。
奨学金の中では少額だったけど、新卒社会人にとっては大きな借金だった。
2つ目は、推しのアイドルにお金をかけたいから。
随分砕けた理由だけど、私の大事なエネルギー源だった。割とこっちの方が大事だったかもしれない。
「自分で稼いだお金を、自分の好きなことに使う」
そうしている大人たちの生活に憧れていた。
実際新卒1年目は、自分の稼いだお金で好きなご飯を食べ、ちょっと贅沢な旅行をして、DVDやグッズを購入してライブにいく、そんなご褒美があれば、どんな辛い仕事も頑張ることができた。
それが変わったのはいつからだろうか。
気づけば、大好きなアイドルが今どんな活動をしているのかも分からなくなっていた。
帰りの電車で微睡み揺れて、早朝にまた同じ電車へ。
休みに出かける体力も気力もない。
休日にも何か私のミスで電話がかかってくるんじゃないか、そう思うと気が休まらず、こんなに悶々とするなら出勤していた方がマシだと思った。
気にしすぎだと思われるかもしれない。
でも気にせずにいられなかった。
いつだって自信がなくて、臆病だった。
ミスして怒られるのが怖い。
誰かに迷惑がかかるのはもっと怖い。
常に神経を尖らせて、抜けがないように。
お客様に対しても、同僚に対しても。
そんな生活をしていたからかな。
気づけば胃がキリキリないていた。
入社当時望んでいたお金は、毎月口座に入ってくる。
給与明細を見て一喜一憂するも、疲労と求める額は比例していて、疲れている時ほど「なんでこれだけしかもらえないのか」と文句ばかり漏れた。
当時は、大した出費もなかったのに。
使うとしたらたまの飲み会か、マッサージか、胃薬か。
疲れた心と体のケア費用。
年次とともに貰える額もちゃんと上がっていたし、それなりの金額だったと思う。それでも気持ちが満たされないことを、会社への文句に変えていた。
私、こんな生活がしたかったんだっけ?
一生懸命追っかけていたアイドル達。
もう追う気力もない。
かといって、他に好きなものってあったっけ?
私なにが欲しかったんだっけ?
何のために稼いでいるんだっけ?
休みの日に体のメンテナンスしかする事がないなんて、本当にこれで良いのかな?
本当は薄々気づいていた。
私にはこの働き方が合っていない。
目まぐるしく変化の多い日々。
頑張るほど成果も目に見える。でも…
日に日に「私」という存在はこの世で薄くなっていた。
それからしばらくして、仕事をやめた。
すぐに次の仕事にはつかなかった。
この期間にやることは仕事を辞める前から決めていて、すぐに始めたんだけど、ちょっとここでは話し過ぎになるので伏せておく。
収入のなくなった私には、使い道のなかった預金がそこそこあったので、ひとまず奨学金を一括返済した。
当初の働く目的だったから、一気にスッキリした。
その後僅かな退職金が入ったけど、税金の支払いでほとんど消えた。
さて、これからどうしたものか。
私は人生で初めて、自分がどう働きたいかに向き合った。
就職活動の時は、とにかくみんなに遅れをとらないようにと必死で自分の内面を見ていなかったから。
まずはお金について。
果たして私はどれくらい稼ぎたいのだろうか?
沢山稼ぎたいという欲は正直あまりない。
もともとあまりお金を使わないし、月に自分がそこそこの生活ができる額があればそれで満足してしまう。物欲もあまりない。
プライベートとのバランスはどうだろう?
前職ではいつの間にか、99%仕事になっていた。
休みもちゃんとあったけれど、気持ちの切り替えができていなくて、心配事で押しつぶされそうだった。
そんな生活はもう嫌だ。
私が本当に求めていたものは「心のゆとり」だ。
じゃあ、私にとって何が心のゆとりにつながるのか。
・美味しいご飯が食べられること。
・十分な睡眠時間が取れること。
・好きなカフェで時間を気にせずのんびりできること。
・本をゆっくり読む時間があること。
・焦らなくていいということ(せかせかするのが苦手だから)。
・ぼーっとする時間があること。
本当にごくごく普通のこと。
これらが満たされた時、私は「幸せ」を感じていた。
当たり前のことが当たり前にできる。
自分のペースで生きていける。
それが、私が求めていたことだった。
それから数年。
今私は、幸せだと思う。
前より収入は減ったけど、心のゆとりを得るための条件が、ほぼ満たされる環境にある。
それでも悩みは日々生まれる。
でも、ちゃんと生きて幸せを感じている。
noteというやりたいことができる時間と場所も見つけることができた。そこで生まれた出会いで、視野も世界も広がっている。
不思議と、ここ数ヶ月仕事もプライベートもフラットな気持ちで受け入れられている。どちらも悩ましい瞬間は訪れるけれど、「じゃあどうしよっか?」と心の中の自分とまったり前向きに相談できることが増えてきた。
「苦しみ」の先にしか「幸せ」はない。
そう思ってきた人生だったけど、最近になってようやく、苦しみを伴わない幸せもあると知った。
これは大きな変化じゃないかと思う。
残念ながら、今の仕事には期限があるから、この先どうなるのかという不安もある。
でも今、私は自分の幸せセンサーがどこにあるか知っている。
それはきっと生きる軸でもあるんだと思う。
その軸に沿う生き方をこれからも模索していこう。
あぁ、あの時の私も、今の私も。
欲しかったのは「生きている実感」だったんだな。
あの時の私。気づけなくてごめん。
これからの私。この軸を忘れないで。
これを締めとして、2021年9月の記録とする。
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