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変化と普遍化〜齋藤飛鳥生誕祭に寄せて〜

先日の46時間TV期生別企画『9年目の同期会』(*1)において齋藤飛鳥から「今更キャラを変えたら戸惑うか」という主旨の言葉が出た。所謂「明るいキャラ」になったらどう思うか。その場では、和田まあやが「昔は明るかった」ことを笑いも含めて伝え、「飛鳥は飛鳥だよ」と見ているこちらとしては少し泣きそうになってしまう言葉も出たところでこの話題は流れていった。また、その前日の電視台は『とにかく明るい齋藤飛鳥』(*2)と題しアンミカをゲストに迎え、「とことん明るくポジティブに生きてみようじゃないか」という内容で放送された。

齋藤飛鳥は変わりたいのか。あるいは変わったのか。

年明けの台湾公演についてのインタビューが印象的だった。「変われているんですかね。変わろうと意識しているのか。もしかしたら根底のところでは『自分はセンターに向いていない』とか『自分がセンターだと、乃木坂が売れなくなる』とかいったネガティブな思いが、今でもあるかもしれないけど、でも今は、それを皆さんには見せないようにできるようになったし、『そうじゃない』と思い込むこともできるようになったような気がします。」「私は私なりに、今の自分を受け入れるためにはどうしたらいいか、考えていきたいです。」(*3)およそ半年前までの時点では彼女の中には、「ネガティブな自分をそうじゃないように見せている」という意識がどこかあったように思える。そもそも(僕はそうは思ってないけど世間的に)「ネガティブ」「暗い」「ダーク」のように取り繕わない彼女自身をそれまで無理していたキャラをやめて出していったことが齋藤飛鳥が大きく変わった時期だった。それまで演じていたTheアイドルと逆行した演じないそのキャラがビジュアルとのギャップも相まって受け入れられ人気にさらに火がついたように思う。
ただ、ここ数年、そういう演じないキャラを求められることが多くなって、その求められるものが彼女自身の本質的なところからまたズレていってるんじゃないかなと思うことが少なからずあった。一人歩き気味になってしまった所謂「ネガティブ」キャラじゃないところも出していいのかな、という意味での「変わりたい」「変わった」なのであるならば1期生会における彼女の言葉に違和感は感じない。それは大きく変化したときのような変化ではなく、あくまで今の延長線上にある等身大の齋藤飛鳥なんだと思えるからだ。

そう考えるきっかけになったんじゃないかなということを、これまた勝手な憶測になるけど2つ挙げたい。まず1つ目はセンターを務めた『Sing Out!』。西野七瀬が卒業した頃から23rdシングル初期頃の期間は、こちらから見ても「あれ?大丈夫かな?」と少し心配になってしまうことが多かったが、シングル期間が進むにつれていい意味で変わっていったんだと思う。「ファンの方と一緒にクラップすることは、これまでの乃木坂46にはなかったので、『この曲のセンターに私は向いていないんじゃないか』と不安を感じていました。そんな気持ちを察してくれたのか、みんなが『Sing Out!』で、今の乃木坂46を世間に届けようと頑張ってくれて。その期待に応えようとするなかで、自分にとって大切な曲になりました。」「ただ練習するだけで完成度が上がるわけじゃなくて、メンバーの気持ちが一致して、みんなが『楽しいな』と感じた時にいいパフォーマンスが生まれる。ツアー中、そんな気持ちを味わう瞬間が何度もありました。」(*4)と話しているようにやはり彼女のなかで変化があった期間だったんだと思う。それは「ここ最近ふたりの関係性を強く意識させられる機会が多い気がします。」というインタビュアーの話に星野みなみが「なんでだろう?飛鳥が最近みんなに話し掛けるようになったから?」(*5)と答えたことからも窺える。
2つ目は主演を務めた『映像研には手を出すな!』。撮影前と後では目に見えて違ったと思う。勿論いい意味で。浅草氏というキャラクターを演じ続けることで、「浅草のキャラクターは明らかに自分の中にはないものなので、とにかく何か参考になる人がいないか探しました。(略)浅草のあの声の出し方も、最初は違和感しかなくて『これでいいのかな?』って思ってたんですけど、演じていくうちになじんじゃって。浅草の独特な言葉遣いも、普段から時々言っちゃうようになりました(笑)」というように彼女が浅草氏に寄っていったところと、「(略)私は頼もしい相棒とか、自分の中で熱いものを持っていて何かを共有できる相手をうまく作ることができなかったように思うんです。だからどういう空気感を作ればいいのか分からなかったんですけど、この『共生関係だ』っていうセリフを聞いて『そういうことか!』って腑に落ちました。浅草が自分の口から『共生関係だ』って言ったことで、浅草もちゃんと現実を見るタイプなんだな、私と一緒だ、って共感したし、そういう考えでいいんだな、って。自然とそのセリフが入ってきたし、すごく好きなセリフです」(*6)というようにもともと彼女と浅草氏の近いところとが合わさっていったんじゃないだろうか。そして梅澤美波が「話してみると、『映像研』のテンションだからかめちゃくちゃふざけるし、すごくかわいいことをしてくれるムービーを撮っていたり。それはファンの方にお見せできないんですけど(笑)。やま(山下)もすごくノリがいいので3人でよくふざけたり、わちゃわちゃした現場でした。この3人が集まってそういう雰囲気になるとは思わなかったので、そこが意外だったなって思います。」と話しているようにきっと撮影自体も楽しかったのだろう。山下美月含む3人という少人数だったことも拍車をかけていたのかもしれない。

『Sing Out!』と『映像研には手を出すな!』の2つを通して少しずつ彼女のなかで変わっていったことがあるんじゃないかなと思う。そこが今まで見せてきた齋藤飛鳥とは違うところというか、その齋藤飛鳥とは逆の位置にあることであったりするから「変わったらどう思うか」というように心配になっていたのではないだろうか。
とするならば、齋藤飛鳥は本質的に変わった、変わりたいのではない。本質的な変化と言われるのは違和感しかない。46時間TVを起点に議論するのであれば、その違和感はさらに大きくなる。それは上述した2つがきっかけだと思ってるから。勿論その2つ以外では変化していないというわけではない。件の自粛期間で「メンバーやスタッフさんとも直接は会えなかったので、メンバーと、今まで毎日、触れ合っていた時間がいかに大事だったかというか、私にも必要だったんだなと理解しました。」(*7)と彼女自身が感じているように。ただこれもやっぱり本質的な変化ではないと思う。上述した2つの期間の変化も自粛期間の変化も、どれも彼女自身が持っていたものを表に出すか出さないか、なのだと思う。


齋藤飛鳥はもう22歳になる。僕が彼女を推しと認識するようになったのが『何度目の青空か?』の頃で、彼女はまだ16歳だったからその頃と比べれば当然彼女は変化してる。それでも「好き」は変わらない。たとえこれから彼女が変わったってこの「好き」は変わらないと思う。彼女の言葉を借りれば、「なめんなよ」って話だ。ファンなめんなよって。メンバーだってそう。デビュー前から共に過ごしてきた仲間だ今更どうこう思うわけがない。
それに変化することは悪いことじゃないし、過去を否定することでもない。そしてそもそも人は変わるものだ。変わるものだけど、でも、変わったように見えても、よかったところが消えるわけでもない。本当に大事なところは変わらない。

だから心配しなくたって大丈夫だ。


22歳のお誕生日おめでとう。
毎年言ってるけど、幸せになって欲しい。幸せでいて欲しい。絶対に。
それが僕が望むたった一つのこと。

いつかまた会える日を信じて。


2020.8.10


*1 乃木坂46時間TV 1期生「9年目の同期会」 
https://gxyt4.app.goo.gl/7kmFm
*2 乃木坂46時間TV 乃木坂電視台 齋藤飛鳥「とにかく明るい齋藤飛鳥」 https://gxyt4.app.goo.gl/MyeEu
*3 "代表曲"の終盤、齋藤飛鳥が見せたほほ笑みの意味とは…乃木坂46、エース卒業と新しい一歩と - LINE NEWS https://news.line.me/issue/premium-nogizaka/2188ef94fbb8?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none
*4 日経エンタテインメント!2020年2月号 乃木坂46「‟次世代の顔は誰だ?”」
*5 BUBKA2019年11月号 齋藤飛鳥×星野みなみ「結び」
*6 齋藤飛鳥が「私と一緒だ」と共感した、浅草氏の考え方──「映像研には手を出すな!」齋藤飛鳥×山下美月×梅澤美波インタビュー https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-42498/
*7 齋藤飛鳥、コロナ禍で気付いたメンバーの有り難さ「安心感がめちゃくちゃある」 https://www.oricon.co.jp/news/2167456/full/?utm_source=Twitter&utm_medium=social&ref_cd=tw_pic


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