本当に理解していると思っているのか?(16)


 前回は虹について書きましたが、最近色というのは各人それぞれの思い込みで、決めているのではないかと時々思う。(チェックの仕方がない)
 特に色覚障碍者にとって分かりにくい色、例えばこの季節の紅葉が美しい、と言われても、同じ様な濃度の赤と緑は区別し難いし、綺麗な色の花と言われて、わかってなくとも言った人に合わせてしまう。そんな事を否定していちいち時間をかけて説明するのもめんどうである。
 暖色とか寒色も、大多数に人が同じならそんなものかなあと思う。 
 19世紀までの具象画ならウンチクを言われると、そんなものかなあと思い、抽象画になると解らないという人も多くなるので、理解できないとハッキリ言える。殆どの絵もわかったふりをしたほうが時間の無駄にならないし、自分自身でハッキリと理解していると思っている人は少ない様に思う。
 小学校の時に分数の割り算は、結果として割る分数の分子と分母をひっくり返して掛けることを、先生が長時間かけて説明されて、その後、ある成績の良い生徒が、「答えはひっくり返して掛けるとでると覚えると良いですね」といった。その時この人とは人種が違うと思ったが、大人になって殆どに人がその様に作業をして生きている様に思った。
 その事を何年も経って同窓会で話したら、そんなふうに見ていたのかと言われた。帰ってから生き方について考えたと、その後、何年か後の同窓会で会った時いわれた。
 結局、人は殆ど物事を前に進めるために、無理に思い込んで決めたり、自ら効率の良いロボットになることを望んでいる人が多い様に思う。
 色盲の人の色についての認識は自らの希望でなく、世の中スムーズにいくために合わせているでけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?