なぜVRChatにおいて、「何者にもなれない」と感じてしまうのか。

ツイートのまとめです。雑記。()内は追記。

VRChatを代表とするVRSNS疲れの根底にある「自分は何者にもなれない」っていう虚無感・焦燥感。
こうした感情が想起されるのは何故なのか。

そこにはVRSNSのボリュームゾーンにあたる20〜30代の若者たち(昨年度実施されたソーシャルVRライフスタイル調査参照)が、「あなたらしさ」を求める現代教育に脳味噌を浸されてきたことが背景にあると言えるでしょう。

まず、90年代から00年代以降に教育を受けてきた若者たちは所謂「ゆとり世代」であるわけです。(私も含めてね)
この「ゆとり教育」の大きな特徴の一つに、「個性」を重視するという思想があります。
そしてこのゆとり教育によって、個人の特徴や、夢や理想を互いに尊重し、そしてそれを教育によりさらに伸ばしていこうという教育方針が一般化しました。

ゆとり教育が浸透した結果として、「ゆとり教育」=「個性を伸ばす教育」が世間の常識になるり、旧来の画一的に与えられるタスクを効率的にこなすことを重視した教育は、
「社会の歯車」を製造せんとする、非人道的な紋切り型の教育として、唾棄すべき対象となり、
前途ある若者を犯す猛毒のように、巨悪として語られるようになったわけです。

そんな「ゆとり教育」は我々に囁きます。「あなたは、あなたのままでいいよ。」と。
しかしそれは、耳あたりの良いだけの陳腐な綺麗事に過ぎません。蛇の甘言です。

その思想が浸透した果てに、我々は今、「あなたらしさ」を重要視した結果、「あなたらしく」あることが絶対的な評価軸になった社会に包まれています。

「お前は何者なんだ?」「他と比べて何ができるんだ?」と常に求められる世の中になったことによって、むしろ世間は大多数の個人に対して冷酷になっています。

Googleで「あなたらしさ」と検索した際に、「あなたらしさ 見つけ方」というサジェストがヒットするのは最早残酷の一言に尽きるでしょう。就職活動などにおいて、今まで普通に暮らしてきた善良な若者たちが突如として「あなたらしさ」を求めて彷徨っているわけです。
(MBTI診断などが流行した理由もこの辺りから読み取れますね。)

こうした個性至上主義の価値観に浸された人々にとって、創造性の発露と、その共有による自己実現を標榜するVRSNSは過酷でしょう。

今必要なのは、VR技術によって果たされる自己実現をアピールすることよりも、真に「あなたは、あなたのままでいいんだよ」と言ってあげられる環境なのかもしれませんね。

(本記事を書くにあたり、ゆとり教育のあり方、思想などについては三宅香帆著の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を多大に参照させていただきました。)

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