やりたいこととか別にないけど、人の役には立っていたい
noteに、仕事についてだいぶ書いてきた。好きなことしたいとか、自分を活かしたいとか、稼がなくてもいいんじゃないかとか。今、勤務先が忙しすぎるが、そろそろ振り返らねばならないと思いPCに向き合っている。
この記事は私の思考整理みたいな、壁打ちみたいなものなので、流し読んでくれたらありがたい。
「自分は人の役に立たないと価値がないんだ」
そんな脅迫が強すぎて、自己否定でしんどかった時もあった。
会社をやめて、家もでて、反動で、勝手きままなライフを送った。まずは遊んで、好きなもの買って、ゆっくりして、やりたいようにやって... 結果、最後は詰んだ。お金もなくなった。
そんな、よかったことも大変だったことも一人では経験できなかった、パートナーや友達やお客様に感謝している。
自分一人から始めるやり方で、どこまでできるのか。やってみなければわからなかった。
そもそも一人ではたぶん何も始まらず、二人いたから何かが始まった。
自分たちの理想を追って実装した事業はもろく、うまくいったように見えて、あっという間に崩れてしまった。私はやさしすぎて、ほんとの意味ではやさしくなくて、従業員満足と会社経営を両立させることがまったくできなかった。
だから、今後何かやるなら一人でやればいいとも思った。もう一生会社なんてやらないと思った。
しかしやっぱり一人でやるには自分に能力が足りなさすぎる。補い合わないと無理だと思う。
誰と補い合うんだろう。人にはそれぞれ家庭があったり、やりたい仕事があったりする。誰かと一緒にやるのなら、そんな中で選んでもらわないとならない。選ばれるだけの、何があるんだろう。
私には、何があるんだろう。何がやりたいんだろう。
心の端から端まで眺めてみても、別にやりたいことなんてなかった。ただ、人の幸せには貢献していたい。傲慢だろうか。いや自己満足だ。趣味みたいなものなのだと思う。
そもそも人の幸せなんて定義しようもない。ただ、人が笑っているのを見るのは好き。
結局のところ、人の中で生きている。やっぱり人の役に立ちたい。支え合いたくて、笑い合いたくて、分かち合いたい。
今、それが感じられる仕事に就けているのは幸せなことだ。
人に役立ってやろうと思っても素手で一人で始めたところで、継続的に人の役に立つことはとても難しい。人の役に立てることは義務ではなくて、喜びだった。
それが知れたことは、自由気ままにやってみた成果として十分だなと思う。
もし今私が誰かの役に立てているのなら、それはとても貴重で、幸せなことだ。ありがたい。
ただこれからずっとこの仕事をするのかといえばきっとそうでもなくて。求められていること、できること、やりたいこと の3軸の図に立ち返って書き出している。
この1週間また忙しいけど、心をなくさないようがんばろう。
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