「志高く」バックナンバー㉗~変わっていないこと、変わったこと~
こんにちは、志高塾です。
先週掲載された「志同く」Vol.28(7月13日/竹内)では、2019年4月の内部向け「志高く」について、「きっといつかnoteにバックナンバーとして掲載されるはずなので、ぜひ読んでいただきたい」との言及がありました。
※「志同く」Vol.28の全文は以下のURLからご覧いただけます。
本日は、該当のバックナンバーを再録いたします。上記の文章と合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。
Vol.144「変わっていないこと、変わったこと」(2019年4月/内部向け発行)
何年かぶりに、いや、私の記憶が正しければ約15年ぶりにグループディスカッション(以下、GD)を行いました。お声掛けいただいて参加したワークショップでのことです。結論から言うと、相変わらず下手くそでした。あまりの変化の無さに心の中で笑ってしまうぐらいの。
15年前というのは就活をしていた頃です。面接は強かったです。もちろん、私の能力の無さから落とされることはありましたが、基本的には自分の持っているものを面接官にそのままぶつけて妥当な評価を得ていました。一方でGDは壊滅的でした。そこでは一つのテーマが与えられ、限られた時間内で初対面のメンバーと話し合い、それ相応の結論を出さなければなりません。一番苦労したのはポジショニングです。それまで私はリーダー的な役割しかしてきませんでした。しかし、そのような場では必ず目立とうとする者がいます。うまくまとめてくれるのであれば一向に構わないのですが、そうでない場合が多く、他のメンバーから出た明らかに非現実的な意見の扱いを誤るせいで議論がおかしな方向に進んで行くことが少なくありませんでした。それを許せずにいらだち、面接同様に直接的にそれを表現していました。その結果、私は不合格になり続けました。最終面接以外で落とされたことはほとんどないのですが、逆にGDの場合は1次試験でもふるい落とされました。当時の私は、その度ごとに自分のコミュニケーション能力の無さに落ち込み、次の機会では前回の自分とは違う自分を演じ、最後まで失敗を繰り返しました。
今回も、初めの方は的の外れた意見に口を挟んでいたのですが、今回は、途中からは他のメンバーが活発に議論している限りは傍観することを決め込み、求められれば意見を述べる程度に留めました。諦観ではないため、その輪に加わりながらやり取りを観察していました。試験ではなかったので誰かに評価される必要がなかったこと、また、15年という歳月における経験が心の余裕を生んだのは間違いありません。それらを差し引いても、あのときの私が未熟すぎたことは紛れもない事実です。
私は「就活が始まるときに自己分析をしても手遅れだ」という話をすることがあります。その段になって自分がどんな人かを見つめて、それを履歴書に書いても大した価値はありません。それを元にして、自分に合っていそうな業界を探しても大した効果は生みません。もっと前の段階で自分と向き合い、誰かにアピールするためにではなく、自分が何をしたいかを探すためにそれは行われるべきなのです。その暗中模索をするのが大学時代です。決して就活直前だけではありません。何をしたいかが決まれば日常生活においてどのような鍛錬を積むべきかが決まります。そのようにしていれば、どこかで別の道を選ぶことになっても、それまでにやってきたことは生きるはずなのです。意見作文においては、とにかく自分の経験を踏まえて、そこから自分なりの意見を述べなさい、と伝えます。その添削をしている最中に時に幸せな気分に浸ることがあります。それは、その子が自分と向き合えていること、またそのような場を提供できているということを実感し、その子のその後の成長を淡く期待しているからなのかもしれません。
松蔭俊輔
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