今、大きな選択肢を迎えています。
今回はその整理のためにnoteを使わせていただきます。。。

若い頃は何でもできる、人生何とかなると思っていました(まだまだ青二才ですが)。
センスはなかったものの、ずっと続けていた野球は高校・大学の最後の学年ではある程度活躍できました。
受験も無謀と言われつつ、希望の学校へ進むことができました。
就活も、興味があった通信業界で社会を変えたいという想いをドコモに入ることができました。

でも社会人になり、色んな壁に直面することが多くなりました。
大きな失敗を経験していなかったことからか、失敗することを怖がり、
人の顔ばかり伺うようになっていました。
先輩に意見も聞けなくなり、いずれ爆発する問題を自分で抱えておびえる毎日。
案の定爆発して先輩に怒られ、仕事も任せてもらえなくなり。
いつの間にか笑うことも少なくなり鬱っぽくなりました。

酒を造りたい。
そう思ってからも思い切った一歩を踏み出せない日々が続きました。
後押ししてくれる人はいたものの、思考は停止し、何をしたらいいのかわからない。
自分がその後のことを想像できず、勇気を出して歩を進めることはできませんでした。

結局どこか他人事だったんです。
口では偉そうなことを言いつつ、自分の責任で行動を起こすことはしない。
学生の時に何となくうまくいった成功体験がこういった人格を形成したのではないかと思います。

そんな僕でしたが、会社を辞め、福持酒造場さんのお力を借りて第零歩を踏み出し始めました。
そういった歩を進め始められたのは、自分の責任だと自覚する出来事があったからだと思います。
30を超えた大人が自分の行動・発言に責任を持っていなかったなんてナンセンスですが、本当に甘ちゃんだったのだと最近になってつくづく実感します。

さて、なんでこういう場で思い出話をしているかというと、家にとって大きな決断を迫られているからです。
自分一人の問題ではなく、両親を含めた家族全員を巻き込むような決断。

今年の第零歩も言ってみれば初期費用もなく、福持酒造場さんのおかげで日の目を見ることができたお酒なんです。
胃はきりきり頭の中を数字がぐるぐる回って眠れない毎日。


そんな中、昨日人生の先輩に話を聞きに行きました。
そりゃ先輩だらけですが、身近で尊敬できる人に。

その時言われた一言が

「最後に何を残したいの?」

でした。


最近、現実的な問題・出来事に追われていて、金銭的な目線で見ることが多かった僕にとって、シンプルでストレートな質問は胸に突き刺さりました。

まず僕は何したいんだっけ。何でお酒を造ろうと思ったんだっけ。

自分がなぜ生きているのか、どうしてここにいるのか。その原点を考えた結果、やっぱり家のルーツを守ろうとしたいから。
それが酒造りだった。

だから、「酒」を「亀崎」で造ることをしたかった。

もう一つ、うちの家の象徴でもある亀崎の旧家。
これを守りたい。

この2点だったはず。

何を残したいか。
お金、不動産、技術、商品、経験、名声、仕組み、文化。
色んな観点からの色んな回答はあるけど、
まずは、亀崎で日本酒を造り”続ける”こと。
特に一度途絶えたものを復活させるからには半永続的に造れることは大事。
例え、地震があって場所が使えなくなっても伊東家の「酒造り」という技術・文化を途絶えさせたくない、できれば亀崎の地で。
となると「いい酒を造る・売る仕組み」を確立すること。
これを第一に考えなければいけない。

同じく歴史を紡いできた旧家・蔵から発信できるものもあるはず。
でもこれは二番目。

歴史は造れない。
だから200年以上経った、うちの旧家は大事なものであり、残すべきものである。
残すために有効活用したいとは思うし最善の努力はする。

それでも、歴史とは何だろう。
カタチあるものか、伝承は歴史なのか、文化は歴史か。
酒蔵の歴史はその場所なのか、味なのか。

新型コロナが蔓延するこの世の中だからこそ、再度見つめなおす必要があるし、このような世の中に自分が行動を起こそうとしているのも、九代続いている伊東の家の一つの”歴史”なのではないか。

歴史が引き継がれている家に生まれた自分の「残したいもの」は何か。
その回答が歴史の継続なのであれば、安定した酒造りに対してまずは注力すべきではないか。

お金はそのための手段だし、場所もそこで何をしているかによってはじめてストーリーが生まれてくる。
そう考えても、やはり自分がすべきことはまず酒を亀崎の地で造るということ。そして仕組みを組み立てること。


うん、まとまってきた。

乱文で恐縮ですが、思考を整理しながら書き連ねました。
今日という一日を残すためにもこのまま載せさせていただきます。


さて、前を向いて歩こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?