怪奇!インターネット・善意!ゲンジツ・悪意!

滅多にしない自分語りをしたら変に読まれており、怖くなってちょっと筆を置いていた。その間落ち着いていた心因性の動悸が再発やら、やべえ職場にアバヨ!するべく転職活動を始めたら話が早すぎて自分が置いて行かれたりやら色々あり、余裕がなかったということもあって間が空いてしまった。

noteの勝手はわからないが、思ったことを思ったように書き連ねただけなのにちゃんと読んでくれる奇特な人もいるものだと知り、驚いている。スキやフォローをくれる見知らぬユーザーもいて、ありがたい限りだ。その中に明らか業者らしきアカウントの無差別?スキもあり、こういうところにもbotじみたアカウントっているんだ……意味あるんか……?と思ったりもした。

でも力作だったADHDあるあるドジの記事はさっぱり伸びず悲しい思いである。あれを読んでくれた人、スキくれた人、本当にありがとう。だいぶ嬉しい。

さて、自分語りの時に若い頃インターネットの人間が何かと親切で助けられた、みたいな話を書いた。いい大人になった今でもそういったインターネット上の誰かの善意にいつも助けられており、私は仲良くしてくれるフォロワーや私を遠くからほんのり観察している優しい人達には頭が上がらない。

実際、うつの急性期でろくすっぽ食えなくなってげっそりしたとき、今の会社の手違い(完全に会社のミス)でほぼ2ヶ月無給になり生活どないすんねんとなったときもそれ以外のときでも、フォロワーという近くて遠いインターネット上の人々に私は助けてもらった。少なくとも私の観測範囲では、長い付き合いの人達もそうでない人達も良識があって優しい人ばかりだ。

インターネット上には悪意ばかりと吹聴されがちだが、本来は人間が集まっているだけの場所なので、きちんと見定めればびっくりするほどの善意もたくさん転がっている。逆ももちろんあるが、不思議と私はインターネット・善意とでも呼ぶべきものに何度も助けられてきた。時々自身の無知や失言でこら!とお叱りを受けることもあったが、それも優しさだよなとしみじみするほどに。

私がインターネットに出会い触り始めた頃、人間が好き勝手集って好き勝手語っている場所=掲示板(2ちゃんねるだのなんだの)かブログあたりのことを指していた。また、それらは大概の「真っ当な」社会人からすると悪質な場所とされていたのを覚えている。

曰くウィルスが跋扈し、ブラクラを食らい、罵詈雑言が飛び交う犯罪者予備軍の巣であると。まあ事実そういうことも稀ではあるものの、普通にあった。

けれどそんな場所ですらヌクモリティ()なるものが時折ひょこりと顔を出していたから、思ったよりも大多数の人間は善意をしっかり持っている。現実ではなく顔が見えないからこそのことなのかもしれない。不思議なものだ。

運の問題かもしれないが、どちらかと言えば現実での悪意の方が私にとっては縁がある。顔が見える場所でもそうでない場所でも変わりはないが、私は基本的に「出る杭」らしい。学校や職場では悪目立ちしてしまい、何もしていなくても悪意でガンとやられることが結構あった。幸いイジメにできるほどか弱そうでもなく(肩幅がでかいので)、言うことは言うため精々謂れのない因縁をつけられる程度だが。

インターネットだとザラにそういう人間がいるからか、いまいちそういった悪意に晒されることはない気がする。もちろん、SNSなどは自力で関わる人間を選べる自由度があり、集合する水槽の広さの違いなのかもしれない。

だが、なぜだろう。私を「出ている杭」だと認識したとして、どうしてインターネット上よりも即座に「叩いてよい」と判断する人に遭遇することが多いのか。むしろ顔が見えて、そこに実存があるからこそ良心の呵責が生まれるべきなのでは?と不思議でならない。文面だとブレーキが利いて、実在だとブレーキが利かないなんてことあるのか?変なの。

私が社会的に不適合なのは理解しているのでまあ気持ちはわかるが。何か気に障る点があったのだろう。喋ったことがほぼ全くなかったとしても。

だとしてもそこまで言えるかぁ~?アメリカだったら射殺されてもおかしくないだろってことを平気で言う人、本当にいるんだよな。なんなんだあれ。

怪奇!ゲンジツ・悪意!である。

思うに、世の中の人間って私が思っているよりも他人への期待値が高めに設定されているのではないだろうか。顔や姿から勝手に印象を決定して、この人はこうに違いないとか期待外れだとか決めてアクションを起こす。ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」に出てくるエーミールのように、「きみってそういうやつだったんだな」で終了できない。

文章ほど探り探りでないぶん、ネット上の付き合いよりも攻撃的になるのが早いというか、軽率になりがちというか。

私としても好きで出る杭として存在しているわけではないので、観測してきた実例をもとにした憶測でしかないが、そんな風に思うなどしていた。

私は他人への期待値が最初から低いという悪癖がある、しかし、だからこそインターネット上の善意にここまでありがたがれるのかもしれない。もしそうだったなら、より多く善意を受け取れている気がして、少し嬉しいなと思う。

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