坂本龍一さん、と・・

 坂本龍一さんと、ものすごく若い時に接点があった。
それからしばらくして、日本のみならず、世界的に有名なRyuichi Sakamotoになられた。「以前」を知っている僕に取っては、「その後」の坂本さんは本人が望まなくとも周囲から「」と「」とが混ざり合った人物像が作り上げられてしまったと感じている。

相次ぐ書籍の出版に

 最近、坂本龍一に関する数冊の本が出版された。

 ひとつは、吉村英一著『坂本龍一 音楽の歴史』(小学館)。
ざっと読んだところ、一般的な坂本龍一像が書かれている。
 もう1冊は、生物学者福岡伸一との対談『音楽と生命』(集英社)。一般的な対談本で読みやすくて、ためになる。

 そして、もう1冊は、実は2009年に一度出版された書籍の再版。こちらは本人が書いている『音楽は自由にする』(新潮社)。

本人の自伝的書籍

 表紙にタイトルが手書きのドイツ語で書かれている。
        「Musik macht frei
 これは深い意味がありそうだ。何といってもこの言葉は、ナチス時代の収容所の入口に掲げられていた「モットー」。ただ、本家の方は最初の単語が「Arbeit」(労働)となっている。そのモットーと現実とのズレが、そのままこの書籍のタイトルにも適用されているのだと感じる。
 内容は、驚くほど「自身」について書かれている。確かに、書籍という紙面制限の中なので、人生すべてのエピソードが書かれるはずはない。取捨選択した、本人が話しても良い事実だけだとは思うけれど、あらためて本人から見た「音楽の世界」を読み解くことができる。

 新刊書籍が立て続けに書店で平置きになっているのを見てX-dayが近いと感じていた。少し意識的に坂本さんとは距離を置いていた僕にとっても、もう少し先のことであって欲しいと願って、片目をつぶっていた。しかし、現実となった今は、ミキサーで頭の中がかき混ぜられているような気分。

東京藝術大学出身でもっとも有名な作曲家は・・

 東京藝術大学作曲科卒業生の中でもっとも有名な人物は、間違いなく坂本龍一であろう。「世界で」という範囲にしても、もちろんそうなる。
 どんな作曲家が芸大作曲科出身者として有名かを調べたことがる。
なんと、次に出てくるのは葉加瀬太郎。彼は器楽科ヴァイオリン専攻。確かに、日本でこれほど曲が知られている作曲家は他には数少ない。さらに調べると、次に出てくるのは、なんと山田耕筰にまでさかのぼる。確かに『赤とんぼ』は国民誰もが知っている名曲。さらにさらに続けて検索すると、NHK『映像の世紀』のテーマソングなどで知られる加古隆
 これだけ現代音楽に貢献している作曲家を東京音楽学校時代から多く輩出していても、やはり現実に知られている作曲家となると坂本龍一一択」になる。

 現在、日本で、そして世界でも、もっとも知られている作曲家は久石譲であるはず。そして、忘れてしまったそのアンケートで出てくる加古隆も、いずれも「映像」とともに有名になった作曲家。そう、現代は「映像の時代」。YouTubeの隆盛を見れば明らか。
 YouTubeにアップしてある音楽で、なかにはアップするために仕方なしに「静止画」が張り付いているものがある。しかし、なんとつまらないものか。素人の発表会であっても、映像がついているものを視聴してしまう。

 音楽は「」なので、本来映像は2次的な存在。しかし、現代では、音楽作品でも「音」の方が2次的な存在となってしまっている。そこから、最新の現代音楽でも「視覚効果」、つまり「パフォーマンス」ということを考慮に入れなければならなくなる。
 YMOは、「見られる」から発想がはじまった「パフォーマンス」に溢れていた。その点では、音楽が現代のような存在になることを40年も前に予言して実践してきたミュージシャンと言える。

1980年ワールドツアー@clip

 ちょうど、その時代にミュージックビデオが上り坂で、彼らの演奏する姿がそのまま全世界に伝えられた。
 自動車、家電を越えて、電卓をはじめとして小型電子機器で世界中を席巻していた日本。東洋の小国アジア人が、今や電子分野では世界的ブランドとなって白人文化圏に乗り込む。まさに、Yellow magic orchestraなのです。

 まだ、映像加工技術はTVの方が映画より進んでいた時代なので、そのTVの映像加工技術が『TECHNOPOLIS』等では取り入れられている。こうした映像もmvで世界中に配信される。当時は秋葉原ではなく、テクノポリス的なネオンは銀座だった。

TECHNOPOLIS mv

 さらに、この時代はWalkmanのSONYが、その中身となるコンテンツ企業として進出していく時期とも重なる。もちろんYMOのレーベルはSONY。クラシック分野でもSONYはカラヤンまでもレーベルのアーティストになるくらいの凄まじい躍進。こうした快進撃にYMOも乗っかる。そのコンテンツは時流とともに変化し、SONYがその後躍進を見せる「ゲームコンテンツ」、さらに、アメリカの企業を巻き込みながら巨大化していく「映像コンテンツ産業」へと邁進し・・・しかし、その辺りで先折れをしてしまう。もちろん、それはYMOの散開(1980)よりかなり後このことになるけど。

 芸術は長く、人生は短い。

 確かに。この年になってようやく創作について分かってきたような気がする。坂本さんほど成功した人が、この言葉を引用するほど、まだ何を成し遂げられなかったのかを知りたい。

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