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「神」

◇結構頻繁にいつもの神社へ行き手を合わせ祈る

神社は結界で覆われているから足を踏み入れると空気感がガラッと変わる感覚がある人は多いと思う。

けど自分の場合この神社に入ると祖父母の家の中に入った様な安堵感がある。

それもその筈で、昔この神社の目の前に祖父母の家があり子供の頃は神社でよく虫取りなどして遊んだからだ。加えて高祖父はここの神主でもあったから安堵を感じる事に何か関係している様な気もする。

◇田舎であっても時と共に風景は様変わりする。神社の周りはすっかり変わってしまい当時の面影は記憶の中にしかない。

そういう意味でも当時とさほど変わらず時の流れが緩やかになっている神社はただそれだけで価値がある気がする。

だから人が神社を訪れる無意識の理由に“緩やかな時の流れに身を浮かべて癒す”そんな温泉的な意味合いがあるんじゃないかと思ったりもする。

無類の温泉好き日本人なら無い話でもあるまい。

◇小学生の頃に学級内で「朝の1分スピーチ」というものがあった。

お題は何でもいいから“事前”に考えて1分間クラスメイトの前でスピーチするというもの。今でこそ1分なんて瞬間だが、小学生からすれば長時間だ。カンペはあってもなくてもOKだった。

自分で考え人前で発表するトレーニングという説明だったが、今でもこれは良い取り組みだったと思う。

当然、スピーチは人により上手い下手がある。それを含めて“人の気持ちを理解する”という聞き手側の裏トレーニングを兼ねているからだ。

そのせいもあってかクラスには人をイジめる様な子はいなかった。

「イジメはやめましょう」と人はよく言うが、イジメが何かをちゃんと知らないからそれぐらいしか言えないというのが本音だろう。先生はちゃんと知っていたと思う。

◇1分スピーチ前日は母親に相談した。前日から既に心臓がバクバク緊張していた。だから話が飛ばない様にカンペを用意して1分で話切る様に練習もした。

そして挑んだ1分スピーチ

この話の後、教室を過去にない静寂が包むことになる。


僕のひいひいばあちゃんの話です

とても優しい人だったそうです

ただ顔には大きなデキモノがあって
それをとても気にしていたそうです

ひいひいばあちゃんは毎日、家の前にある神社の掃除をしていました
ひいひいじいちゃんは神主でした

雨の日も雪の日も暑い日も
何年も何年も毎日毎日休まず掃除をしていたそうです

そんなある日

神社で普段見かけない
小さな子を連れた白い服のお母さんがいたそうです
不思議に思ってひいひいばあちゃんは話しかけたそうです

次の日の朝
ひいひいばあちゃんの顔からデキモノは綺麗に無くなってしまいました

「あの時見た親子はきっと神様だったんだろうねぇ」

そう家族と話したそうです

おわり


話の後の「静寂」は今に思えば神社に入った時の結界の中みたいな、そう言う感じの静寂に近かったと思う。


◇結構頻繁にいつもの神社へ行き手を合わせ祈る

人はほとんどいないが
たまにいる参拝者は誰しも数分間手を合わせてずっと祈っている
きっと皆、何か深刻な困りごとがあるに違いない

その人たちの参拝が終わってから自分も祈る

二拝 二拍手 一拝

“今があることに感謝します”

それだけ祈って帰る
※けどたまに家族の健康を追加する



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