26年前の靴ずれの夜

こんばんは、『ヒトリゴトラヂオ』のお時間です。


パーソナリティを務めます『しく』です。


もう26年なんですね。
あの震災から。
そんなに経ってたんだね。


なんとなく目に入った26ってニュースで流れた数字。
いったい何の数字だろうって、思っちゃったんですよね。


そんなに経った感じがしなくて。気が付かなった。


あの時の話を、少ししてみようかな。
もしかしたら、過去のヒトリゴトラヂオでお話してるかな?ま、いっか。


ちょうどね、26年前は成人式だったんです。
そしてワタクシは実家の四国に帰省して、式に参加し、毎晩友達と飲み歩いていました。


あの日の前日の夜も、飲み歩き、酔っぱらって、日が変わって帰宅。
翌日には関東に戻る予定でした。
そうそう、ワタクシは関東の大学に進学し、一人暮らしをしてたんです。


酔って居間で毛布にくるまって寝てると、ガタガタと揺れ始め、ああ、これうち崩れるんじゃないかな?
そう酔った頭で思いつつも、なんとなく冷静に考えてたらおさまっていきました。


のちにわかりましたが、私がいた四国では震度4。
それでも木造のボロ屋のうちが崩れるかと思うくらいの揺れでした。


7時ごろかな、家族が起きてきて、今でテレビをつけると、
大阪がなんとなく火事になってるニュースが飛び込んできたんです。


その時はまだ被害の状況はぜんぜん伝わってなくて、ちょっと火事が起きてる程度な感じで。
ただ、徐々にあちこちが崩れている映像が入ってきて。


ワタクシは新幹線で関東に戻る予定だったんですよね。


まだその時点では、被害の本格的な情報はなかったのですが、母親が
「これ、新幹線わからないかな、飛行機で帰りなよ。」
そういって電話で予約をしてくれたんですよ。


これが8時くらいの話かな。


そこから時間が経過するにつれて、ビルや高速道路の倒壊、新幹線の高架の崩れ、
亡くなった人の数が指数関数的に増加する報道。


ワタクシは空港に向かいました。


空港では人が空港職員に詰め寄ってる箇所があちらこちらに。
新幹線が不通となったのがわかり、慌てて空港にきてみた人たち。


その中に偶然、成人式で会った、同級生の女の子がぽつんと座ってました。


名古屋の学校にいってるその子も、その日に帰る予定だったけど、新幹線が止まったので、
一先ず空港にきたとのことでした。
ただ、すでに満席でキャンセル待ち。


後に彼女から聞いたのですが、けっきょくその日はキャンセルが出ずに戻れなかったそうです。


ワタクシは母親のファインプレーで予約取れたんですよね。感謝。


関東に戻ってきた、最寄りの駅からアパートまで徒歩で20分。
なぜだがひどい靴擦れをしまして。血だらけになって足を引きずりながら帰ったのを覚えてます。


実はね、ワタクシの友人が当時、神戸の大学にいってまして。
アパートにつくなり、電話をかけてみたんですが、不通で。
心配でした。


が、しばらくすると、彼から電話がかかってきて、無事を確認しました。


これが26年前の今日の出来事です。


26年経った今でもこんなに覚えてる。
ワタクシには直接的な被害はなかったのに。


あの日まで生きた時間を、あの日から生きた時間が、かなり上回ってしまったなぁ。


不安に包まれ、靴擦れした足を引きずって歩いた、あの夜の静かさ。
そうとても静かな夜でした。


それではまた会いましょ。会えたときに。

サポートエリアとな。設定してみました。知見を広めることに役立てたいなと。