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会社を退職してから、一年ほど無職の期間

失業保険を受けながら、ハローワーク(飯田橋駅の東京仕事センター)でビジネスマナー講習や就職セミナーなどをいくつも受けたりした。相談相手もいず、独りで生活していると落ち込むばかりなので、同じ離職中の人とできるだけ交流しようとした。民間のコミュニケーション講座も受けてみたりした。

けれど、同じ離職中の人と積極的に交流しようとしても、長続きしない。暗い人、話しづらい人と思われて距離を置かれるのだ。やはり人と接するだけでびくびくしてしまうからだろう。その時に知り合った人たちと一緒に遊びに行くようなことがあっても、結局、話しやすい人同士で仲良くなっていき、ぼくはほとんど相手にされなくなって蚊帳の外となっていた。

 

失業保険受給期間も過ぎて、収入がほとんどなくなった。

東京ドームで日雇いのバイトを何回かしたりもした。年末の一週間の期間だけデパ地下で売り場案内のアルバイトをしたりもした。

けれど、日雇いのアルバイトをしても、どんどん貯金が減っていった。

ハローワークやインターネットの求人サイトで探しても、再就職先は見つからず、もう正社員としてのCAD関係の求職活動はできないと判断し、派遣会社に登録した。そして、その年の六月にどうにか大量募集のデータ入力の仕事に就くことができた。

その時、すでに貯金は二十万円にまで減っていた。ぎりぎりだった。

大人数の仕事場。仕事がなくて困っている人たちが多く集まってきていた職場だった。職場は台場近くにあり通勤は電車とバスを乗り継いで大変だったけれど、職場の雰囲気はよく、仕事がしやすかった。

また、管理者の中にみんなから美人と噂されるほど綺麗な女性がいて、ぼくもかなり気になってしまった。若いながらもしっかりしていて仕事ができ、それでいて気さくな性格でもあり、男女問わずみんなから慕われて頼りにされていた。

東京に住んでいながら、多くの人から美人と評判になる女性を実際目にするというのはこの時が初めてのことだった。

かなり久しぶりに人を好きになる感覚というものを味わった。その人がいてくれたおかげで職場に通おうとする気持ちも保てたし、仕事に対する意欲もわいて、処理件数もトップになることがよくあった。

ただ、業務でその人と接することはほとんどなく、遠くで眺めているくらいしかできなかった。しかも、仕事が始まってから三か月後には管理者の配置転換があり、その人は派遣元の本社へと戻って行ってしまった。結局、最後の挨拶をすることさえできなかった。話せなかったことが心残りだった。

予備校の頃以来、久しぶりに気になった異性だったのに、自分に自信が持てず、どうしても気持ちが臆してしまう。気さくな性格の人とは分かっていても、「こんな自分が話しかけていいものなのだろうか……」と必要以上に自分を卑下してしまう日々。うつ病が長く続いて恋愛に対してもかなり臆病になっていた(まあ、学生時代の頃から異性と接することは苦手でほとんどできなかったけれど)。

それでも、その職場でちょうど一年間働くことができた。うつ病の症状もあり、通勤が本当に過酷だったけれど、人生で二番目に長い期間一つの企業で働いたことになる。貯金も二十万円からどうにか五十万円にまで戻すことができた。貯金を月に三万円ほどしていくのが唯一の楽しみで仕事をしていたといってもいいくらいだ。処理能力が高いと評価され続けたのも自信を持って仕事を続けられた一因だったかもしれない。

 

それからその職場を退職後、再び失業保険を受けて職業訓練校に通うこととなる。

職業訓練は、簿記の資格を取るための勉強をするところへ通った。簡単な民法の勉強もした。

簿記三級の試験は受けたものの、落ちてしまった。三か月間の勉強だけではやはり簿記の資格を取るのは難しかった。半分も点数が取れていなかった。

ただ、失業保険を受けながら職業訓練に通う期間は、経済的にも精神的にも大分安定して過ごすことができた。

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