母親という存在について
毎年、母の誕生日には、旅行をプレゼントしている。
地元を出てしまった私は、帰省も年に1回で、
結婚式列席で帰省する際も、別途ホテルを予約し、実家には帰らない。
つまり、母と会うのは年に2回だ。
そんな数少ない会合だからこそ、誕生日のプレゼントはしっかりと奮発している。
これは、母への感謝の気持ちが先行しているわけではなく、
自分の体験に対する投資と、この年1回の出費により母からの追加の要求を抑えるためである。
私にとって母親は、
私を産み落とした人であり、育ててくれた人であり、それ以上でもそれ以下でもない。
父と暮らしていたころは、彼女はかなり精神状態が不安定で、うつ病になったほどだ。中学生の私にとって母親が3か月も入院している期間は、記憶も残っていないほど、よくない思い出となっている。
しんどかったのかも、つらかったのかも、思い出せない。
父と離婚してほしいと言い出したのは、私だった。
しかし、母親はなかなか実行に移せず、それに嫌悪感を抱いた。
母は弱い。とても。本人は自覚がないんだろう。
この旅行の少し前に、母の住んでいる地域の区役所から封書が届いた。
生活保護の調査票だった。
私はこれをみて、正直安心してしまった。
母は昔、クレジットカードの使い過ぎで失敗している。
父の給与で生活をしていた母は、お金の管理ができない人だったのだと思う。加えて、両親ともに見栄っ張りな性格で、当時の私はわかっていなかったが、収入に見合わない生活だったんだと思う。
そのため、両親の喧嘩は絶えなかった。
今は、クレジットは保有せず、全て現金で生活しているし、
生活保護を受けることで、口座に振り込まれるパート給与や税金関連などは、役所の方々の監視下に置かれていることになる。
実は、母の元を離れて不安だったことがある。
それは、私の知らないところで借金をしているのではないかということ。
生活保護を受け始めたのがいつかもはや覚えていないが、
受給後は原則借金はできないはずなので、そこに安心している。
もちろん、受給前の借金は消えないのだけれど…。
自分だけが後見人というのも、考え物である。
冒頭の旅行の話から考えると、母親のたまの贅沢に、
おいおい!という声がなくはないことも理解している。
ただ、私の精神安定を図る為には、
親という存在を遠く置いてこなければならないのだ、
ということを此処に残しておく。