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まず屈服する。そこから全てが始まる話。 #教養のエチュード賞

私は、理想と現実の区別がつけられない人間だった。架空の理想の自分像を、本当の力を発揮した自分と思いたがる性分をやめられなかった。


まだ本気出してないだけ

本気出せる環境にいないだけ。もっと出来るはず。認められるはず。もっと強く、もっと深く、もっと魅力的な人間であるはずなのに。いつまでたってもそうなっていないのに、諦めきれない、どうしようもない大人だった。

社会的に認められたかった。大きな影響力が欲しかった。本当はそれよりも、影響力を生み出す深い世界観、唯一無二のアイデンティティが欲しかった。

全部得られなかった。

会社は出世するどころではなく辞めた。影響力...そもそも友達も少なかった。最初は一人でもやるんだと思えるほどのやりたいこともなかった。

文芸部で副部長をつとめがらも書くべき物語も持たず、ほとんど書きもせず筆を置いた。

私は経済的に恵まれた家で育ち、無駄に学歴も高い。いや、けして無駄ではない。恩恵もたくさん受けた。受け続けている。ただ、私にありもしない理想像を植えつけたことは事実で、友人たちが成功するのを横目に見ながら、

私はいったい何をやっているんだろう。

と、よく思っていた。

いつか父のように活躍して認められたいと願いながら、いつか母のことを気にしないで自由に羽ばたいてやると願いながら、何かと自傷的で自罰的だと言わざるを得ない人生を送ってきた。


「そのままだと、何者にもなれないよ」

20代、いつかの上司に言われた言葉が心の底にずっと張り付いている。図星だった。私が一番それを危惧していた。でもどうしようもない。できることはしたつもりだ。寝る時間も食べる時間も惜しんで働くことは、した。

でも、もしこれで本気をだしているのだとしたら...

どうしてうまくいく予感が塵一粒ほどもないんだろう。

その答えは知りたくなかった。


自分を見誤って転覆した

そんな自分を変えたくて心理カウンセリングをだいぶ受けたり勉強したりして、生きづらさは割とマシになってきたと思っていた。30代で自分たちで会社を起こした時は、これでやっと社会的に認められる仕事ができるんじゃないかとも思った。

結局、会社はほどなくして転覆してしまった。一番学んだのは「私は自己理解が足りなかった」ということ。私は自分にはできないことまでやれるはずだと思い込んでやろうとしたが、できなかった。完全に自分を見誤っていた。

私は事務全般を引きうけ共同経営者のことを支えながらも、彼女のことを非常にライバル視していた。彼女はまさにカリスマで、彼女の言葉に多くのファン、お客様がついていた。成功の鍵は彼女しかもっていないなんて認めたくなかった。いつか私だけでも成功してやるんだと、密かに爪を研ぐような気持ちでいたこともある。

結局私は目立って活躍するのは私でありたかったし、成功の鍵を握っているのは私でありたかったし、分かりやすく社会に認められるのも私でありたかった。



私には、やりたいことがなかった

人には大きく分けて2つのタイプがあるらしい。内面世界が深くて視野の狭い人と、内面世界が浅くて視野の広い人。(ある心理カウンセラーからの受け売りである。)

これは、あくまで私の理解だがnoteで大変読まれているサクちゃんさんの「夢組」「叶え組」理論とほぼ完全に一致しているように思う。(以下は上記リンク先より引用)
深くて狭い≒やりたいことがある夢組、浅くて広い≒やりたいことがない叶え組。

夢中になる能力がある「やりたいことがある人」を「夢組」だとしたら、やりたいことがない人は「叶え組」だ。

このふたつはチームになるといいと思う。仕事でも夫婦でも、「夢組」と「叶え組」はお互いに力になれるし、自分にはない能力を持っている相手を大事にできる。

自分が「夢組」なのか「叶え組」なのかわかっていれば、無理して自分とはちがう何者かになろうとしなくてすむ。


わかっていれば、か。

これが分かれば苦労はない。これを分かるということが、死ぬほど辛い。私には深い世界観がないということ、確固たる自分がないこと、やりたいことがないということ。どうしても認めたくなかった。


やっと、屈服した

noteで書いて読むようになり、書き手のみなさんのことを知るようになり、さらにそれらの考え方を知って、私はやっと屈服した。

私は、あなたにはなれない。

その深い世界観は、私には潜りきれない場所にあった。物語は果てしなく遠い空を流れていた。もう、意味不明なくらい遠い。私がいくら本気を出しても空を飛んでも海に潜っても追いつけない。とてもじゃないが、叶わない。

300日毎日更新を続けた強くて優しいエッセイストの女の子、心の内を文章と絵で描き大きな世界観で包み込むマルチアーティスト、バケモノ級に深い包容力を持つ占い師、他にもたくさん挙げられる。

彼らに心から感謝を伝えたい。

私を屈服させてくれて、ありがとう。

私はその世界の深さに惚れ込んでいます。


理想像ではない現実のつまらない私には、人に注目されるような際立った深い世界観はない。ゆるぎないアイデンティティもない。どこを探してもどう育ててもない。一生ない。ないものはない。

一度諦めてしまえば、私ができることは別にあることがはっきりした。こんなつまらないこと、と、私が思うようなこと。しかし、こんなつまらないと思うようなことこそが、私の仕事であり、彼らにとっては必要な働きなのかもしれない。

彼らと読んでいる夢組のみなさんもまた、自分自身に足りないものを求めることはあるかもしれないが、本当はその"足りない""頑張らなければならない"と感じることについては、叶え組の力を借りれば済む話だったりする、と思っている。

私は私の仕事をやろう。他はもう適当でいい。注目されなくていい。むしろ私は注目されない方がいい。その方が総合的にうまくいく。裏方に徹しさせてくれ、と思えた。私は彼らに仕えたいし、彼らの力が欲しい。

他人の才能を認めることは、現実の自分を認めることにそのままつながっていた。そもそも、理想の自分になる必要はどこにもなかった。

かつての起業だって、私たちはセットでしかできないことをしていただけだった。私ができることをやり、彼女ができることをやり、優劣はなく、どちらが欠けても成り立たなかった。私がうまくやっている私を認めなかっただけで、実際うまくやっていたのだ。

2019年夏に始めたnoハン会というハンドメイド作家の展示販売&交流会であるオフ会の運営も、その点からもうまくやっていたと思う。ただ、もっともっと、お互いを輝かせ合うことができるような気がしている。



私は私にできることだけやればいい。
あなたはあなたにできることだけやればいい。

なんと当たり前のことを言っていると思うだろうか。

私はこの意味はなかなか分からなかったし、分かりたくもなかったが、これほど残酷でやさしい言葉はない。

「しかし、できることだけやっていては生活できないのではないか?」

2020年は、そのごもっともな疑問に答えられるよう、できないことを目指さずに、"私にできる"だけの働きをしてみたい。



2019年を通じて、あるいは今までの経験を通じて私が一番成長できたと感じることを書きました。読んでくださりありがとうございました。


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