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赤い高粱(2019年特に印象に残った本③)【1763字】

3)赤い高粱、続 赤い高粱/莫言

 婚礼の輿が一つ,赤に染まる高粱畑の道を往く.輿に揺られる美しい纏足を持った少女.汗に濡れ輿を担ぐ逞しい青年.中国山東省高密県東北郷.日本軍が蛮勇を振るうこの地を舞台に,血と土,酒に彩られた一族の数奇な物語が始まる.その名「言う莫れ」を一躍世界に知らしめた,現代中国文学の旗手の代表作.  『赤い高粱』
 ノーベル賞作家莫言の代表作で、五つの連作中篇からなる長篇小説『赤い高粱』(原題『紅高粱家族』)の後半三篇を収録。日中戦争下の中国山東省高密県東北郷。日本軍を奇襲した祖父らだったが、その報復により村は壊滅する――。共産党軍、国民党軍、傀儡軍、秘密結社がからむ生と死、性と愛、血と土、暴力と欲望の凄烈な物語。   『続 赤い高粱』

 神話的な表現で描かれる赤い高粱畑一族の伝説的な物語。マジックリアリズム作品であることと一族の歴史を描く物語であることから、よく『百年の孤独』が比較に挙げられる。だが、個人的にはマジックリアリズム的な要素はそこまで強くは感じられず、『赤い高粱』の帯の紹介文にて使われていた「幻惑的リアリズム」という表現が感覚的には一番しっくりときた。
 次に一族の歴史を描いている点だが、こちらに関しては読んでいて非常に近いものを感じた。『百年の孤独』は幾世代も引続く村の開拓者一族の物語であり、彼らの力を際限なく吸い続けてきたマコンド創生から終焉までの歴史でもある。不可分なこの二つの関係は互いの魅力を高め合い、物語を神話的な領域まで高めているように思う。『赤い高粱』では《高粱畑》がまさにマコンドの役割を担っている。
 実は莫言自身はこの小説を書いた時には『百年の孤独』は読んでいなかったようであり、本人は『百年の孤独』からの影響は否定しているが、物語の根幹には同質の精神が込めれられているように感じられる。


 この小説の最大の特徴は、何と言ってもその表現の凄まじさにあるといえよう。戦争相手である日本軍から受ける悍しい暴力表現はもちろん、中国人同士での裏切り合いや権力争い、過酷な中国文化の数々、書かれている内容のすべてが凄まじい威圧感を持って読む者を殺しにかかってくる。だが一方で、これらの描写の数々は神秘的で美しい比喩表現を伴って語られる。
 注釈にて、「祖先のやった事は、功績も過ちも消したり、隠したりしてはならないのだ」と著者自身が語っており、まさにこの小説はこうした考えに沿って書かれている。功績と過ち、善と悪。著者はこの二つは不可分なものだと考えていたのではないだろうか。そして、この矛盾を孕んだ不可分な歴史にこそ神秘的な魅力を感じていたのではないか。


 赤い高粱は常に一族とともにあった。平和な時には純粋に生の糧となり、戦いの時には一族の身を隠して命を助け、幾度薙ぎ倒されようともまた再び力をつけて立ち上がってきた。一族の命と同じように傷つき、何度でも立ち上がってきたのだ。そうして血の滴るような赤い高粱は、より一層魔術的な魅力を増していった。
 作中で父が犬に襲われて睾丸を失って生殖能力を失いそうになった時、祖父は激情して「すべて終わりだ」と言う。その後の生殖能力が無事だとわかった時の喜びよう、この喪失感と復活の悦びは物語全体のテーマと密接に関わっているように思う。


 最悪の歴史の渦中、生きる残ることすら困難な状況だからこそ生まれるもの。そこに芽生える激情、苦痛、悦びそのすべてに淀みなき純粋な価値がある。これが生きるということだ。破壊的な運命のもとでこそ育ち得る、運命を打ち砕く強大な感情の力。狂ったような激情の生命エネルギー。それは現代では失われてしまった力。

 これこそが、わたしたちがあこがれ、永遠にあこがれつづけるにちがいない究極の人間世界であり、究極の美の世界なのだ。

 この小説には、現代人が失ってしまった強い感情に対する憧憬と喪失感が込められている。過去の凄絶な歴史を神話的な世界として描いたこの小説は、おそらく現代人が喪失してしまった世界への弔いなのだろう。ここに込められた想いは切実で、読了後の喪失感には強く感情を揺さぶられてしまう。私もまた、ここにはないものに対して強い想いを持ち、それに恋い焦がれているのかもしれない。それこそ神を待つかのように。

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