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「黄」

THE YELLOW MONKEY 10枚目のアルバム
『Sparkle X』が2024年5月29日(水)リリースされた

このアルバム名には
「輝かしい10(=X)枚目のアルバム」
ここからバンドが探し求めていく「未確認の何か(=X)」

という意味合いが込められているという。

https://theyellowmonkeysuper.jp/news/detail/12064

公式

アーティストとファンは“同時に年を重ねる”ものなので、僕と同じように40代ファンがメインだと思う。

だからイエモンを知らない人からしたら、何の話をしているか全く意味が分からないだろう。
お茶?と思うかも。

だけども「同時に年を重ねる」という視点でいえば、もしこれを読んでいる10代の人がいたら、今後自分の推しのアーティストと共に時を重ねる事になる。

そういう視点で読んでもらえれば、ある種の面白さがあると思う。

思春期の自分に響く音楽は一生モノになる。
そしてちょっと先の未来を想像してみるとよい。

するときっと未来に、不安と期待と絶望と希望が混じり合って感じ、それは良いイマジネーションになる。

当時は至る所に音源に対する解釈であるライナーノーツという書き物があったが、現代では随分と少なくなったのではないか?まぁそれはともかく世は「大ストリーミング時代」である。

10代の当時はCDを買うにあたり音楽雑誌などに書かれている評論を見てから買う事も普通だったが、現代なら情報集める前にとりあえず聴いてしまえばいい。

昔でいう所の「ジャケ買い」がし放題なわけだ。

何事も事前情報を脳に入れると最初の印象がそれに引っ張られてしまう、が、それを極力抑えバイアス無しに聴けるのがストリーミングの良い所だと思う。

それがCD世代と、現代の音楽の聴き方の違いの一つ。

すると
「誰がどう言ったか?」とか
「誰々はどう感じるのか?」とか
そういうの無しに
「自分はどうなんだ?」
という事に必然と向き合う事になる。

それは音楽として理想的な聴き方の一つだと思うのだが、どうだろう?

今回のアルバムの第一印象は「自然体」だ。

ギラつき感や刺々しい感じはなく、肩の余計な力が抜け穏やかに自由にロックする。それがシンプルなサウンドと歌詞に現れている。

比喩のないストレートで捻りのない言葉は、当時なら採用していなかっただろう。けど、それは“もう今は必要ないよ”というメッセージにも聞こえてくる。

戦うように歌っていた当時と違い
今は遊ぶように歌う

だから聴き手としてもリラックスして聴けるのかもしれない。なんというか、身体に馴染むような感覚。

レッチリにしても、メタリカにしても、ローリングストーンズにしてもそうだけど、年を重ねることでの音楽との向き合い方が、双方で出来てくる。

彼らの姿を見ていると「歳をとるのも悪くない」と、そう思えてくる。

このアルバムを通貫していると感じる【想い】がある。当然それは個人的で主観的な感想。

◼︎時の流れの中で身近な「死」を所有する事

◼︎大人になったけど
 今も分からないし 昔と変わらないけど
 それに割と満足してるよ

◼︎一つの人生の中で
 何度でも人は復活し
 その度にまた生きていける。

そう感じた。

という事はつまり
それが聴き手である
“俺自身の中にある”からで違いない

音楽の聴き方は人それぞれ
“未来だからこそ”聴こえてくるものがある

つまり、年を重ねるからこそ
感じられる事があるんだな

10代の子よ、君が未来に音楽から何を感じるか?楽しみにならないか?

それを感じる為に生きるのも、悪いもんじゃないぜ。

そして“今しか聴こえない”そういう音楽が
いま「君」が好きで聴いてる音楽だ

No music No Life.

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