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「夏」

◇「危険な暑さ」ニュースがそう言えば外には人がいなくなる。

ニュースで言ったからなのか、単に暑いから外に出ないだけのか、もしくはその両方なのか。「最高気温36℃」確かに数字にすると危ない感じがする。しかしながら時間帯で気温は違えば場所によっても違う。

日向から木陰に入れば暑さから逃れた安堵感でリラックス効果を感じるし、湖畔ならばその周囲は冷やされた空気や風で幾分温度は下がり、またアスファルトで固められ熱せられた地面からの熱は太陽の熱と相まって殺人的な暑さをもたらす。

それら全部含めて「危険」と一括りにして大衆を恐怖感へと駆り立てる。

“外出を控えエアコンを使いましょう”そう言ったかと思えばまた別のタイミングに“エアコンがついた部屋でも熱中症の危険性が”と専門家。じゃあどうしろと?

なんて事ない。これが経済的合理性。不安を煽る古典的セールストークをTVに転用したに過ぎない。報道機関も商売上手になった。


◇「奴らは情報を食べている」

これはある食を題材にした漫画のセリフだが、食に限った事でもない。今やほとんど全てで情報を食べている。人は記号化され情報になった。

学生なら点数に記号化され評価されるし、就職なら履歴書がその人自身であり、健康診断の数字で健康かどうかが決まる。

年齢も性別も体格も関係なく130は高血圧になる。

法律で決まった本人確認も、指定の書類を持ってさえいれば本人という事になる。名前生年月日性別住所が記載されて顔はわからないが国民健康保険書とプリントされた紙切れを持ってさえいれば“本人”である。

情報化社会には「生身の人」は存在せず、情報化されたデータが本人になる。そういう世の中ならば詐欺の被害額が大きくなるのも頷ける。


◇「情報になっていない場所は存在しない事になる」

情報化とはつまり物事を切り取る事だから当然捨てている箇所が存在している。情報しか取り扱わない医者が長い間「便秘」と片付けて大腸にできた癌を見逃し気が付けば野球ボール大に。手遅れになった。

医者のみならず、変化に周りも本人も気付かず「歳だから」で納得してしまう。

そういう事がある。


◇「自分が熱中症になるとは思わなかった」

別に熱中症に限らず、大小あらゆる病気でそう思う人がある種スタンダードになっているのは、人もまた「情報こそ人」と信じているからだと思う。

まだ若いと思って急な運動して怪我するおじさんは典型。

情報化社会で自分の身体感覚が無くなると、変化に気がつけず、自然の猛威も甘く見積もり、時に命を落とす事もある。

夏本番。
自分は自分。他人は他人。情報は情報。

身体のSOSに耳を傾けて酷暑を乗り切りましょうという話。

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