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「繋」

人が一番恐れるのは「孤独」だという。

ドラマや小説、あるいはそういう印象を付ける事で価値観を創出しドラマティックな演出をしているもんだと思っていた。たとえそれが私生活であっても。

つまり個人的にあまりピンと来ていなかった事だったが、最近その考え方が少し変化してきて「本当かもしれない」そう思うようになった。

孤独を恐れるのは“存在”本能かもしれない。

この世は全て「確率」により存在が決まる

これは世に言うガチャなんかの話ではなく、量子力学(物理学の中の一つの学問)の話。

超小さいミクロな世界の学問。

量子力学では「モノは観測者がいて初めて“実在”になる」と考える。
つまり観測しなければ存在しない。

いくら何でも直感的に意味不明すぎる事だけど「シュレディンガーの猫」という言葉は何となく聞いたことある人が多いと思う。

そんな意味不明な量子力学を否定したアインシュタインの言葉に
「君は、君が月を見上げている時だけ、月が存在していると思うのか?」
というモノがある。

しかしこの「モノが当たり前にそこにある」という「実在性」が正しくない事は実験によりアインシュタイン亡き後に証明されてしまう。
※2022年ノーベル物理学賞

「物体がそこにある」という実在性が破れている以上
「観測しないと“モノ”は無い」

そういう事になる。
月も猫も観測するまで存在しない。

※モノの例え。“観測”は人が見ていないといけないと言う意味ではない。
実際は月も猫も物凄い数の粒子が集まり相互作用しているので、実在に限りなく近い状態になっているという意味。確率的にほぼ実在している。

このように意味不明を極めたような量子力学の世界。

だからスピリチュアル系なんかでネタにされる事もある。幸せを導く量子力学の何とか的な(そういうのを電車広告で見たことがある。セールスマーケ的にいえば権威性にも繋がるからまぁそうなる)。

いずれにしても

この世界において「実在」という概念は間違っており
状態は
観測するまで決まっていない。

「モノは観測しないと存在しない」という状態ならば、超小さい素粒子の塊である人の意識が「孤独」を恐れるのは自然だと、そう思うようになった。

承認欲求を満たそうとする事
#◯◯とつながりたい
忘れられるを恐れる事

これらつまり生存本能ではなく更に前段階
“存在”本能が人をそうさせているのではないか

究極的に「孤独」とは存在についての事であり

孤独は死よりも怖いことなのかもしれない。


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