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経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話(その1~16)一気読みページ

経済的に破産した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。

(その1)ご挨拶
シロップ物語 2022年11月29日 09:56

 この物語は私達夫婦が13年前から今までに経験した実話を基に、登場人物などは架空の設定で書いております。
また内容も一部脚色しておりますので全て正しく記載されているわけではありません。
 私達夫婦はこの物語を通じてたどり着いた心境をお伝えし、皆様のお役に立てればと考え、二人で相談をしながら書いております。

 

人生には「良い出来事」と「悪い出来事」があるという。
それは本当でしょうか?
 
私たち夫婦が経験した「様々な出来事」から、
人生で起きる「良い出来事」「悪い出来事」について書いこうと思います。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。

(その2)出産
シロップ物語 2022年11月30日 14:53

初めてわが子を抱いた時、父親になったばかりの私は、生まれたてのわが子に「よく来たね、こんにちは」と声をかけました。
でもこの新米の父親である私は、この子が生まれる予定日のちょうど一ヶ月前に全てのお金を失っていた。
この子の父親は無一文になってしまった。
なのにこの子は無一文の父親の声に応えるかのように、抱かれいる父の腕の中で身体を動かした。
それは子供から父親への挨拶の様であり、頑張ってという「エール」の様だった。


経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その3)夫の自己紹介
シロップ物語 2022年12月1日 21:43

ここで夫なり父となる私の自己紹介をさせてください。
私は昭和39年生まれ。
人より優れているのは話術。
とにかく台本がなくても、いきなりの依頼でも
様々な話題でその場が盛り上がるスピーチや持論を面白く話すのが得意。

二十代は真面目なサラリーマンとして営業職、
大手商社のグループ企業で務めていたが
人間価関係に悩み思い切って30才で退社。
その後はビデオ店、結婚相談所、飲食店などを経営、
30代はかなり羽振りもよかった。
そして調子に乗りすぎていた私はついに45歳の時に 事業が行き詰まってしまい完全に経済的に私は破綻してしまった。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その4)幸せな瞬間と不安な未来。
シロップ物語 2022年12月2日 12:56

お産を終え妻が病室に戻ってきました。最後まで逆子を貫いた息子を、お腹から出すため妻は帝王切開で出産をしたため病室の妻にはまだ麻酔が効いていました。
その頃息子は産院の乳児の部屋でむにゅむにゅ動いていました。
その様子を見ながら私は心ではとても幸せを感じながらも頭の中は不安でいっぱいでした。

全てのお金を失ってしまった私の未来は真っ黒の雲で覆われていました。

なぜこんな状況になったのか?
この事を考ると私はある男の顔を思いだすのでした。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その5)ある男
シロップ物語 2022年12月3日 18:27

私は毎月数回通っている経営者の勉強会がありました。
そこは経営者としての「知識 経験 倫理観」など学ぶ事ができる場所でした。

この会の大きな特徴はホテルの会場で朝食をとりながら、大企業から自営業者または、これから起業をしたい人まで自由に雑談ができる事でした。

そんな朝食会を終え駐車場に向かうためエレベーターの前に立ったタイミングで目の前のエレベータのドアが開きました一人の年配の男性が降りてきました。



そのエレベーターから降り私が参加していた勉強会の会場にむかっていた男性は、田舎の企業としてはめずらしく、全国的に有名な運送会社の代表取締役社長 北野さんでした。

この北野社長は私の従兄弟の友人であった事もあり普段から何かと目にかけてくれる方でした。
北野社長と目が合った私は
『あっおはようございます』と普段通りの挨拶をしました。
すると北野社長は「おっ!君がいた」「ちょっといいか?」と言いながら、私の腕を掴みエレベーターの前から廊下の隅のほうまで私をつれて行き、「今日時間があれば会ってほし人がいる」
そして
「ちょっとその人の話を聞いてみてくれ、その人の話は君の仕事になると思う。」「悪い話ではないが、誰でもできるという話でもない、だが君ならこの話に向いている!ピーンときた。」と話しだしたのです。

私からの「誰に会うのでしょう」という問いに北野社長は「新住宅建設の会長の村下や」という返事でした。

この村下会長は私の地元のドン。
もちろん地元ではかなりの有名人。
その村下会長の話を聞いてみなさいとはどいうことか?
私のレーダーはこの話しに危険な影を探知しました。しかしその危険よりもこの話しへの興味と仕事として儲けられるのではという欲が勝ってしまい、
「村下会長に会いましょう」と即答していました。 

そしてこの話しを効いたのは妻の妊娠がわかる時期でした。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その6)妻の「予感」
シロップ物語 2022年12月4日 20:44

出かけていた主人が戻ってきたのは私が宿泊のお客様をお見送りした直後でした。
私はそのころ、実の母親と共に小さな温泉旅館を営んでいました。
ですからほぼ毎朝、宿泊のお客様へのお食事とお見送りなどで、多忙な時間でした。
そんなバタバタとした時間が終わり、一息つけるかなと思ったころ主人が戻ってきたのです。
そして主人は「今から新住宅建設の村下さんに会いに行く」「新しい仕事になるような提案を聞いてくる」と言いました。

その時私は、正直な印象としてはこの話に嫌な「予感」がしました。
なぜなら主人は良い意味ではチャレンジャー、しかしどちらかといえば無鉄砲な性格だからです。確かにこれまで他の人ができないと諦めた事を形にしたこともありますが、私からみてホームランを放つか、三振するかみたいなタイプの人だからです。

とは言え主人には何もさせずに、ただ反対や不安を口にしてもそのような意見は聞き入れない人でした。
ですから私はしかたなく「どんな話でも一人で決めてこないで」とお願いし「見た目には分からないけど私のお腹にはあなたの子供がいる事を忘れないで」と念を押し、不安な気持ちを抑え「いってらしゃい」と村下さんへ会いに行く主人をおくりだしました。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し
(その7)男との待ち合わせ
シロップ物語 2022年12月5日 17:36

 
私は不安より好奇心でわくわくしながら、村下会長から指定された待ち合わせ場所に向かいハンドルを握っていました。
待ち合わせに指定された場所は、我が家から車で1時間ほどの距離にある、人口6000人ほどの小さな町にあった、パットパットゴルフ場の旧クラブハウス跡地。
その小さな町の目の前には霊峰白山が見え、町の真ん中を白山から流れる豊富な伏流水を讃える大きな川があり自然に恵まれたとてもよい場所でした。

ここはドライブコースとして利用する人も多く、旧クラブハウス内には、以前はパスタが人気のレストランがあり ゴルフをせずとも食事だけの利用もできる施設でしたので私もよく利用しておりました。

 ところが久しぶりきたこの待ち合わせ場所は荒れ果ておりました。
この奥のクラブハウスに来いと言われていましたので、設置されている立ち入り禁止のバリケートの僅かな隙間を車で通り、雑草が伸び放題になっているパットパットゴルフのコースを横目にクラブハウスへと車を進めました。

旧クラブハウス前にはすでに北野社長の白いベンツが止まっていました。
北野社長はにっこりと微笑み車から降り「おっ来たか」と声をかけてきました。
「村下会長はもう来ると思う」
「ところで君ここで何かする良い案はないか?」と唐突に聞いてきたのです。

「はい?」と聞返す私。
私は提案を聞きにきたつもりでした。
逆に提案を求めれるとは想定外でした。
突然の質問に一瞬戸惑ってしまいました。

 その時です。
バリケートを抜け、生い茂った雑草の間の道をまっすぐこちら進んでくる黒塗のプレジデントが目に入りました。
まるで映画のワンシーンのようにゆっくりゆっくり進んできます。

このピカピカの黒い車こそ村下会長の車です。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し
(その8)うまい話し
シロップ物語 2022年12月6日 10:10

 目の前にとまった黒塗りの日産プレジデント。
ボクサーのような体型の男が運転席から飛び降り、素早く後部座先のドアをあけました。
座席には細身の白髪に金縁眼鏡のブルーのスーツを着た紳士が座っておりました。
その金縁眼鏡の男が北野社長に軽く会釈「はい、おつかれさん」と言い、車から降りてきました。
そして助手席からもう一人、魚の鮒みたな顔の男が降りてきました。
この状況からこの金縁眼鏡が村下会長だとわかりました。
その金縁眼鏡男は、歴史の教科書にでてくる豊臣秀吉が金縁をかけたような顔だと感じた。

豊臣秀吉画


「北野さんごくろさん。」
「この人が 例の彼?」
「いやー悪いね 今日はよろしく」と名刺を出してきた。

 その名刺は株式会社新住宅建設 代表取締役 村下吉男と書いてあった。
村下会長がつれてきた ボクサーと鮒男とも名刺を交換した。
そこには株式会社新リゾート開発社と書いてあり、役職はボクサーは経理、鮒男が常務と記載されていました。

私を除く4人は顔見知りのようでした。
すると村下会長は「ここ知ってる?」
「ここワシの持ちもんで、ずーとしまったままの建物なんや」
「そんでや、今度ここを粋な大人の趣味のお店を集めた街みたにするや」
「釣り、陶芸、盆栽、囲碁、将棋、趣味に特化したのお店を集めるや」
「そこでや、まずここのラブハウスで食事や休憩ができるように鮎の店をやってほしい」
「あんたにそれをせんかって話しや」
「とりあえず中を案内するからついてきて」と言い
そしてボクサーに向かって「おい正面玄関あけてくれ」と人差し指をあっち向いてホイのように動かし指示をしました。

指示を受けたボクサーの動きは素早く、すぐに正面玄関の鍵を開錠、高さ3メートルはあるであろう両開きのガラスのドアの真ん中に指を差し込み右へスライドさせた。
本来なら自動で動く巨大なドアが、ゆっくりゆっくりと両脇へスライド、昔し繁盛していた頃のレストランの面影を感じる施設中に風が吹き込み、建物の床を覆っていた埃が舞い上がりチンダル現象を起きました。

「どうや?君」
「ここに『金川』みたな 鮎 の塩焼きを喰わす店を作ってくれんか?」
「君、『金川』しらんか?」
お恥ずかしい話し、その時の私は金川さんを知りませんでした。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その9)鮎小屋「金川」
シロップ物語 2022年12月7日 10:25

「君、金川しらんか?」と村下会長から質問された私は、心で「知らん」と呟いていた。

村下会長が話題にした「金川」は隣の富山県で鮎料理が有名な「旅館金川」の鮎小屋の事でした。
その頃の私は鮎料理になんて興味はありません。
ですので金川なんてお店は知りません。
とにかく目の前の埃がたまった建物を金川にできるか?と言われて困っていました。

そんな思いを無視するように、村下会長は「とにかくあれをパクッて作ってくれたら絶対にうまくいく。」「頼む、やってくれ!」と話しながら施設の奥へと進んでいきました。

私は北野社長と目を合せました。
私はこの話は大丈夫ですか?と目で訴えました。
しかし施設中に村下会長のセールストークが響き、施設全体が村下会長のオーラに包まれて行くのを感じました。

一通りの施設内の説明を終えた村下会長は鮒男にむかって、あとはまかせるから二人で相談してくれと言い残し「一服してくる」と煙草をくわえ北野社長と外へ出ていきました。

 残された私と鮒男とボクサー3人の間には、なんとも言えない気まずい空気が漂っていました。
実はこの時の私はこの話は、おいしいのでなく怪しい話だと考え絶対に断ろうと決断していました。

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その10)若い妻に驚き
シロップ物語 2022年12月8日 09:40

私はこの時まだ世の中を舐めていました。
そう思っていたのは俺ならできるという何の根拠もない自信のせいでした。
その自信が原因で妻そして妻のお腹の中の子供にとても苦労をかけてしいました。

驚き
村下会長と北野社長は煙草を吸いに正面玄関から外に出て行きました。

二人がいなくなり残された 私とボクサーと鮒男はしばらく黙っています。

私はこの話は断ろうとこの時思っていました。
ですから断り文句を考えていました。
失礼にならない言葉を私のトーク用脳みそが選んでいました。
先にも書きましたが私はこのような台本がないトークが得意。
このぐらいの事を乗り切るのは簡単な事でした。

ボクサーが鮒男に 目配りをしました。
経理が常務に目で合図をすると鮒男は私に話かけてきました。
「どうでしょう?」
私は心のなかで「何がぁ?」と思いつつ顔に笑顔を作りました。
「どう?と言われても」「そのぉー」「私は金川を知りません。」
「ですからイメージが湧きません。」と断りトークを始めました。
すると鮒男が「私も最近会長につれていってもらったのですが、金川はなかなかいいお店でした。あれをコピーすれば儲かるという会長の言葉は理解できたました。」と言いながら私との間合いを詰めてきました。

するとボクサーが突然「おれも一服したかった」といいクラブハウスからパットパットゴルフのコースへ向かう方のドアの鍵をあけて新鮮な空気を吸ってくるといい外に出ていきました。

鮒男が「一緒に煙草吸います?」と私に質問。
私が煙草も酒も止めたと言い「吸いたければどうぞ」「ここで待ってますよ」とボクサーが出て行った方向に掌を向けて誘導してあげました。
「すみません」といい出ていく鮒男。
会長に指一つで指示されたいた男達はまるで不良中学生のように隠れて煙草を吸いにいきました。

 男達の煙草を吸う時間が ここに集まった5人にとってはそれぞれの状況を整えるためのハーフタイムになりました。
村下会長と北野社長、ボクサーと鮒男、それぞれの喫煙場所で、どうやってこの話を優位に進められるかと煙を吐きながら相談をしていと思います。

個人的喫煙のイメージ

 一方、私は携帯で妻に電話をし簡単に状況を説明「金川って知ってる?」と質問してました。
この頃は今のようにまだサクサク情報を集められるスマホはありません。
DOCOMのiモードで若干の情報が入手できる程度でした。
ですから私は妻に金川を知らべてもらおうと考え「金川って知ってる?」と問いかけました。
すると妻は「あーっなんとなく知ってる」「行った事はない」と返答するので、私より年齢が19歳も若い妊娠中の妻が金川を知っていた事に驚きました。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その11)お告げで温泉
シロップ物語 2022年12月9日 11:45

この頃の私(妻)のお腹の見た目は、妊娠していると全く分からないぐらいでした。
身体も元気で母が営む小さな温泉旅館を手伝っていました。

源泉かけ流しの屋根がない露天風呂

 母はもともと温泉旅館をやりはじめたわけではありせませんでした。
私たち親子は早くに大黒柱の父を亡くしております。
その父はとても豪快な生き方の人でした。
ある日の朝の事です。
『温泉を掘ろう!夢で薬師如来さんのお告げを聞いた、山間の実家があった土地の下から温泉がでると言うんだ。』と突然言い出し、本当に温泉を掘りあてたのです。

温泉がでたはじめの頃はこの山間で暮らす親戚や縁者の十数人で楽しんでいたのですが、この温泉のお湯が太古の海水が混ざった特別なお湯だとわかりかなり特徴的な効果があると証明され、たしかに皮膚病が良くなった、色白になったと噂が立ち、一般の人もひと風呂浴びさせてほしいと人伝の問い合わせが増えたのです。
すると父は小さな掘っ立て小屋をつくり、徐々に拡大改築、改装し最終的には宿泊ができるお宿にまでしたのです。
その後私の父は他界。
私たち親子にはこの温泉だけが残されたのです。
母は生活の糧にこの小さな温泉宿で私を育てくれました。
そんな事もあり私も自然な流れでこの小さな温泉宿を手伝っていたのです。

 実は主人がこの村下さんの話を聞いた年の前年に、私たちの温泉のすぐ横を流れる地域で女川と呼ばれるほど静かできれいな川が、数百年に一度と言われる大雨で水害が発生し、温泉宿に通じていた県道に最短で通じる橋が流されてしまった為、山の林道から迂回してお客様に起こし頂きながら営業を余儀なくされていました。
しかしこの林道は冬になれば雪道に不慣れなお客さをご案内することがでずに経営的に厳しい冬となっていたのです。ですから主人がこの村下会長のに飛びつくかも?と不安になっていたのはマイナスになっている状況を打破したいと思うと考えたからです。

 そんな不安をいだきながらお客様の夕食にだす岩魚を調理してたところへ
主人からの電話が入り「金川って知ってる?」ときかれました。
もちろん金川さんのお名前は存じあげております。

となりの県には鮎が有名な庄川があり、金川さんは庄川で一番の繁盛店。
いつも行列で、予約もなかなとれない鮎小屋として有名なお店です。
たしかに評判だけは知っておりましたが実際に訪問したことはないと答えました。
すると主人は金川さんに興味をもった様子でした。

つづく


経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。(その12)人たらし
シロップ物語 2022年12月10日 10:06

冷静に考えると。
19歳も若い妻が金川を知っていた事は意外でした。
しかし今にして思えば妻も地元ではお湯が良いと評判の秘湯の宿の若女将みたな仕事です。
同業の金川さんを知っていても不思議はありません。
でもこの時の私は、先のような冷静な考えが浮かびませんでした。

人たらし
旧クラブハウスの正面玄関から声がしました。
煙草を吸い終えた村下会長が北野社長とゴルフの話しをしながら楽しそうに戻ってきました。

私独りで立っていたので「二人は?」と村下会長が質問してきました。

その声が聞こえたのかコース側で煙草を吸っていたボクサーと鮒男が戻ってきました。

「おまえらどこいっとんじゃ」と村下会長から言われ。
「たばこか?」
と突っ込まれて「はい、すみません」と軽く頭を下げるボクサー。

「どこにでも吸い殻捨てんな」と指導する村下会長。
慌てて、「吸い殻はここに」とポケットから出したハンカチを開き
包まれた自分の吸い殻を見せるボクサー。

いい空気を吸いたいと、中学生の不良のように外に出て行ったボクサーは、まるで生活指導の体育の先生に見つかった生徒のように、ペコペコしていました。

「すまん、すまん」と私を見ながら声をかけてくる村下会長。

ここでいきなり北野社長から「ところでお前どうや?」「やりたいか?」と私は質問されました。
これまで静観していた北野社長が話に加わりました。
これが二人の喫煙時間の効果でしょう。

「実は今、妻に電話をしたら、妻は金川知っていました。」と私が話すと、
村下会長が「そうかぁ、君の奥さん仕事は何してんの?」と反応。
私が秘湯の温泉宿、八曲温泉の若女将だと答えると、村下会長は
「知ってる、しってる」「はちまがり温泉には行った事あるは、市内で唯一の秘湯会で有名やね」とはしゃぎだしたのです。
そして「これやー、これがご縁や」「あんたの奥さんの力かしてや」
「きっと奥さん、あげまんや」と妻をネタに会話を盛り上げだしたのです。

まさしくここから ※人たらし の本領を発揮する村下会長でした。

つづく

※人たらしとは?
参考資料:人誑し(ひとたらし)の意味 – goo国語辞書
人誑し 漢字ではまさに 人を言葉で狂わせる と書くんですね。

人たらし という言葉には
良い意味で使う場合と、そうでない悪い意味で使う場合があるようです。
良い意味として
1人の心を掴むのがうまい。
2不思議に多くの人を引き付ける。
3カリスマ性
などの意味で用いるようです。

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その13)村下会長
シロップ物語 2022年12月11日 09:14

村下会長は男性の運気をあげる女性という意味で
私の奥さんを あげまん と讃え交渉を仕掛けてきました。

(その11)にも書きましたが このやり取りをした記憶今でも鮮明に私の中に残ってます。
そして村下会長の金縁の眼鏡の奥の瞳が光ったように記憶しています。

「ちょっと君、ワシの話を聞いてくれ。ワシはここまでの会社をつくるのに何度も何度も危機があった。」「それでや、一番大きな会社の危機を救ってくれたのが、こいつや。」といい視線を鮒男にむけ「なっ」と一言声をかけました。
「そしてこいつの次に助けてくれたの我が社の自慢の自社プレカット工場のパートの主婦や」「今でもワシは、あの時の人たちに感謝しとる」といい苦労話しを始めました。

村下会長という人

村下会長は戦後直後の日本で生まれました。
生家は白山の豪雪地帯有名な鳥越地区との事です。
子供の頃から貧しかった村下会長は学校へはいかず仕事を手伝い家計を支えていたいう話です。
主な仕事は建設業へ山から木を運び製材し木材を売る仕事だったの事。
この時期の建築ブームという追い風にものり、資材がどんどん売れ生活は安定していたそうです。
そんなある日、実家の近くの知人から「お前、その材木で安く納屋を建てくれ、冬の間に農機具をいれておく納屋がほしい、建ててくれんか?」と言われたそうで、大工仕事は素人でしたが「できる、できる、簡単や」とその場で仕事を引き受け、普段から親交をもっていた若い大工達の協力を仰ぎ安価で農機具用の納屋を建てたそうです。
そしてこれまでよりも効率よく利益をあげたそうです。
資材だけを売るより大工仕事で家を建てる方が儲かる事に気が付き、様々な建築の仕事を受け、知人の大工さんに建ててもらっていたようです。

江戸時代の建設作業の様子

そしてこの経緯が私が住む田舎で1番と評価される住宅メーカーとしてビルダーへと成長する岐路になったそうです。

そしてビルダーへと成長する過程で、学歴がない村下会長は会社に高学歴の素晴らしい人材を採用したい。
そして日本で一番のビルダーになる。
そのためには一番目立つ城が必要だ。
このような思いで自社ビル建設に着手し、当時としては最新の設備の地方ではひときは目を引くインテリジェンスビル「新住宅スプリングオフィス」を完成させ話題になってました。

またビル完成の翌年には中部地区すべての県に支店を開設し他県に攻め込みました。
そしてロープウエイで頂上へ登る、鶴来町の獅子高原にレジャー設備を設置し開発に乗り出しました。
当時はとにかく話題になっていた会社でした。

まさに秀吉のような出世街道を驀進している。
これが私たちの地方都市での新住宅株式会社の評判でした。

ですからそんな村下会長にも危機が有ったという話に私は心を奪われかけていました。
そして村下会長に気持ちを許していったのです。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その14)村下会長のピンチを救った男
シロップ物語 2022年12月12日 08:58

  私が知る限り常に絶好調だと思っていた新住宅株式会社の内情が火の車、倒産寸前だった聞き驚きました。
 その原因は村下会長自慢の自社ビル。
その建設費用が重く圧し掛かり毎月の資金繰りが圧迫した。
そして拡大路線で進出した中部圏の各支店が赤字だった上に、会長の強い地元への愛で再建に乗り出した獅子吼の開発に失敗してしまい、三重苦でまさに崖っぷちだったと話しだしました。
周りからは華やかに見られていたが、実態を例えるなら深い傷をおい大量の出血状態。血は止まらずに、輸血も足りない。
村下会長は経済的にも精神的にかなり参っていた言ってました。

 そんな時、落ち込んでいる社長に一人の若手営業マンが提案にきたそうです。
その営業マンこそ鮒男。
鮒男は、全社の営業マンを一か所に集め ※決起集会 を行いたい。
そして営業マンには100%ノルマ達成という目標を打ち上げたい。

入社年5年目の鮒男からの提案
 決起集会を金沢で開催し、やる気のある若手営業マンを集めたい。
不採算の支店の営業マンは心が折れている、やる気がない。
だから新しい空気をいれて仕事に情熱を持たせたい。
住宅が売れていないのは心の問題です。
そう力説する鮒男。
そして北陸エリアにやる気のある営業マン集めたい。
集中的に富山、石川、福井に導入し、知名度がある北陸3県で営業をおこない「毎月全員が一棟受注をノルマにする、それを達成させる」と言い切ったそうです。

この提案を聞いた村下社長も「元気をもらった」と言っていました。

すぐに「わかった!どうせなら有名な割烹店の宴会場を貸し切りって、全員で酒を酌み交わしてそれをやろう」「決起集会が送別会にならんように頼む」と鮒男と握手し「やれっ!」と快諾したそうです。

決起集会は大成功。
村下会長も大いに吞み喰い騒ぎ、役員、社員、パートまで全てのスタッフが一つになったと実感したそうです。

その結果でしょうか順調に受注がとれ、当面の事業資金に目途がついたそうです。

そしてこのタイミングで別の問題が発生したため、せっかく受注した注文の納期がおくれそうになったそうです。

村下会長の会社は個人向け注文住宅専門のビルダーです。
一棟毎に骨組みの柱を図面のとおり切り出す自前のプレカット工場をもっています。
この自社プレカット工場が経費を抑え、一棟あたりに高い利益を生み出す仕組みになっていました。
これから復活だ。まさにこのタイミングで、プレカット工場の工場長が体を壊し離職してしまい、注文の納期に遅れが生じたそうです。

このピンチに立ちあがってくれたのが工場で勤務していた数名のパートの主婦さんたち。
一緒に決起集会で騒いだ効果なのでしょうか?妙にやる気があったそうです。
「ワシの あげまん はこの主婦達や」といい笑いを誘う村下会長。

「最初はなおっかなびっくりや でもな、やっていくうちのどんどん仕事を覚えて、腕前が上がったや。鉋(かんな)なんか職人のようになったし、
うすーく削るんや動きがさまになってるや。」と村下会長は鉋がけの真似をし楽しそうに当時を思い出していました。

この勢いで村下会長はピンチを乗り切ったのです。
そして自分のストロングポイントを強化するため 獅子吼の開発と利益が少ないこのパットパットゴルフの営業をやめ住宅の仕事だけに注力したと話してくれました。

なのに今また此処をもう一度復活させたい。という夢を語りだしました。
私は、なぜまたこのパットパットゴルフ場を?と思いながら話を黙って村下会長の夢を聞くことにしました。

つづく



※決起集会は、プロジェクトの成功のため勢いをつけるために行われる飲み会。
決起集会は開催の目的は「プロジェクトに挑戦しよう・やろうと決めたことに対して集まった人々が、成功に向けての士気を高め合う」ことが目的。

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その15)村下会長の蟻地獄
シロップ物語 2022年12月13日 07:00

  村下会長は「ここの再建はワシの夢や」と言ってました。
私も夢というワードは大好きです。
この言葉を聞くと、それで、それで、と話を聞く姿勢になってしまいます。

 村下会長の夢とは?。
それは一度廃業した旧パットパットゴルフ場。
雑草で覆われたコース。
埃だらけのクラブハウス。
この施設を再建する事でした。
「見てみてくれ。ここは今はこうだけど、眺めよし 夏の花火も石川県で一番大きな規模や、あの大きな川からでっかいのが上がる。」
「ここがこのままなのはもったいない。町長からもそういわれている。」

「そこでワシは閃いたんや、ここは スカイダイブできる山も近いし
温泉にも入れるし最高のドライブコースや」
「あの苦しいと時期でもここはぎりぎり採算があっていたが、仕方ない事情(これが後々、本当の事情がわかる)で閉鎖しただけやし、今のワシならここをまた生まれ変わらせることができる」
「そして最初に話した、粋な大人の趣味の街、みたいな計画や、それを実現したい、そのためにはこのクラブハウスを中心にまず進めたい」
「君わかるか?」と指をさしてきました。

 私が「正直な意見として会長の気持ちというか思いは理解できましたが、
やってほしい事業内容が全くみえていません。まず私は金川をしりません」と返答すると、村下会長は「そりゃそうや、あんたの言うとうりや、一回すぐ金川行ってみてきて」「金川を見てピーンとこないなら、あんたはセンスがない」。

早速、金川に行く。
 ここまでの話の流れで村下会長の話を、私が今回の提案を受けるか受けないかに関係なく、一回は金川に行ってみたいと思っていました。

「もちろんそうしますし、早速金川に行ってきます」と即答。
すると「やはり君は動きがはやい」「成功する」と村下会長は私を煽ってきました。
 この時の私は村下会長との話術で、アリが蟻地獄の縁を歩いていたような状態だったのでしょう。
でもこの話の先には素晴らしい出会いと経験がまっていました。

つづく

経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。
(その16)子持ちのオーラ
シロップ物語 2022年12月14日 09:32


子持ち鮎
浮かれたまま金川へ
「ではまた、まず金川へ行ってきて」と言い黒塗りの車の後部座席の窓を開け手を挙げ去っていく村下会長。
北野社長も「一回この話はちゃんと検討してみてくれ」と一言のこしてベンツに乗って去っていきました。

 彼れらを見送り車のエンジンをかけながら、自分でもなんだか心がウキウキしていると感じていました。
地元の有名な経営者との遭遇。
UFO好きな私には未知との遭遇的な感覚でした。
正直、私は浮かれていました。
とりあえず金川に行ってみよう、そこから色々と考えようと決めてしまったのです。
そして一人でいくのも寂しいと思い妻に電話をしました。

主人からの電話
 「金川に行ってくけど一緒にいける?」との主人からの突然の電話をもらい妻として一瞬戸惑いました。

 私は母と営む秘湯の温泉で本日お客様を迎える準備に追われていたので
その時は「えっ今から、それは無理」と返事をしてしまったのでした。
あの時、もしも一緒に行っていれば、この話は終了していたのかもしれません。
主人は川魚料理の知識はありせん。
そんな人が金川さんに行っても正しく物事が見えるはずもありません。

素人がわくわくしながら金川に行く

 私は妻に一緒には行けないと言われました。
でも一人いくのは嫌でした。
そこで数人の友人を電話で誘いました。

すると鑑賞用の熱帯魚を販売するウォックス代表 ミズ君だけが一緒に行くと言ってくれました。

ジャンルは違いますが水君は魚の専門家。
そんな水君が一緒に行ってくれるのはありがたかったです。

私は水君と合流し車中でこれまでの経緯は話しながら運転していました。
金川までは車で約1時間の道のりでしたが、目標物がほとんどない田舎道が多く私達は道に迷ってしまいました。
(ナビが当たり前ではない当時ならではエピソードです)

そこで金川さんに電話で道を尋ねるついでに、予約をしようと二人で相談し私が電話をかけました。
金川さんは丁寧に道を教えてくれました。
そして「今から予約2名おねがいします」とお願いをしました。
すると「すみません、ご予約はできません。すでに沢山の方がお並びなので、順番にご案内しております。」
「子持ち鮎の時期なので、最近はずーと満席なのです。ご理解ください。」
私はそんなに流行っているのかと期待が膨らみました。
子持ち鮎ってなんだ?ししゃもみたなやつか?そんな事を考えながら、教わった道順のとおり車は走らせました。

妻が書いてくれた鮎の文字

″ここは庄川鮎の里″ そと書かれた看板を目印に町中へ入ると、
「鮎」の一文字を看板や暖簾に掲げているお店がいくつも目につきました。
しかし今のところ、どのお店も流行っているようには見えません。
駐車場に車は入ってますが、まだまだ余裕があります。
私が「まぁまぁかな?」というと 水君が「時間でしょう。」という。
確かにアイドルタイムです。

そしてついに金川さんに到着。
「おー!人がいっぱい」と水君が言いました。
お店の駐車場は満車です。
しかもお店の入口には人が並んでいました。

「子持ち鮎はじめました」
書初めの紙に、達筆な筆さばきの手書き文字がお店の玄関に大きく張り出してありました。

金川さんオーラが凄い
そう感じました。

つづく


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