2020.6.13 ゲームとわたし。
なんだかとっても素敵なお題があったので、参加してみました。
ゲーマーの方々に比べたら、ぜんっぜんしていない部類に入るのですが、実は結構ゲームで形成されてきた生活を送っていたのかもしれません。
記憶を幼少期まで遡ってみたいと思います。
当時のわたしは、父親のゲームボーイを借りてモノポリーとヨッシーのクッキーをやっていました。
それも、わけもわからず。
モノポリーは、ただあのおじさんが面白くて、とにかくボタンを連打しては闇雲にやっていて。ヨッシーのクッキーも、幼少期のわたしがパズルなんてできるわけもなく。ただあのジャムがついてる夢のあるクッキーを残したくて、テキトーに並べていました。
父親はゲームが好きだったので、わたしは持っていたポケモンを借りてあそんだり、スーパーファミコンでドンキーコングをやっているのを横で見ては楽しんでいました。
あと、これを書きながら思い出した作品がありまして。
『ユーラシアエクスプレス殺人事件』
知ってる方いらっしゃいますか?
PSのゲームなんですけど、当時のアイドルたちが出てくるミステリー?謎解きゲームです。
これを父がやっているのを家族で見ていたことを思い出しました。
こどもの頃のわたしからしてみたら、こういうタイプのゲームは結構衝撃的で。ほぼドラマじゃん……と思いながら楽しく見ていたことを覚えています。(母は横で呆れていたような気がします)
しばらくして、自分もゲームを買って貰える!となった頃には既にゲームボーイカラーが流行りはじめていた頃でした。
初めて買って貰ったのは、ドンキーコング。
小学生の自分にはとても難しくて、それでもものすごく楽しくて。とにかくやり込んでいました。
その辺りから、家族がやっているのを見るだけでなく自分もゲームをすることが増えてきて、毎日楽しく遊んでいたような気がします。
叔父もゲームが好きで、PSやセガサターンとかドリームキャストでゲームをしているところをよく見せてもらっていました。
特に見てて楽しかったのはシェンムー2!
レン様に当時本気で惚れておりまして、なんてこどもだったんだ……。と今考えると頭を抱えてしまいます。いやいや、そんなことはいいのです。
ミニゲームなどのやり込み要素が多くて、たまにやらせて貰ったりもしてました。
その後?PS2が出たという頃に、ファンタビジョンと鉄拳タッグトーナメントを買って貰い、兼用で遊ばせてもらってから、さらに自分がゲームする時間は増えていきました。
鉄拳に関しては、叔父がアケコンを買っていたのでそれを使わせてもらう事が圧倒的に多かった。
ステージ最後のボスは、ゲージが勝手に回復していくので、それを倒すのに試行錯誤して戦っていました。
ちなみに、母や祖母は格闘ゲームをやるわたしを見て心配していました。小学生女子がアケコンをガチャガチャしながらあーでもないこーでもないと遊んでいるのを見てたらそれは行く末不安です。(でも、大丈夫です。一応健全に育ってここまできましたので。)
それからまた暫くして、叔父がPS2の限定のホワイトver.を買うことになり、元々のPS2を譲ってもらうことに。
その当時は地元のアピタ(家から車で40分くらい?)のゲームセンターに置いてあった音楽ゲーム、ポップンミュージックにハマりはじめていた頃。
地元のショッピングモール内と言えど、初めてゲームセンター。来てはいけない場所に来てしまったのではないかと、内心とてもドキドキしつつも楽しかったことを覚えています。
田舎住まいの私の家の近くには、ゲームセンターなんてあるはずもなく……。だからこそ、この時初めてCSのポップンミュージックを買って貰えることでわたしは最高に喜んでいました。
だって、とにかくめっっっちゃくちゃ楽しくて。
曲も良くて、下手くそなりに上達したくて何度も繰り返し遊んでは楽しめるゲームで、のめり込むようにやっていました。
こうやって、色んなゲームに触れた時代があってこそ、今の私があって。
もしかして、今のわたしがこうして何でも楽しめちゃう性格になったのは、あの頃見ていたモノポリーのおじさんやヨッシーのクッキーのおかげなのかもしれません。
ゲームを初めて買ってもらった時、そして初めてプレイした時のわくわく感、それから、家族がやっていたゲームを見ていた時のあのドキドキする感じ。あの頃ああいう気持ちを強く味わったから、今こんな風に楽しくこの話を書くことができました。
非常にホクホクとした気持ちになったわたしは、久しぶりにまた、あの高揚感を味わいたいなとおもいながら、布団に入ることにしました。
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