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氷の撒菱 《掌編小説》

日曜日、住宅街の昼下がり。快晴。駅前の鳩さえ憂いをまとわない。高架下の赤信号。向かい側のドラッグストアへ渡された横断歩道の手前に、化粧っ気のない買い物袋を下げた女性が立っている。

成城石井のワインとチーズ、オリーブ、スモークした合鴨に、八百屋で買い足したわさび菜とロメインレタス。家に余っている玉ねぎをスライスし、ドレッシングだけ作ってサラダにして食べる予定だった。一人である。午後の予定はない。スマホも今日は見ないと決めている。半年か一年ぶりかもしれない、控えめに言って最高の休日だった。

青信号になり、渡り始めた。

とたん、鋭い哀愁が脳天から背骨を突き刺す。彼女の足は正常に動き続け、理性も正常に動き続けている。


−寂しい。


だめだこの寂しさを人間で埋めてはいけない。耐えたい。今は耐えたい。誰も私の中に入ってこないで。お願い。ここから先は、絶対に入るな。


彼女が踏む横断歩道の白と黒の間が全て裂けていた。
彼女の周り全方位に、氷のような尖った撒菱(まきびし)が撒かれていた。


先月まで彼女は親友の恋をひたすらに応援していた。キューピッド役からプレゼントの相談、結婚していいかどうかの相談まで、1年以上ほぼ毎日電話し、嬉しいことは一緒に笑い、悲しいことは一緒に泣いた。裏方としてずっと支え続けた親友の結婚式に先週の日曜に出席した。友人挨拶を務め、親友は泣きながら笑い喜び、その後連絡が一切なくなった。おかしいと思いながらも、便りがないのは良い知らせ。心配ないと判断し、淡々と日常の生活と仕事をこなす。彼女の仕事はwebデザイナーである。半分在宅でできる代わりに、かなりの仕事量で、裁量労働制が敷かれている。親友をしばらく忘れるには好都合、空いた時間は仕事が埋めていたが、昨日、全てのプロジェクトがひと段落し、しばらくタスクのない状態が続く可能性があった。


横断歩道を渡り終え、ドラッグストアを避けて右折。
背の高いイチョウが目に眩しい並木道を進む。
彼女の周囲の道は裂け続け、氷の撒菱も撒かれ続けていた。
イチョウの落ち葉でも覆い隠しきれなかった。


昨晩、彼女は大学時代からの旧友と会っていた。気のおけない男友達。五年も経つとは思えない柔らかい表情、変わらない軽口。変わったのは、彼には娘が二人誕生していたことだった。

彼が料理を食べきらないのを見ながら安心して話し続けていたら、あっという間に三時間が過ぎていた。

「もうそろそろ行く?」
「ほんとだ、もうこんな時間」

飲みの席で、こんなに時間を意識しなかったことは初めてかもしれなかった。あたたかな驚き。サプライズってこういうことも入るのかもしれない。その後も、お会計は当然のように彼が支払うことになっていたし、それが次回の約束にもなっていたし、彼は最後まで油断ならなかった。

「楽しかったね。僕だけかもしれないけど」

この台詞は、完全にずるいだろう。思わず文章を丸覚えしていた。いつか誰かに使ってやる。彼女のささやかな復讐心だった。


一頭の白い象が現れ、歩いていた。
彼女の後をついていくように、並木道をのしのしと進む。
大きな四本の足で氷の撒菱を踏みながら。
イチョウの葉は白い象を避けて落ちている。
象の足音は聞こえなかった。葉の落ちる音だけが響く。

彼女は彼のような人が好きで、彼のような人になりたかった。人に寄りかからず、人を尊重し、人を楽しませられる、爽やかな風のような人に。文句を言わず、弱みは見せず、いつも「大丈夫だよ」と笑う。

寂しさが再び、稲妻のように光る。

それでは、やっぱりつまらない。
連絡のつかない親友には困ったものだし、寄りかかってくる親友の人生に便乗するかのように自身の時間を使っていたことは、反省材料だった。それでも彼女は確かに楽しかったのだった。親友の持つ感情のネガティブなものもポジティブなものも、共有することができることは、苦しみもあったが、喜びでもあった。

感情は、どんなものでも共有することで輝く性質もあるようだ。
これから出会う人とは、ゆっくりでいい、侵入しすぎずされすぎず、でも腫れ物に触るような付き合いでもなく。お互いの手のうちに抱えているものを少しずつ見せ合って、一つずつ共有しあえればそれで良い。それが良い。


大きな静かな白い象は、彼女の中に入っていった。
うっすら憂いをまとう雨雲からささやかな雨が降り始める。
イチョウは色濃く湿り、氷の撒菱は溶けていた。






* 以下は応募した企画の話です *




有志で創作文芸作品を集めた #noハン会小冊子企画2nd に応募した作品です。noteの上でも作品の一部は読めますが、よければぜひ紙の上でも読んでみてください。

セブンイレブンのネットプリントで印刷し、ホチキス留めすれば完成です。(ホチキスは針が90度転回する必要があるので、ない場合はホチキスなしでも読むことはできます。)表紙もかっこいいです。

noハン会での作成風景(たまたま私が作っているところ)

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(撮影:だいすーけさん

この企画も2回目となり、構成がさらに凝っていて、すばらしいです。私もnoハン会の企画関係者ではありますが小冊子には一切関わっておらず、前日に原稿を見て本当に驚きました...。


私の作品は2巻の方に入っています。有料(200円)ではありますが、たまにはnoteの作品を紙で読むのはとても新鮮で、おすすめです。(この200円はnoハン会関連の活動費になります)


ちなみに面白いなと思ってくださった方は、note非公式部活動のnote文芸部も面白いと思うのでぜひ遊びにきてください。(私もほぼ小説などは書かないながら、メンバーが楽しくて、微妙な絡みをしてます。笑)



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