見出し画像

「葬」

◇「おくりびと」という映画がある。
※2008年作品

日本アカデミー賞“最優秀作品賞”に輝いたこともある作品であるから観たことある人も多いかもしれない。それこそ億万長者になった人を「億りびと」とモジって呼ぶキッカケにもなっている作品でもある。

もしも自分が人生の名作映画を挙げるとすれば「おくりびと」は、その中の一本になる。


◇「おくりびと」とは納棺師のことを指す。

故人を棺に納める人の事をいうが、細かな説明なくともそこそこ歳を重ねた人であれば誰しも見たことがあると思う。

この映画は主人公の小林大悟(演:本木雅弘)が夢を諦め妻と共に地元に帰り、ひょんなキッカケから納棺師になる物語。

題材は忌みの対象でもある「死」を描いているものの、暗く悲しい物語ではなく映画としてのエンタメを含んで過度な誇張や演出も無く見事に「死」を描き切った作品になっている。

そして、この「おくりびと」という映画は少々変わった出生の道を辿っている。


◇「おくりびと」は主人公でもある俳優の本木雅弘が発起人として制作が立ち上がっている。監督でもなく俳優が発端になっている映画は殆どないのではなかろうか?

なぜ本木雅弘をそこまで駆り立てたのか?

この映画「おくりびと」その誕生に、ある重要な書籍が2冊ある。

メメント・モリ 藤原新也著
納棺夫日記 青木新門著

今ではメメント・モリと言えばTVのCMでやっているスマホ美少女ゲームが脳裏に浮かぶ人が殆どだろうけど、この言葉は元々ペスト蔓延る中世末期ヨーロッパで使われたラテン語の宗教用語。

その意味は【死を想え】である。


◇本木雅弘は20代後半にメメント・モリを読んだ影響でインドを旅する事になる。

その後、納棺夫日記を読み映画化の思いに駆られ自分の足で作者である青木新門(2022年没)の元を訪れ映画化の承諾を得るに至る。

但し原作と脚本の相違点から題名は「納棺夫日記」ではなく「おくりびと」となり、またエンドクレジットには青木新門も納棺夫日記の文字も出てこない。

これは作者と揉めたというわけではなく、互いの想いを尊重した上での決断であった為、双方のリスペクトから相なった。

度々、原作者と映像制作側で問題が起こり時に死者が出る事すらある血生臭いこの世の地獄の様な世界でもあるが、その世界にあっても互いに尊重しリスペクトの上であれば歴史的な名作は誕生する事例とも言える。

業界の事は知らないけれど、人として当たり前のことをすれば良いだけだったのに何故に人を傷つけ力で捩じ伏せる様な事になるのか。不思議でならないが、御天道様は見てるぞ、とだけ思う。


◇そして、自分も20代後半にメメント・モリを読み一週間ばかりインドを旅した。

それは人生初の海外だった。

友人と二人での旅だったが、日本を旅するのと同じように行き帰りの航空券だけ取って行ったインドはトラブルに次ぐトラブルだった。

むしろトラブルが無い時がなく、開始2日目で既に心が折れてしまった。それ程ヤバい国だった。

とはいえ道中、何となく守られている様な感覚があった。その正体は亡き祖母であると、見えるわけではないが確かに感じていた。

こういう事は、意識していないだけで誰しも経験があるんじゃないかな?そう思っている。


◇久しぶりに納棺夫日記を読んでいる。

こんなに美しい言葉で語られていたんだなぁと、改めてそう思った。

良い本とか、良い音楽とか、多分それは何度でもめくってしまう本、何度でも聴いてしまう音楽、そういうモノなんだと思う。たとえそれが何年先であっても。

そして

またインドに行きたい気持ちも、まぁ確かにある。それは良い国だからなのだろうか?

いや、それは、ちょっと測りかねる。。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?