量でみるか、質でみるか(17)


 まず初めに、この文はマイノリティ、特にその一つである、色覚障碍の人にとってのバリアフリーの社会が来ることを願ってかいています。

 最近、その事から少しズレている気もしているので、最初の部分にこのことをかきます。

 音には音色があり、例えばバイオリンとトランペットは、誰でも区別できるが、(バイオリンとビオラは区別出来ないかも知れない)音の高さは近いのは区別出来ないかもしれないが、ヘルツを使って数量で表す。
 色彩は普通、区別出来るからか、数量では表さない(周波数を使って表せるが)
 色覚障碍者にとっては、赤と緑の区別がしにくく、濃淡で区別している。色の薄い赤と濃い緑は区別出来るが、濃い赤と濃い緑は分かりにくい。結局、赤と緑は濃淡によって分けているので、大小、強弱関係で区別している。
 世の中は偏差値、財力、身長、体重、運動能力など、ほとんどのものが数値で区別されている。そこには大小、強弱の関係がある。
 国家間でも、経済上による数量関係が、毎日話題になり新聞、テレビで報道されて意識され、文化の様な質的なものは意識されることは少ない様に思う。
 さて、今日は色覚障碍者はある色のものを見る時、強弱で区別し、色覚正常者は色は純粋に質による区別と思う。そうすると人間は視覚による認識が最も大きいと言われているが、ものを見る時、強弱関係と、質による区別では人間の性格に影響しているのではないか。差別主義者などは数量関係で差別する事が多いと思う、そうすれば色覚障碍者と差別主義者の割合は少しは関係あるのか調べてみたいが、こんな事を書くことこそ差別に繋がるので調査されないと思うが、書いている本人が色覚障碍者で純粋に科学的に気になるだけ。

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