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「枠」

◇「日本酒が好きになったキッカケは何ですか?」

たまに聞かれる質問。これは非常に単純な事で、学生時代あまりに酷い二日酔いとなり、以降トラウマで10年飲めずにいた日本酒を克服したいと、近くにあった日本酒バーに行った事がきっかけだった。

その頃は酒瓶を見るだけで気分が悪くなってしまう程だった。酒の匂いを嗅げば嗚咽しそうになった。

そんな状態だから、注がれた透明の液体を目の前にしたら身体が緊張で硬直した。大袈裟ではなく酒と“対峙”している様な感覚。もしかすると冷や汗もかいていたかもしれない。

そして意を決し、口に運ぶとそれは予想を大いに反した甘美な味わいで、一種のアムリタ(インド神話に登場する苦を取り除く神秘的な飲料)を瞬間に想像させた。

そしてそのたった一瞬で10年続いたトラウマは呆気なく氷解する事になる。


◇般若湯(ハンニャトウ : 仏教世界の僧侶の隠語で日本酒を意味する)

般若は“智慧”の意で、つまり智慧を授かる水(湯)という意味になる。

般若湯のトラウマは般若湯によって解かれたという事はつまり、トラウマの克服はトラウマと対峙する事によってのみ解かれるという事であり、それは案外カンタンな事なのかもしれない。

しかし出来れば智慧も同時に授かりたかったが、まだ授かっていないので恐らくこれは飲み足りないという事に違いない。そう思う事にする。


◇「どんな日本酒を飲むんですか?」

人には“好み”というのがあるが、自分は大変に天邪鬼なので“あえて自分の好みを外した酒を選ぶ”そう答えている。

これは自分の好みの真逆を選ぶというわけではなく、自分の枠外に手を伸ばすイメージ。

そうすると意外な美味しさや、知らない味わい、または苦手な感じ、そういう発見がある。つまり予定調和にならない。そして枠が少しだけ広がる。

だからアルゴリズムでリコメンドされた音楽というのも自分にとっては極めてツマナラナイ。枠の中だけをぐるぐる回っており予定調和してしまう。発見がないし、枠が広がらない、面白くない。

これは自分の中の少年漫画原理主義に則った冒険欲求がそうさせるのだと思う。


◇「茶色の革製の財布」

自分の好みを外す楽しさは間接的に人から教わった。当時、人から貰ったその財布は自分なら決して選ばないものだった。茶色は嫌いだし、革の製品はなんとなくイヤで使った事がなかった。

しかしながら実際に使ってみると“良さ”が分かってきて茶色も革製品も大好きになってしまった。使うごとに深みを増していくその財布に魅了され破れるまで使い続ける事になる。

以降、自分の好みというのもただの偏見だと思うようになった。

実際に触れて触って嗅いで時間軸の中で理解する事がある。

そしてそれは総じて楽しいものである。


◇「好みの酒を探す」

偏見をなくして枠を広げた先の“好み”を探す。

これには酒販店でも居酒屋やバーでも、ちょっとコツがある。基本的に客側の好みに合わせるのが接客販売の定石だから、これをあえて自分から外しに行かないといけない。

「オススメください」

この言葉の場合は大体は次に「お好きな酒はなんですか?」と聞かれ好みに寄ってきてしまうからそれこそオススメできない。

また人によっては「全部おすすめだよ!」と顧客の好みを探ろうとしない事もあるし、場合によっては「お客さんの好みなんて知らないからオススメはない」そう怒られた事もある。「それを探してオススメするのが仕事だろうが」と思ったがそれは一旦置いておく。

そこで編み出したのが

「あなたが好きな酒をください」

あまり言われる事がないであろう言葉に店員は大体一瞬たじろぐ。

しかし大体の場合は酒が好きで働いているはずなので、どこかにその人の偏見(好み)が存在する。その視点から選ばれる酒というのは説明に当然その人の熱がこもる。

純粋な「好き」から選ばれた酒は「その人の視点」を含んでおり、それを知ることになり、やっぱり自分の枠を少し広げる事になる。

だから、そこから選ばれた酒は美味しくても美味しくなくても、さほど問題ではなく、その意味でなら「失敗」という事もないわけだ。

ただ一回だけ

北陸の酒屋でウンマン円する酒だけ何本もオススメしてきた商魂たくましいジジイには少し難儀した。


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